2015年11月の雑記帳

10月30日(金)は、岩手県宮古ボランティアセンターの「復興支援無料市」開催へ、県人権連が31日出発で「ボランティア活動」で現地に行きます。青年部へお米や野菜などを渡す「荷造り」でした。

 
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※日上産・「作州美食米」の画面16日に少し変更しました、案内です、ここから見てくださいね。

写真を中心にした活動報告の様子を挿入したブログ画面です、戦争法許すな宣伝、サイレント行動、市民集会、津山駅前整備・東日本大震災被災地へ支援物資送りの写真もあります。一度ご覧下さい。

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11月30日(月)→月末です、今年も残り1枚の暦ですね


★今日は、11月の終わり、明日から12月です、時の流れは早いですね、、暦も、今年は残り1枚となりました、我が家には、2カ月綴りの暦の方が多いです。我が家だけでなくて、2カ月綴りの「暦」が案外多いと思いますが・・・読者の皆さんのお宅はいかがですかね。。、我が家の月めくり暦は一つだけ、この暦を私のデスクから見えるところに吊していますから、やはり「残りは1枚」というのが実感です。

しんぶん「赤旗」読者にお届けする暦も、手に届きましたから、12月の初めのしんぶんには挟み込んで配らなくてはです。この暦も、2カ月綴りにらなっていますから、6枚ものですね。以前は、赤旗の暦は、半年でデザインなども含めて交換していましたが、今は、一年間を通しで作成しています。資金の関係かなと思いますが・・。


★月末です、さくら介護センターなどの月締めの「会計整理」とか、「立ち退きの段取り」とか、しんぶん「赤旗」の集金などもしなくてはいけませんが、これは、昨日で「ほぼ終わっています」から、今日は、出店などの集金ということになります。

そう言えば、今日は、12月議会の開会日なんですね、、、初日ですから、決算議案の「委員長報告」があり、賛成・反対の討論があるはずです。傍聴に行けそうにもありませんですね、、、決算認定の後、補正予算や条例改正議案の提案があり、質問通告をして、議会初日は終わりという事でしょうかね、さて、何人の議員さんが、どんな内容の質問をされるのか、そして、どんな順番で質問戦がおこなわれていくのか興味のあるところです。


★昨日は、午後に津山市・津山市教育委員会の主催、さんさん人権啓発の主催する「第27回人権を考える市民の集い」に久しぶりに参加しました。人権擁護委員会の人たちの後援でありますが、すっかり「人と変わり・様変わり」というかんじです。ハートフル講座《生きている≫幸せを感じて~奇跡の生命と共に生きた8年8カ月~ 講師 道志真弓さん(元フリーアナウンサー)の実体験の話を「じっくり」と聞かせてもらいました。

世界で、たった数十しか例のない「染色体異常」と診断され、余命一か月と宣言された、娘さんの命、歩くことも話すこともできなかった「弓華ちゃん」の生き様と母親の苦悩と家族との関係、良い家族・夫婦・姉弟の良好な協力と関係、子育て・・・・・・・・それでも「異常体質を抱えて懸命に生きて来た人の命、8年と8カ月の葛藤」は並ではない話でした。普通に生きているということは、大変なこと、生きていることを感謝し、自分と他人と、あわせて「命」を大切にしなくてはとしみじみと思わされる話、途中で、少し涙腺を刺激、胸に迫るものがありました。


11月28日(土)さくら会館の移転へ


★移転先の権利者の人と最後の「打ち合わせ」を昨日行いまして、登記上の名義は別途として、12月から、私たちが「自由に出入りし、改造する準備」に入ることになります。外観的には、可能な限り「駅周辺整備事業」の全体のイメージに合うように心がけたいと設計士とは相談すみです。後は、出来上がりを見ないと本格的というか、昨日の津山市のロゴマークの言葉ではありませんが、「ほんもの」を見ないとイメージがわからないというところでしょうか。

最近一つの世の中の「流れ」でできつつある「痴呆性介護カフェー」と言われる高齢者社会における「人がつどえる居場所づくり~痴呆姓を学ぶ家族の会」とでもいうのかな、そんな人々が訪問してくる、イメージでの「お店作り」、普通の珈琲店ではない、しかも、誰でもが気軽に出入りできる「居場所の珈琲店・カフェー」へ、野菜売り場、市民の方の「おしゃれな手芸品・特産品」の紹介できるお店へ・・・色んな事をイメージしながらのあたらしい「さくら会館」への移行づくりです。

当然事務所が必要です、さくら介護センター・支援事業部と豊かなまち・人つくり津山ネットワークとNPOさくら会館とが中心です、が、その他、さくら産直・共済会などが共有する「事務所」は2階へ予定、そして、小さいながらも3階が「会議室・談話室・資料室」になるかなのイメージです。


★最近は、さくら会館の移転にともなう色んな出来事、そして、組織内の話し合い、対外的な相談、権利者との協議、業者との「うちあわせ」などが多くあり、落ち着きません、気が付きますと、もう、月末ですね、「しんぶん赤旗」野私有金、昨日、職場内はやっと終えまして、地域の集金は、今日からです。

★移転とは、直接関係がありませんが、昨夜は、津山市民平和祭実行委員会の「反省会をかねた忘年会」でした。今年の平和祭の取り組みの苦労や企画、そして、来年は、美作原水協が主力になる「作る会」の事務局当番です。

30回という記念すべき年にもなります。記念すべき年にふさわしい「企画」を練って、4月によていする「弟1回実行委員会」での事務局引継ぎ会議へ、構想の提案ということになります、あれから30年にもなるんですね・・・記録集の作成は、すでに決められている企画の一つです、可能な限り「資料」をあつめて、史実に基づいての「ほんもの・本当の歴史」を残したいものです・・・。


11月27日(金)津山のログマーク・・・ログとは?

★津山市のホームーページから「内緒」で拝借しましたが、先日津山市が発表した、「津山のロゴマーク」です。津山市のイメージをどう見るか、一目で「全体像を表現する」というのは、かなり困難もあると思いますが、専門的には「図柄・デザイン」の分野でしょうか?、街づくりの分野でしょうか?・・。「東京オリンピック」で物議を呼んでいる「ロゴマーク」の有り様です、関心は寄せられていると思います。

★ログとは何ぞや、と思いまして、パソコンで検索しますと、

「ログとは、起こった出来事についての情報などを一定の形式で時系列に記録・蓄積したデータのこと。船の航海記録(日誌)が原義。
ある機器やソフトウェア、システムについて、その起動や停止、エラーや障害の発生、利用者による操作や設定の変更、外部との通信など、稼働中に起こった出来事の内容を日時などとともに時系列に記録したものをログという。稼働状況の確認や集計、不具合の原因調査などのためによく参照される。

また、コンピュータやネットワークを介して複数の人の間で交わされたメッセージの内容を時系列に記録したものをログという。電子掲示板への書き込みや、メッセージ交換ソフトによる利用者間のメッセージのやり取りなどを記録したデータやファイルがこれに相当する。」

とかかれているページがありました、少し、検索した言葉の意味合いがちがうのかな、ピント来ない解釈のようにもありますが、、ロゴ・マークで検索しましたら、
ロゴ、シンボルマーク、ロゴマーク、似た言葉ですがその定義についてふれておこうと思います。ロゴタイプ ▶ もともとは印刷用語として使われ、2字以上の文字を1本の活字に鋳込んだものをいいました。近年は、ブランド名や商品名、社名など「デザインされた文字」のことをさします。

シンボルマーク ▶ 会社、団体、個人、サービスなどを「象徴した図形」。日本の家紋もシンボルマークです。マークは省略した呼称でシンボルマークと同義です。

ロゴマーク ▶ 和製英語で、以前この言葉はありませんでした。 ロゴタイプがシンボルマーク的(デザインにオリジナリティがあり、より象徴性が高い)に使われるためロゴマークと呼ばれはじめました。マークとロゴタイプがセットされたものもロゴマークといわれています。

ロゴ ▶ ロゴタイプの略称で以前はデザインされた文字のことでしたが、今ではロゴタイプ、マークの総称として使われてることが多くなっています。

こんな言葉に出会いまして、やっと、ピント来た今朝のパソコン遊び、検索作業でした。

★暮らし・ほんもの さて、色々と思われますが、暮らしと本物をどう結ぶ課は、私の頭では、中々濃くなんな「結び」カモしれませんが、別別のものを、図式させるという点では、イメージは浮かびます。「ほんものをめざしたい」の願いを込めて、あるいは、津山には「ほんものがある」という意味合いをもたせて・・・自然と人と文化と歴史と・・・津山に「期待をもって行ってみたい街・おとずれてみたい街」などへイメージが生まれるか・・・何よりも、「住んでみたい街、本物のある街」へどう街づくりを行い、人・文化を作るかですね。

過去の歴史は、「作れるもの」ではありません、すでに、「できているもの」ですが、これをどのように分析するか、現在に生かすか、新しい発見・発掘させるかへの戦略、ここでも「ほんもの」とはなにか、が大きく問われるのかな・・。

人の思考が「多様化」している今の世の中、全てのひとが「わかるロゴマーク」などは到底無理、どう思うか、どうイメージするかは、個人差、・・・金子みすずさんでしたか、「違っていい・・みんな違っていい」だと思いますが・・・。

◎わたしと小鳥とすずと
わたしが両手をひろげても、お空はちっともとべないが、とべる小鳥はわたしのように、地面(じべた)をはやくは走れない。 わたしがからだをゆすっても、きれいな音はでないけど、あの鳴るすずはわたしのようにたくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。 金子みすずさんの詩から
そんな妙なことを思う、津山のロゴマークのもつ意味合いでした。

11月26日(木)12月市議会は決算審査報告ではじまり


★最近、天気が良くないですね、昨日などは、小雨でしたが、ほぼ、1日雨で、しかも、冬来たるでしょう、寒い、冷たい雨、という感じでした。段々と、寒くなる、寒いのは「嫌」ですね。今朝は、雨は、ありませんが、どんよりと曇った空、重たい空模様です。雨になるのかもしれません、天気予報では、「曇・雨模様」とかです。

国道53号拡幅工事にともなっての「さくら会館の移転」問題、新しい事務所への移転、それなりの「改修工事」が必要です・・・・・・・「駐車場の確保」については、白紙になりまして、1から考え直しを余儀なくされて、新しい方向性が求められます。国と野話を決着し、現在の「さくら会館」の立ち退きの具体化など、バタバタとしているこの頃です。

駅前広場整備では、今回、12月議会へ「歩道への屋根づくり」を補正しているとかのニュースですが、未同意者の解決、そして、国道拡幅で野「善権利者の同意」をどのようにとっていくか、納得してもらうかなど大変な作業がまっているといえますね。


★24日に市議会運営委員会がおこなわれ、あわせて、宮地市長の定例記者会見も行われ、新聞各紙がその模様を伝えています。12月議会・補正予算・国からの地方創生交付金満額の6、000万円→最高限度額決定などのニュースが目立ちます。そして、東京オリンピックで、有名な言葉になりました「ゴロマーク」ですが、津山市でも、「新ゴロマーク誕生」という記事が写真入りで報道、賑やかな話題多しのこのころです。

★市議会は、そういえば、決算についての各常任委員会の審査を終えて、初日(11月30日)に、委員会報告(委員長の報告)が行われ、と思いますが、市議会が、市議会議員個々が「承認するか、しないか、」を決定してから、約3億5千万円といわれています第三次一般会計補正予算・条例改正議案などが提案されるということになりますか・・・。

わかり切ったことですが、決算は、たんに「執行された予算、数値がまちがっているかどうか」だけでなくて、その時その時の首長の「政治の在り方」が大きく問われる、執行されたものが、市政にとってどうだったのか、市民の暮らしや経営などから見て、どうなのか、一般的には、未来の津山市へ向けての価値観、そして、行政上効果があるのか、無いのか、無駄なことはしていないか、「してはならないこと、ある種の圧力のようなものに曲げられた執行・課題は無いかどうか」などを審査する必要があり、それらの総和として、来年以降の予算立て、政治の在り方に影響を及ぼしていく、・・・そんなことが期待されます。

★よくある現象では、民間の大手の会社「粉飾決算」が事前にわかり、株主総会での騒動になったり、総会屋ともいわれる人たちの存在があったり、それなりに「決算の審議が話題」になることもありますが、妙に、自治体での決算審査は、「静か」です。監査がみているから、とか、もう使ったもの・終わったものだからと、いう理解のもとで、論議が少ない、というのも特徴かなです。

★今回の津山市議会が審査してきた決算は、前の市議会が認めた予算の執行結果ということになります。新人議員さんなどには、関係のなかった「予算審査」の結果で使用された税金の流れとなりますから、いっそうのこと、論議は中々難しい側面もあると思いますが、末永流でいいますと、「私の最後の審査してきた予算、政治の在り方の問題提起」などの総論的な決算、最後の予算審議の結果論です、何にも無し、では、少々寂しさというものがありますね・・・

★決算が上程された、9月議会の本会議での質問、審査、の様子などを多少見聞きしましたが、いかがなものか・・・とも、思えますし、さて、各常任委員会でどんな論議になっていたのかは、全く見えてきません、参考の為に、どんな予算論議があり、何が問題となったのか、の、問いかけも、お尋ねもありません。。ということでした。傍聴に行くという前向きの思考がでてきませんというのが今の心境かな・・「おもしろさ」がないと、行くという気力がわかない・・・時々、市民の方が、私にたいして、「議会の様子のテレビが面白くない、見る気がしない、みなくなった」などの言葉を投げかけますが、つくづく人間というものの「様」を思わされるこの頃です。

11月25日(水)12月議会→30日に開会、12月23日まで


★昨日24日に津山市議会運営委員会が行われ、12月議会の日程などを協議しました。というか、したようです、が、正しい「言い方」かなともおもいます。初日・開会日の11月30日は一般会計第三次補正予算など34議案が提案され、各議員の「質問通告」を提出し、質問の順序などが決められると思います。議案質疑・一般質問は12月7日(月)からということになります。さて、何人の議員さんたちが、どんな項目で、どんな質問戦を展開するのか、大いに注目され、期待されるところです。今回も、可能な限り「質問戦」は傍聴に行きたいなの思いですが、すでに何日かは日程・行事・会議などが詰まっていまして、どうなりますかです。

普通、12月議会は、当該年度の「各事業が推進され、予定通りの予算執行になっているかどうか、が、点検され、新たに行うべき課題の補正予算の最後の機会」であり、あわせて、来年度への「橋渡しを思考する」(来年度当初予算などの骨格、組み立てなどが検討され、部局の中では、そろそろ予算要求の事務に終われる時期)事業項目など、さらに、国県との「関連・施策の在り方」なども問われ、あえて、国の法律の変化などを見通しながらの「政治を語る大切な議会」と言われています。

国に対する「要望」とか「要求」と科の整理も大切な時期ですから、議会も、緊張感を持っての論議になる必要があるということです。

ごきげんいかが作成の日です

★水曜日は、「ごきげんいかが」の作成の日です、一面には、「ごきげんいかが」が、証拠物件として裁判所を通じて提出を求められた、松本議員が河本議員をうったえた、平成27年(ワ)第88号 損害賠償請求事件 についての問題の紹介記事です。

要するに、河本議員が市議会議員選挙中に、以前配布されていた「現職暴力団が津山市議会におる」とかいた東京タイムズの記事についての、是非論、暴力団かどうか、あるいは、東京タイムズを告発したかどうか、していないのなら「書いていることが事実と認識する以外にない」と河本議員が言うたか、いわないかの裁判だと思っていますが、さて、そこに、何で「ごきげんいかが」が関係してくるのか、しかも、河本議員が、松本議員に対して、「どんな内容の批判的な演説をしてまわったか」という、そんなところに、「ごきげんいかが」がどのように絡むのか、河本議員の選挙中の演説での出来事、・・・・「ごきげんが絡む余地なし」とは思いますが・・

16日の「雑記帳」にかいている通りのことですが、「紙面のごきげんいかが」に改めてその経緯を書いておこうとの、今回の「ごきげん1面」の記事です。二面は、戦争法の廃止への私の周りの出来事の紹介、昨日雑記に書きました、3日の「アベ政治は許さない津山の会」(仮称)のよびかけ、行動への参加お願いなどを記事にするかなで、昨日から「ごきげんいかが」の作成を始めています。

今の日本国憲法が5月3日・・交付日でしょうか、午後1時に公布された・・・まさか、時間で言えば、交付日の零時からの有効という事でしょうが、先刻的な行動提起は、午後1時に、全国のいろんなところで「アベ政治は許さない」の声を一斉にあげよう、ポスターを高々と掲げようという呼びかけです。まだ、誰も、「津山の会」(仮称)の呼びかけ人になろうという連絡がありませんが、よろしくお願いします。




11月24日(火)久しぶりの雑記の書き込みです


★20日から23日まで4日間雑記の書き込みを「休憩」していまして、5日ぶりの雑記帳書き込みです。正月・お盆にもなかった「長休み」の原因は、さくら会館・さくら介護センターがヘルパー派遣事業を「休止」したのが、4月からでした。

それにあわせて、津山ネットも多少の事務整理、勤務する人を少なくしました。それまで、「旅行貯金」として、給与から一定額を積み立てていまして、現金を返すか、との話もあったのですが、「最後に少し贅沢な研修ができないか」ということで、「沖縄・水牛車・平和」などの意見が出まして、沖縄・石垣島というか、八重諸島めぐりの旅を企画しまして、9月行く段取りをしました。

ところが、大型台風が沖縄地方へ上陸、とりわけ八重諸島付を通過・・・中止、延期としまして、この20日~改めの旅となり、留守にしたということです。好天に恵まれまして、私も、初めて、西表島~由布島へわたる「水牛車」と、竹富島の「集落をめぐる水牛車」にのりました。水牛ではありませんが、のんびりと、ゆっくりと、3日間の旅をしてかえりました。と、いうことでした。

★沖縄本土では、何としても、今の時期「平和とは」を考えてみたいとの企画をくみまして、、、糸数アブチラガマへいきました。沖縄戦線、このガマは、サンゴ礁がもたらす自然洞窟。270 mあるそうです。糸数住民の避難所、日本軍の地下司令部・倉庫としてのやくわり、戦場の悪化で、南風原病院の「分室」へ、昭和20年5月1日から、軍医・看護師・ひめゆり部隊の配属、負傷者の「野戦病院」へ、・・・そして、5月25日に撤退命令、・・・・・・負傷兵、重症患者などの置き去り、死、こんなところまで「慰安所」の設置・・・ひめゆり部隊立ち入り禁止区域、まっくらいガマの中、住民の苦労、8月22日に米軍の「投降勧告」により奇跡的に助かった人たちのみがガマをでた、というお話でした。

戦争の「悲惨さ」などを直接学びました。ここは、ガマの中など撮影禁止でした、したがいまして、録画画面から頂いたものを紹介です。
★左→入坑の間の絵に、表示板などをつかっての説明・注意などを受けますが、説明書きとガマの中を紹介する掲示板です。

★真ん中は、ガマの入口です、本来の入り口ではありませんで、戦後、階段などをつけて「出入りの便利さ」を図ったようです。ガマの真ん中あたりから、立て坑の中へ、階段で、直角に降りる感じ、狭い、頭にヘルメットが必要箇所です。

★右は、出口から出たところに、「慰霊碑」が根立されていまして、地元住民が戦後、供養のためにつくったものだそうです、毎年、いまでも、6月23日(沖縄の終戦の日です、沖縄では8月ではありません、6月が終戦記念日です)には、慰霊祭が行われ、平和を祈る場所です。私たちも、色んな思いを持って、合掌してきました。



アベ政治はゆるさない

毎月、3日の午後1時きっかりに、全国で「アベ政治をゆるさない」という同じポスターを掲げようと、呼びかけが行われて、3カ月目の11月3日がきます、津山でもなんとか実施した糸考えていましたら、昨日「津山地域母親大会」の会場で、市民有志の会が行っています、「戦争法は廃案へ」のスタンディングサイレント行動が、来月から、3日と9日に午後5時から行おうとのチラシを配布されていました。

この行動と統一すべきところは、統一しながら、毎月3日午後1時から30分だけ、「アベ政治はゆるさない」の1点、理由は、参加者が「それぞれ胸に刻んで」、アベ政治をゆるすなのスローガンをいっせいに掲げようとの試みです。

「アベ政治を許さない」の文字は、俳人の金子兜太(とうた)さんが書いたもので、この日の行動は、この文字だけを使いたいと思います。

全国の呼びかけ人は、金子さんはもちろん、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏・作家の澤地久枝さん・瀬戸内寂聴氏(作家・僧侶)さんら著名人111人にのぼっています。日本共産党の志位和夫委員長も呼びかけ人です。その他の著名人として、小林節(慶応大学名誉教授・弁護士)、落合恵子(作家)、渡辺一枝(いちえ)(作家)、村田光平(元駐スイス大使)、神田香織(講談師)さんなどです。戦争法案反対、「若い人たちだけでなく世代を超えて、いまこそ手をつなごう」の思いが寄せられています。

取り急ぎ、津山での呼びかけ人を「募集」しながら、12月3日(木)午後1時~1時30分まで、新天神橋交差点で行ってみようと、中西孝先生と、私で相談、お集まりください、ステッカーは準備します。思いは色々でも、スローガン・看板は一つ、全国一斉に、何万か所かで、その一つの地点して、津山でも、「アベ政治はゆるさない」の掛け声です。よろしくお願いします。

あわせて、この行動の「呼びかけ人」に名前をだしていただけませんか、※自宅メアドで、お名前と住所、連絡先をご連絡下さい、チラシなどに名前だけ、連名で書きたいと思います。

11月19日(木)明日から23日まで「お休み」の雑記です


★昨日も、ほぼ、1日雨でした、しかも、かなり本格的な雨で、降ったり、止んだり、小雨と科でなくて、大雨ではありませんが、ともかく、夕方まで雨が1日中降り続きました。時折、強い雨も降っていましたが、夕方には、小雨状態で、5時半頃にはやんでいました。しかし、1日中よく降っていました。。今朝は、少し風がありますが、空は、晴れるような気配です、天気予報も「貼れる」とかです・・。

★昨日、さくら会館の移転に伴いまして、駐車場にお借りした糸思って話をし、準備もしていたのですが、地権者から「条件が合わない」との事で、断られました、・・・少々残念なこと・・・「古屋」をこわしたり、造成したりの「業者見積もり」もしてもらっており、そこにも「お詫びの連絡」でした。残念ですが、駐車場は考え直しです・・。

★そして、午後「さくら会館」では休日をもらいまして、「戦争法を廃案に・・・」と書いた、日本共産党のポスター張りでした。これで、3回目です。どうしても貼っておきたい「掲示板」が数ケ所貼られていないので、地区にお願いして追加してもらったポスターです。

大小あわせて 20枚ですから、支部の人3人で小雨の中を貼って回りました。そして、市民有志が呼びかけて、「戦争法強行採決」以来、毎日続けておられる、スタンディングサイレントに夫婦で初めて参加、最初から、参加しなくてはと思いながら、中々具体的に参加ができなかったのですが、やっと参加でした。

雨が上がってやれやれでしたが、暗い中、電池を使ってのサイレント、歩く人は、想像よりも「少ない」感じ、雨が一日降っていたからかなともおもいます。車の量は、やはり、すごいですね、5時~6時までの1時間の行動ですから、仕事の関係もあり、難しいですが、なんとか、参加回数は、増やしたいの思い。

今日は木曜日で、しんぶん「赤旗」がポストに届く曜日です、日曜版にはさみこむ「ニュース」は、多分、市議団ニュースで、党勢拡大の訴えと、朝宣伝のお知らせと市議会報告の日程案内です。昨日の日刊紙に入っていましたから、間違いないと思います。そして、前末永区には「ごきげんいかが1225号」が入ります。

明日から、職場の「積立旅行」(退職した人たちを含めて)の最後の研修に行きます、したがって、今日、しんぶん配達を終えなくてはです。そして、この雑記も、24日までお休みとします。ゆっくりとしてきます。


11月18日(水)「ごきげんいかが」1295号の作成へ


★2日続きの雨でしたが、今日も雨になりそうな気配です、が、どうかな、ポスターを新しく増加してもらったので、それを張り終えたい、晴れてほしい日です。段々と「冷たい雨」になっている感じです。今日は、末永弘之の「暮らしのニュース」と名打ちました、しんぶん「赤旗」読者の極限られた地域の方々のみへお届する「ニュース・ごきげんいかが」の作成・印刷の日です。

このホームページ・雑記帳で言いますと、12日の雑記帳に書きました変化の有り様を、今回、しんぶん「赤旗」とともにおとどけする「ごきげんいかが」1295号だと思いますが、の一面で取り上げています内容です。

1300で終了したいとの旨何回も書きまして、さらに、「ごきげんとともに生きてきた読者の皆さんの証を、感想を、最後のごきげんに残しませんか」と呼びかけています、まだ、2~3人程度の感想ですか部、その中で、1300でなくて、1301ごで綴じてほしい、1が未来をみる数字、ゼロは、ゼロそのもので未来へ繋ぎがかんじられないから、とのいけんがありました、、、そういわれれば、そんな感じ、そうしますかねです。


★今回が、1225号です。一面は、さくら会館の移転も関係して、津山駅周辺整備事業、津山駅北口広場の在り方、変化を紹介する記事です。写真は、賑わいゾーンに立つ、お寿司屋さんとその奥に見えるのが、観光センター・二階がコミュティセンターの建物です。そして、二面は、
★16日~始まった新クリーンセンターでの「ゴミ搬入の作業」のことです。私も、かなりの「かかわり」を持ってきた、ここ20数年の「最終処分場建設」問題です。領家問題もです。無関心ではおれない、歴史の日でした。

★写真は、新しく出来上がった、領家の新クリーンセンターの正面玄関の様子です。領家でなかったら、と、言う思いもしますが、領家での建設の良し悪しは別にしますと、かかわってきた皆さん、とりわけ、所長以下職員の方々、そして、宮地市長以下、圏域と津山市の「役員」の皆さんには、ご苦労様です、まだまだ、完全な「完成」ではありません、これからも難題が多いですが、それでも、火入れです、苦労してきた価値観の現れ、あたらしい歴史の1ページです、よくぞ、ここまで来ました・・・・

私自身は、多少複雑な気持ちも残りますが、それでも、「おめでとう、ご苦労さん」の言葉を書いておきますと、「ごきげんいかが」にも書くかなの気持ちです。

今日、「さくら会館」に行きまして、最後の仕上げをして、誤字も、多少ですが、直して、印刷して、少なくなっていますが、それなりに「赤旗のポスト」に届けておきます。明日の日刊紙、明日から配達される日曜版、元末永区しか配達しませんが、よろしくお願いします。

11月17日(火)新クリーンセンターへパッカー車入る


昨日、6時からかな、小用をしていまして、NHKのテレビニュース「かけていた」(決して見ていた、訳ではない・・・)ら、津山圏域新クリーンセンターという言葉と、文字が飛び込んできました。そうか、そういえば、今日から新しいごみ収集が始まったんだ、領家の新クリーンセンターが今日から、ゴミパッカー車の搬入なんだ、・・と、思いまして、改めて画面に集中でした。

色んな思いをしながら、それでも、まぁー、良かった、そして、仕方ないかな、の思いでした、また、仔細は、書きこむつもりですが、こんなものは、今書く、というタイミングもありますから、簡単に書くだけ書いておきます。

1か月も、2カ月も、あとで「書くこと」ではありませんですね、、、やはり、昨日の出来事、しかも、ある意味では、歴史の日です、良し悪しはありますが、私も、深くかかわってきた事柄です、今日書くべき記事ですね、今日でないとダメな記事ということもありますね、時が流れますと記事にならない、・・・という、一つの≪記念・節目≫の記事です。


筆界未定地とは、?ですが

★何回も紹介していますが、国道53号歩道・自転車道拡幅工事に伴って、さくら会館が移転です。移転先もほぼ、確保しまして、その「裏側の隣地」を駐車場にお借りしたと、話を進めていますが、中々具体的に「決定」というところまでは行きませんが、このたび、当該土地が、「筆界未定地」であることが明らかになりまして、「地権者」にたいして、「土地を借りるのに、境界がはっきりしていないでは困るから、境界を定めてほしい、定める方が良いのではないか、」と、問いかけをしています。

国土調査時点、昭和50年代と思いますが、津山市は、全地域が国土調査は終わっているということですから・・・その時点で、どう揉めたのか、今の地権者では「記憶にない」という事のようです。

行政の側も、国土調査をした当時の職員は、当然退職していまして、おりませんから、記録をめくってみていただく程度で、当時は、親戚の人も「たちあう」という事をされている気配がありますが、当然、隣地の人、町内の「役員さん」も立ち会っていると思いますが、市道と私土地の境界が「定まらなかった」という事の用です。

★現状を見てみますと、市道から、50㎝~1m近く、低い土地です、市道の「幅」は当然確認されており、記帳もされています。市道と、私土地の「境界のようなところ」にブロック塀(五軒の長屋づくりの建物、古くなっており、今は、誰も住んでいない古屋)が立っていたり、階段があったりですが、どうやら、このブロックの立っているところが、道路から下って、のり面が普通ありますが、その「のり面の上」に当たるような気がします。

普通ですと、「のり面」が、下がって、民地にかかるところが、境界というのが常識的な「判断」とは思いますが、ともかく、民地の人が「納得していない」のだろうと思います、境界未確定ということになっています。

※民地と公の土地、の境界ですが、反対側は、当然「民地」に隣接していますから、その人たちと野「境界」も無関係ということにも行かない様子、それなりに「民民」にハ、境界があり、「筆界未定地の公簿上の面積もわかっている」ことですから、案外、簡単かなとも、思いましたが、実施測量などして、お互いの「隣地の人たちの承諾も必要」であり、最終的には法務局に「境界をいれる」書類を提出して、認めてもらわないといけないそうです。

中々面倒なことです、しかし、なんとか、駐車場に「使用させてもらいたい」の思いも強くて、さてさて、いらないことにも、力を入れなくてはいけないこの頃です。


※先日ホームページに立ちあげました、日上産・「作州美食米」の画面16日に少し変更しました、案内です、ここから見てくださいね。
11月16日(月)倉敷民商事件の報告会へ


★土曜日は、倉敷民主商工会への「不当捜査・逮捕・監禁・訴訟」へと続けられている「弾圧事件」の報告学習会へ参加、何回か資料を見たり、署名をしたり、報告会も2回目の参加と思いますが、国民救援会美作支部と津山民主商工会の主催でした。

事件の内容はどのように考えても「1年半も留置されて、起訴される事件」とは思えませんが、そもそも「脱税などの容疑で調べられる筋合いのものではない」ともおもえます。しかし、権力機関の考えていること、国民を弾圧し、我が思うようにすること・・・怖いことです。アベ政治の悪さへも結びつくのかもしれない。

捜査というか、警察の取り調べというか、そのあり方は、自白の強要、黙秘、否認、拒否など、色々と対策も必要とも思えます。私も、かって、「不当な告発、訴え、訴訟」などを仕掛けられたことが何度かありますが、うっかりもできないことです。

警察というか、権力というか、検察庁にも何度か行きました、もっとも、こちらが「訴えた事件、告発した事象」も幾つかありましたから、すべではないのですが、「調書」を取られたこともあります。不思議なのは、自白の強要とかの言葉もありますが、自白というのをどのように考えるか、私は、良し悪し、正しいかどうかはわからないままですが、「そんなことはやって無い、知らない、身に覚えがない、質問の内容が出鱈目、間違い」、とかを述べて、取り調べている人と話したこと、これらも相対的には、やはり、「自白」だと思いますが、その点では、「自白した」ことは沢山あります。

不思議だと思ったのは、「やっていない」という答えを調書には、中々書きませんですね、「黙して語らず」という、意味のことは書くと思いますが、否定したら書かないという記憶が残っていますから、さて、「自白の強要」とは何か。。。やはり、警察や検察庁の思うように「調書を作る」というのが実態かもしれませんね。

沢山の人たちが参加していました、少し、気になりましたのは、津山市内からの参加者の数です、変な感覚(私のです・・・)ですが、少なくとも、色んな市誘拐で、津山市民、市内の活動家が、2/4~3/4位はあつまっているのが自然、普通と思っていますが、最近は、どうも、津山市内からの参加者が、色んな事への集会で少なくなったのではないか、と、言う事。。。そして、今回の「倉敷民商事件」のことだけで言いますと、議員団の顔が見えなかった感じです。

これも、私だけの世界観、勝手な論理・自論ですが、選挙で「応援してもらう」というか、私流でいいますと「お世話になる」わけで、色んな人たちが主催する集いには、極力参加して言葉ではなくて、態度で、行動で「お世話になったお返し、お礼」の気持ちを表していってほしいと思いますが、他の行事などと「ダブル」ことも多くあり、一概ではないという事ですが・・・。


★昔から、自分の気持ちとして「しっくり」と来ない言葉、嫌いな言葉があります。

選挙などで集まってくれた人たち、あるいは、自分が主催する集い、よびかけた集いなどの時に、参加ししてくれた人に「ご苦労様です」との言葉かけ、これは嫌いでした、嫌いでもありますが、そんな言葉は、「よういわない」、と、いう方がピッタリの気持ちです。「おせわになります」が好きです・・・・・ぴったりと腹に落ちるんですね・・・・、妙な気持ちですね、、どうでもよいことになのに、変なことに妙に「こだわる」という悪い癖ですね、、、もっと、おおらかにならなくてはいけないですね。

「ごきげんいかが」が裁判所へ・・?

裁判といえば、妙なことになってきましたです、河本議員が松本議員にうったえられている「選挙妨害・損害倍書」をもとめられている裁判で、雑記帳の記事と「ごきげんいかが」の記事が松本議員側から、取り上げられて、ことしの1月22日の雑記帳にかいた、全員協議会の記事のこと、「暴力団と書かれた東京タイムズの記事」の扱いについての、河本議員と松本議員の「やり取り」を紹介した部分だと聞かされました。

この記事の中で、しんぶん「赤旗」と一緒におとどけする「紙のごきげんいかが」1255号の二面で、この全員協議会の様子を書いているということです。そのために、裁判所を通じて、この「ごきげんいかが」を手に入れてほしい、との事が話題となって、河本さんの弁護士の方から、事訳を説明しながら、「ごきげんいかが1255号があるか、裁判所に提出したい」との連絡でした。ひさしぶりに「ごきげんいかが」が証拠書類として裁判所に提出ということになるそうです・・・・。仔細は、事訳が判明して、お知らせします。

試しに、1月の雑記に何を書いたか、気になりますから、読み返してみました、読み返してみたい方がおられましたら、ここから見てください、もっとも、1月の「雑記帳」に到達することしかできません、日にちそのものへ直接いける「リンク方法」もあるように聞きますが、私の知識では無理です、1月の雑記帳、そこから22日を探してくださいね。

11月14日(土)資源循環施設組合議会?


★雨の土曜日、昨日の金曜日も寒い日で、小雨でしたが、今日も小雨の朝です。昨日、しんぶん「赤旗日曜版」の配達でしたが、お昼前に、議会事務局を配布、少し雑用もあり、一息つきまして、コーヒーをいれてくれて飲んでいましたら、津山圏域資源循環施設組合の事務局長と次長、新クリーンセンター建設事務所の所長・次長ということになりますが、ふたりが議会事務局に入ってきまして、久しぶりに軽い冗談話しでした。

「アレッ、どうされたん、で酢か」との問いかけ、「組合議会、本会議でした」、の返事、そうか、そういえば11月は、資源循環施設組合議会の定例会がおこなわれていたんだ、と、改まっての思い。

「そうですか、いけませんな、議会傍聴をしなくてはいけなかったのに・・・」と自問自答のような問いかけ・・・・
「いやいや、本会議でしたが11時に無事におわりましたから・・・」
「なんにもなかったんですか、傍聴しても、おもしろくないですかね・・・」
「何にもありませんでした、おかげで早くおわりました。」

という趣旨の話。。。
「これからは傍聴させてもらうようにしますから、しかし、質問も何にも無かったんですかね、、・・・・何にも無いのなら、傍聴してもおもしろくもないかな・・」
「何にもありませんでしたから・・」、
「それでは困るではないか、末永がおらなんだら質問がないというのではなくて、所長さんが誰かにたのんてでも少しは質問をしてもらい、段々とゼロになるというのが良いのに・・・」
と軽く冗談でわかれました。

フト思いましたが、11月は確か決算の審査が中心ではなかったのかな・・・私が、組合議会議員として、最後に論議した予算の結果論の決算議案のはずだが・・・何にも質問もなし、とは、これいかにですがな・・・そんなことがあるものか、新古クリーンセンターは、稼働が目の前、まさに、今日までが、現在の小桁でのゴミ搬入が最後の日ではありませんか・・そして、16日から、新クリーンセンターへパッカー車が「ゴミを積んで搬入する初日ではありません・・・」そんな大事な日に行われる組合議会・・・

津山市だけでいえば、小桁の焼却場の歴史、横山の埋立地問題の流れと経過、そして、新しい施設への30年の移行の問題・・・数か所の「建設予定地」の課題・・・

その準備のための建設費や反対運動の結論、裁判の結審、色んな課題をかかえて「施設の最後の建設費」の決算。。。。其れに対して議員が、誰一人「整理の質問」もしない「津山市と鏡野町・美咲町・勝央町・奈義町」と、今日で、今までの「ゴミ処理の場所が終わる」という、いわば、記念の日ではありませんか。。。

当局の首長さんらや職員の皆さんも、何かの「感想・思い入れ」を質問、答弁という形を取って、残しておくべき瞬間ではありませんか・・・2度と味わえない瞬間なんですよね。。。

それが、何にも無い、質問もなし、感激も出ない、無し、では、人としての責任が取れないではありませんか・・・
政治としての「ロマン」がありません、住民の側も、行政の側も、議会の側も、、、大切な「節目、節目」には、残しておくべき歴史、それ独自のロマンがあるはずです、それらを「質問・答弁」という形で永遠に残さなくては。。。思わず、そんなことを思いましたが。。。


11月13日(金)作州美食米の宣伝に一役を・・


★日上の宰相さん宅が作るお米、昨年から関係する行政機関と相談しながら、「作州美食米」と名付けたお米を売り出す準備・・私のホームページで簡単な紹介記事を聞く実から立ち上げました。

実は、この人たちには、お父さん・お母さんの時代から、色んなことでお世話になってきた家族です、選挙という意味も当然ありますが、我が家がもつ「極少ない田んぼ」についても、ぜんぶお任せ、いわゆる「お米作りを委託している」ということです。専業農家です、我が地域では、この家族だけが専業農家、近所の農地を受委託してかなりの「たんぼ」を世話されています。

お父さんとお母さんが、今年の春から夏にかけて、2人、続いてなくなり、長男が体調を崩して、その姉妹と息子さんが、昨年から中心となっての専業農家、若い息子さん・正靖さんが、農業を引き継ぎ、頑張っておられる。それを、叔母さんになる二人の姉妹が助けての「作州美食米」づくりです。

長男も、元気になっておられますが、義足で、なれるのに大変な様子、農作業を続けると「痛みがひどい」とかで、大変な様子です。失礼なことですが、「不幸が続く」という感じでしたが、この「作州美食米」への意欲、家族で励ましい合い、前を向いている姿、これにひかれての「ホームページ」での紹介記事となりました。

紹介画面は、ここから渡れます、ご覧下さい、そして、本人たちも、少し「高いかな」とも思っておられるようで、電話でもしてみてください、「お友達価格」とかを思考中のようですから・・ここから見てください

我が家は、すでに、時々、この美食米を頂いていますが、おいしいです。一度試食でもしてみてくださいです。


★昨夜は、津山ネット・さくら会館の理事会でした、少し、遅くなりま下が、立ち退きの方向を決めてもらいまして、今日から、関係する機関とか、関係する権利者などと最後の話し合い、具体化へ入ることになります。いくつか乗り越えるべき「難題」もありますが、ともかく、3月末には、あたらしい「さくら会館」として再出発ということを目標にして、移転の準備てす。

11月12日(木)津山駅周辺整備事業の変化


★津山駅北口広場の整備事業、かなり十されて、しばらく見ないと、また、変わったか、と、思えるそうです、全く変わった、と、言われる人もあります。確かに、目に見えて変わっていますが、まだ、未同意者がおられ、鋭意話し合いがもたれているのも事実です。
最近、大きく変わった地点の紹介です。
津山駅の出入り口から東の方向、JRの建物が、無くなり整地が行われている。駅から出で、中心商店街、市役所方面への「人の通路~導線とかいう・・・」になり、通路の北側が車道路で駅前広場の一部になるのかな・・・、
現在の「高速バス乗り場」の南、駅のトイレより、すでに整地はほぼ終わりつつありますが、駅前交番ができていると思いますがその基礎を作っている感じです。バス乗り場も最終的には場所も変わると思いますが、益前交番所の移転も本格化です。
いわゆる「駅を降りて、中心児が一への導線」といわれる通路の屋根になる骨格と思いますが、「賑わいゾーン」と言われる場所の前、そして、バスとかタクシィ―とか、乗客の送迎とか、に使用される「広場になる部分」の整地工事・・・

すでに紹介しましたが、お寿司屋さんが「新装開店」しました、そして、駅前の「コミュニティーせんたー」も外観は出来上がりつつあります。この二つのたてものの「間」が、二区画都思いましたが、空いているいるのかな、「お土産屋」とか「Coffee屋」さんなどもほしい名の声が聞かれますが、どなたか入ってくれませんかです。そして、まだ、未同意者もあるとか聞きます、最後の仕上げまでは中々大変な課題が残っているようですが、様変わりする津山駅北口広場です。


★この駅北口広場整備と、並行して国道53号線の「拡幅工事」ですが、まだ、目に見えての変化はありません、が、この間から紹介していますが、私の仕事場、「さくら会館」へ、立ち退き補償費の提示、私たち(関係する地権者・権利者)へ、個人、個人への協議が始まっていると思います。

さくら会館は、今日、役員会を開催して、「立ち退き・移転」などの方向を定めて、国の提示額を合意するかどうかの最終決定をしてもらいます。移転先、その「整備のありかた」なども、最後の詰めの作業へです。しばらくは、この、作業へ没頭するようになりそうな今朝の気配です。

昭和町・南町付近の人たちが「便利」であった、「郵便局」が、駅裏へ移転、川南郵便局から、大谷郵便局に変わったために、「ポスト」がなくなりました。ポストがほしい、、、この声は、大きくなりました、「郵便局」が移転したために、一番こまっているのは、さくら会館、私らです、せめてポストくらいは・・・・一番ほしいのは、さくら会館です、なんとかならないかなの相談あり、、、さてさて、どこに言えば、ポストの設置が可能なのか、まず、そこから手始めです。当然、郵便局の関係者に聞いてからの動きですね。

★私の同地域の、お世話になってきた人がつくる「作州美食米」のご案内役をさしてもらいます。ここから見てください
11月11日(水)「ごきげんいかが」の作成日

★末永弘之の暮らしのニュース「ごきげんいかがですか」1294号の作成日です、発刊は木曜日ですから、木曜日号というのが正しいと思います。きのうも、「もう辞めるのですか、発刊しないのですか」といわれましたし、「止めるそうだね」とも言われる人にも出会いました。それと似たようなことですが、昨日も、さくら会館周辺を歩いていましたら、いきなり「引退して、することがなくて、退屈していないか・・・、身体がなまってはいけないよ・・・それにしても、あんたは辞めたらいけなんだ、何で辞めたのか、、、」と声がかかりました。この人、なんか、とても「しんみり」と考え、考え、言われたような気がしまして、つい、言葉に詰まりました。

いやいや、、、そんなことはないと思いますよ、若い人たちが頑張っていますからね・・・と、受け答えましたが、「やめたらいけなんだ、おってもらいたい、現にテレビが面白くない、市政のことほズバリとえぐってくれる議員がおらん・・」との言葉も聞きまして、あわてて、「お気持ちだけは受け止めます・・・ありがとうございます、私がいなくても大丈夫ですから、よろしくお願いします・・・」と最後は、逃げるように帰りました。こんな言葉をかけてくれる人が時々おります、一昨日もある人が「やめたらいけなんだ」とか「まだ元気そうですがな」とかの言葉をかけてくれましたが・・・大きくなってきました、よる年にはかてませんし、少し、議員が長すぎたかなと思うようにもなりましたこのころです。

それでも、議員をやめて、少しは気が楽というか、することは多いのですが、時間的な余裕は生まれていまして、身体を休める時間も取れるようになり、昼食後は、小休止していますし、夕方は、散歩へ、体力づくり、足腰の痛みをとりたいの願いの行動もできるようになりました。

★ごきげんいかが、ですが、ごきげんと一緒の「時代」を生きてこられた皆さん、皆さんの人生の思いで、良くいわれます「自分史」のような自分への感想など、ごきげんいかがと一緒に、「思いでのページ」を作りませんか、感想とかも含めて、何かを、世の中に残しませんか、紙面でつくる「ごきげんいかが」も含めて、1300号へ、匿名でも、実名でも、記録して、冊子に閉じ込めませんか・・、一言お寄せ下さいね。。

※今日「ごきげんいかが」は、先週予告しましたように、津山藩「皮かわ流通ものがたり」の研究会の様子のお知らせからです。18世紀末の「津山藩奉行所日記」の古文書の紹介ということです。極一部の地域、と、役所内飲み、限られた「しんぶん赤旗読者」へのたよりですが、これも、「やめるんですか・・・」と残念がってくれるひとも時々ありまして、なんか、「寂しい感じ」に、こちらもなりますね、、、誤字騒動が思わぬ方向に流れまして。。。市政の報告をしてくれるひとが「いない」ではないか野、嘆きの声を良く耳にするこのころですが、わたしの「ごきげんいかが」は、もう、その役目は「はたせない」としみじみと思います、情報がありませんし、感が働かないです、やはり、少しだけでも、市政のこと、議員のこと、など、見えないと、その裏にあるものに感が働きません、ゼロというのは、何もないということなんだと、しみじみ思えるこのころです。

0、1でも、見えるから、後は、感で分析して、結構「当たらずとも、遠からず」というニュースが書けていたんですね、、その点では、もう、「ごきげんいかが」の役割は、終わったという実感です。末永弘之の「暮らしのたより」では、面白くも、おかしくもない、誤字騒動が益々大きくなるだけということですね・・


11月10日(火)党市委員会の活動、会議


★私は、今、個人的に言えばね日本共産党の「役員」もやめて、一介の支部に所属する党員でしかありません。ただ、前市議ということで、何となく「地区党の幹部」という感じで話しかけられたり、立場を言われたり、色々とあるのはありますが、組織的には、平の党員というのが正確なたちばで河辺支部に所属しています。

昨日は、津山市党の「支市委員と支部の合同会議」に出席しました。もっとも、都合で、お昼の部門に参加でした。本来の会議は、夜に行われたのですが・・。

★何としても、今、話題の「戦争法を廃止できる政府づくり」「国政選挙で自民公明に勝てる野党統一選挙」などの在り方です。来年の7月の参議院選挙へ向けて、中央段階での政党間の話し合いが「合意する」ことが一番ですが、その話し合いの「結果では取りやめもありうる」という立場ですが、参議院選挙での岡山選挙区の予定候補を、岡山県党が発表しました。

植本完二さんです。県の書記長をしている人ですが、久米町の出身ですから、良く知っている人です。若いころは、津山民主商工会に務めていました。彼の若いころから良く知っていますが、まじめな青年という印象でしたが、今は、青年ではありませんね、それなりに年も取り、貫禄もつき、県党の幹部です。参議院全国比例区の予定候補、春名なおあきさんとのペアーで、大きな躍進をです。

中央段階での「野党共同の選挙の在り方」がどうなるのか、いまだ見えてきませんが、できれば「戦争法廃止」ができる政府づくりへ、協働の候補者が生まれることを期待はしますが、出来なかったら、植本さんが頑張るという、少し、微妙な形の候補者ということになりますかね・・。いずれにしましても、よろしくお願いしますです。

★参議院で勝てる党になる、これが当面の目標、そのために、津山市で何が必要で、どうすべきか、を話し合い、一定の方向を出しての活動開始というところです。人ごとでは、大きくはならないのは分かりますが、なんとか、大きく、強い日本共産党津山市委員会になってほしいの心からの願いです。



★私の方からは、7日の雑記でしたか、書きましたが、澤地久子さんらが呼びかけました、毎月3日午後1時からの「アベ政治は許されない」のスローガンを掲げて、全国どこでも、誰でも、一人でも、抗議行動を起こそうという呼びかけ、津山平和委員会の責任者をしていますから、何とかしたいなの思い、何らかの行動を起こしたい、起こすべきではないだろうか・・・と問題を提起しました。

今、市民有志の会が毎日、午後5時からおこなっている文化センター下交差点の行動、そして、定例的な朝の宣伝も行っている有志の会、新日本婦人の会が行っている毎週火曜日に行っている朝7時40分からの行動、そして、革新美作の会が行う第3金曜日のサイレント、原発ゼロの日本をめざす実行委員会の行う第2木曜日の抗議行動、美作原水協の月一回の「6・9行動」、日本共産党市議団は週に2回朝宣伝をしています、などなどがありますが、これに加えて、「毎月3日」にあつまれるかどうか、いろいろとある日々、しかし、なんとかしたい全国統一行動です。


11月9日(月)「さくら会館」移転に関する課題多し


★今の「さくら会館」には、介護事業所・支援事業部、豊かなまち人つくり津山ネットワーク、NPОさくら会館、さくら産直共済などが入っています。国道53号拡幅工事に伴って、移転対象物件となり、立ち退きを余儀なくされ、先日、補償費などの額が国土交通省から提示がありまして、いよいよ本格的に「立ち退きについての話し合い」の結論を出さなくてはいけません。

結論を出すにあたって、どこに引っ越すのか、その費用はどうなのか、最低でも「さくら会館」野活動全体に必要な条件が揃えられるのか・・・そして、幾つか、行政の「許認可権」に伴う仕事もしていますから、認可基準に合致した「建物」に引っ越さなくてはいけません、基準に「合致」していない場合は、当然合致するように、改善・改修も必要です。

★働く人たちのために「駐車場の確保」も一つの課題ですから、色々と準備をして、心構えもして、「立ち退きを受けるかどうか」の結論が必要です。何でもよいから、Оkとはなりません。

介護事業所、ケアマネの事務所という点では、県振興局健康福祉課の指導の中にありますから、事務室の在り方などを「改造前」に間違わないようにしたいなの思いもあり、報告かたがた振興局への訪問の日です。

あわせて、移転する予定の地権者と野最後の「契約」についての連絡、一番しんどいのが、駐車場としてお借りした糸思っている権利者への話、色んな事の「見通し」を建てて、立ち退きの方向性を定めないと、単に、立ち退きを決めるだけでは、どうにもならないと思える、金曜日・土曜日は、そうしたことでの「改修」「古屋の解体」などの見積もりを専門業者にしてもらった結果の報告を聞いて、若干無理なお願いをして、、そして、総トータルで「立ち退き補償費と支出総額」のバランスも考えて、、と、それなりに頭を使うこの頃です。

12日に常任理事会と理事会を招集、金曜日に「それぞれの会議の案内ハガキ」を作成して、表書きはYさんにたのんで、郵便局に行く用事ありでついでにポストに投函して、今日からは会議に提案する「討議資料」作りへ・・・、今日の昼間は、党市委員会の会議、中々、ゆっくりはして居れないかなの日です。


11月7日(土)「アベ政治は許されない」の怒り!

★今日は土曜日、革新の会美作(憲法を暮らしに生かす美作の会)が定例的によびかけています、サイレント行動です。ここ数カ月は「安全保障法」(戦争法)許すな、日本を戦争する国にさせてはならない、等のスローガンを掲げての正午から1時間の行動です。戦争法が強行採決されてからは、「何としても廃止へ、このまま黙ってはおられない」の思いも強く、無言の抵抗というところです。

澤地久子さんらが呼びかけました、毎月3日午後1時に「アベ政治は許されない」のスローガンで、全国どこでも、誰でも、一人でも、抗議行動を起こそうという呼びかけ、11月3日が「事始め」でしたが、私は、何もすることなく過ごしてしまいました、と、いうよりも、意識の中にしっかりと入っていなかった、と、言うのが、恥ずかしい話ですが実態です。津山平和委員会の責任者をしています、その事は別として、個人として、やはり、何らかの行動を起こすべきでした、来月からは「忘れない」ように、どの地点が良いかを考えながら、一人でもやれることですが、できたら多数が良い、「ごきげん」などを通じて、呼びかけて、継続してみたいなの思いです。

★澤地さんらが、何で、3日の日を選択されたか、その呼びかけの趣旨を見てみますと、今の日本国憲法が制定されたのが、1947年(昭和22年)5月3日ということで、3日が「決められた」という事のようです。平和憲法ということで、世界遺産にでも登録すべきうごきもある世界に誇れる「憲法」を守るという心ね、というところです。

アベ政治は、許されない!の内容は、多すぎますが、憲法9条があるのに、戦争ができるように企ててる事、戦争法の課題、が一番かな・・・順不同というべきかもしれませんが、それでも、あえて1番でしょう。

後は、順不同、TPP合意への道、沖縄の辺野古基地を巡る「オナガ知事」への強権発動、原発再稼働への動き、これらが続きます、さして、社会保障や教育制度の「改悪」へと続きますが、本当に、アベ政治は悪すぎます、何とかしたいの思い、多くの国民の共通の心だと思いますが・・・。

そんな思いの土曜日の朝です。

11月6日(金)津山ネット・さくら会館三役会議

★今日は金曜日、しんぶん「赤旗日曜版」の地域配達の朝です、通常の日刊紙に加えての日曜版です。最近は、少ない地域ですが、「ごきげんいかが」しか織り込みはない、「ごきげん」が入らない地域が圧倒的に多い津山市内です、どうなんでしょうか、「支部ニュース」とか「議会報告」とか、出しているような、出していないような、時折、話には聞きますが、出す回数は少ないのかな、・・・と、すれば、「ごきげんいかが」の無い地域は、何にも織り込みなしで「日曜版」のみ配達かな・・・・・明日の日刊紙には、「日本原基地調査の案内・平和委員会」のチラシをお願いする予定、さくら会館のYさんに印刷など手つだっもらい、今日ポストに持っていく予定ですから・・・議会だよりくらいは、毎週ほしいな、そんなことを思う朝です。


★昨日の午後は、津山ネット・さくら会館・支援事業部の「三役会議」でした。中心的な「課題」は、国道拡幅工事にともなっての「さくら会館移転」に関する方向性の話し合いが中心的な相談でしたが、10月度の活動について「反省・総括」なども行いました。

1週間後の12日(木)に、理事会を開催して、現在の国土交通省の提示額を「受け入れるかどうか」の最終結論と、移転場所、移転物件の改修、駐車場整備などへの在り方とか、「受け入れる」と仮定しますと、3月末には、現在の「さくら会館」を取り壊して、整地して、国道拡幅工事に備える、国に土地を売るということになります。その全体像を再度確認もしてもらい、最後の決定をしてもらう予定です。

★この1か月の総括という点では、10月20日に行った、市民「協働」団体と津山ネットにおける、市民要望を午前中は教育委員会へ、午後は、市長部局へと、話し合いを行いましたが、参加人数が年々減になっている傾向や、そもそものところで、市長と教育長が、ほぼ、1日かけて、私たち、市民協働団体と話し合いに応じてくれるのか、等の経過、価値観などを知る人も少なくなっており、今後への「課題」を検討することとしました。

また、10月24日~25日と三重県伊勢市でおこなわれた、人権問題全国研究集会、野3か感想など話し合いました。伊勢市で、今でも、地区めぐり・フイルドワークという馬鹿げたことをしているという話には、呆れてものが言えません、驚きの実態でした。バカにするな!と怒る人はおらんのか、何で、今の時期であろうと、昔であろうと、未来であろうと、子どもたちにしろ、大人にしろ、「ここが差別されてきた地区です」と観光地のように行政や教師が「案内」するのか、どだい無茶苦茶なことではないか、、、怒り、と、腹立ちと、悲しさと、まぁー、なんとも言い難しの実態でした。来年は、埼玉県で開催される予定など報告がありましたが、来年度への対応策なども話し合いになりました。




★東日本大震災・巨大津波、そして、原発事故、あれから4年とはんとしがけいかしましたが、「市民の暮らし」という点も含めて、中々「復興作業」は進んでいないようです。岩手県宮古市もまだまだ「復興」は無理な感じです・・31日と1日と2かけて、県人権連青年部が緒切ボランティア活動で出かけました。津山からの支援物資も届けました、その青年部の「活動」を宮古ボランティアセンターのブログで紹介していますcp宮古ボランティアセンター ブログから見ることができます、一度ご覧下さい。
11月5日(木)市議会報告会について

★第6回津山市議会報告会が、明日、6日(金)18時30分に4会場で開催されるという案内です。現職を離れていますから、きわめて第三者的、責任も何にもあることではありませんが、どうなんだろうか、と、あたらしい市議会の「あり方」に興味がありますから、気にしていた活動の一つですが、継続的に開催する、ということのようで何よりです。

~市民と議員が語り合う会~と名付けられています。6月議会と9月議会の様子を報告し、その後、市民との意見交換会ということになっています。
今回の「意見交換」については、第五次総合計画について、を大きな柱としているようです、そして、各会場ごとに、総合計画の、街づくりのテーマを、各会場ごとの「小テーマ」として、専門的に論議する形を取られています。

★中央会館 テーマが「人と文化を生むまちづくり 総務文教委員のメンバー
★加茂支所 テーマが「健やかで安心できる支え合いのまちづくり 厚生委員会
★津山東公民館 テーマが「雇用の創出と賑わいのあるまちづくり 産業委員会
★勝北支所 テーマが 都市機能の充実した快適なまちづくり 建設委員会のメンバー

という案内です。初めて、会場ごとにわかれたテーマで議員さんたちが望むようですが、多分、一応は区分の様な事になっていますが、「こだわりなく意見を出してほしい」ということではあろうかな、と、思いますが、何人の市民の方が参加するのか、・・・以前は、案外「参加者は少ない」というのが実感でした。沢山の市民の方が集まれば・・・と、思いますが、私も、前から「行事」が予定されており、参加できそうにもありませんが、明日です、皆さんご参加をしてみましょうのご案内です。この案内も無責任な案内となりますかね・・・自分は参加できないが・・・ですから。



昨日の「ごきげんいかが」への感想、ご意見、少し、追加記事です、その前に、早速、感想を送ってくれた人があります、メールで感想を寄せていただきました、早々とありがとうございます。今後ともよろしくお願いします・・・

思いでづくり、という内容ですが、「ごきげんいかが」への思いで、感想もですが、皆さんが生きてこられた人生の思いで、44年前から、私との縁もなく、「ごきげん」も離れて、自分の生きた証、いわゆる「自分史」のような感想もありましたら、お寄せ下さい。そんな感想でも、私の作る雑記・雑感の中へ、思い出として残しておきませんか、・・・名言、格言、・・・のようなものを、珍言でも、・・・と、いう感じでもあります、よろしくお願いします。

あかはた新聞にいれる「紙面のごきげんいかが」は、93号ですから、このままいきますと、12月24日号が、1300号となるのかなと思います。したがいまして、特別号として、新年のあいさつとか、長い間ご購読いただいたお礼とか、誤字物語とか、ゴジ楽フアンとか、拒絶反応への苦闘とか、色々ありますから、24日号と新年号が「合体」(多分、赤旗日曜版も合体と思いますから・・)させて編集して、1月7日か14日がおわりでしょうか。。。

そうしますと、このホームページの「雑記帳」も、丁度、その日が、終わりということです、後、2カ月です・・・・、最近、紙面の「ごきげん」も、この「雑記帳」も、書くことが「とぼしい内容」になりつつあります、自分が一番良く分かります・・・・議会と役所の中、政治の裏表、が、見えませんから、仕方ないこと、・・・

市民の方が、よく政治が良く分からない、議員は、何をしているのか見えない、ということを言われますが、まさに、そうでした、見えませんね・・・わかりませんね、です。わからないと「面白くない」です・・・

ある読者が、「安倍の悪口は、赤旗に書いているから、よろしいから、《ごきげん》らしく、そればっかりでなくて、市議会のことかいてくださいね・・・」と言われたことがありますが、まさに、ズバリでしょう、書く側の私が、一番感じていることですから・・・そんな指摘をしてくれた人、この記事を読まれましたら、その事でも、感想くださいね・・・。

あれや、これや、思うこのころの雑感です。


11月4日(水)「ごきげんいかが」1293号作成の日

★京都にいきまして、気が付きましたら、今日は、「ごきげんいかが」の作成日・水曜日になっていました、昨日気が付きまして、あわてて作成日時、号数とか休日当番医などの「書きこみ」を終えまして、今朝から作成へです。その記事の一つ、が、

「ごきげんいかが」へご意見をお願いします、の記事です

―11月末から12月にご紹介の予定記事へ―

市議会議員を辞してから「末永弘之の暮らしのニュース」としました、それまでは「市議会報告」でした。それらを通じて、読者の皆さん、何か、心に残る出来事、感想などを、すみませんが、お手紙(切手代金ご負担お願いです)か、メール(末永弘之で検索ください、HPかブログ画面で「自宅アドレス」が表示されます。)思いでづくりとご理解ください。

こんな記事を明日の日刊紙、今週の日曜版に入る「ごきげん」に書きますが、この「雑記帳」も同じ内容をお願いです、よろしくお願いします。hirosue0723@gmail.comが自宅のアドレスです。ここ※自宅メアドをクイックしていただければ、メール画面が表示されるとは思いますが・・・・。なぜか、表示されない場合もあります、私のパソコンからは何回しても、つながりませんが、繋がる人もありますから、試してみてください、画面表示がない場合は、アドレス作成して送ってくださいね・・・よろしくお願いします、匿名で良いとおもいます。来年の1月14日が、ホームページをたちあけでしたから
15年になる「節目」の日時です、この日で、雑記帳を綴じる、閉じるが正解かな・・・そして、「しんぶん赤旗」をつうじてお世話になっています「紙面のごきげんいかが」は、1月1日後、1300号でもって「編集の終わり」とします、偶然にも、同じ時に、「節目」となる面白さかなです。


★国道53号線の拡幅工事に関係して、「さくら会館」の移転問題、国土庁からの「補償費の提示」を受けまして、今月中頃までに、津山ネット・NPОさくら会館・さくら介護センターの役員会を開催して、最終の結論、国土交通省・市役所などの関係者に連絡をして、立ち退き問題を整理、具体的に前に向けたいの思い、この事も、12月末までにはキッチリと方向を出しての「節目」としたいの思いの朝です。


11月3日(火)文化の日で祭日です、もう、11月です


★31日(土)~京都へ、2日(月)の夜に帰る、月末から月初めへのお出かけでしたから、この雑記も、月をまたいで「お休み」でした。3日目からの書きはじめです。

★京都は、部落問題研究者集会へ参加、この集会だけでいいますと、1日の午後5時前には終わりましたが、そのまま帰宅するとかなり遅くなりすぎるので孫たちとも会えるかなと、一泊した関係で、昨日は、小雨の中でしたが、ゆっくりときょうとの「秋」をみてこれました、と、言いましても、紅葉には少し早い、まだ、うっすらと紅葉が始まったかなという感じでしたが・・・

研究集会は、18世紀の皮かわの流通形態を、身分制度など併せて「津山藩からみるりゅうつうのありかた」との題目の分科会へ、資料などを「宅急便」にしたために、今朝は仔細、正式な名称などがわかりませんが、比較的若い東京大学研究所の女性の先生の報告、勝南郡日上村の住民の話、大阪奉行所から、最近津山藩などからの「皮かわ」の入荷が少なくなっている、なぜなのか理由が知りたい・・・こんな通達、(下聞というらしいが・・)が出され、其れに対して、日上村・川崎村・円住寺村などから「返事」をしている、ひの古文書からの紐時の講座、「もともと大阪にハ送っていない、大阪の同類のひとが買いに来た時に、あり合わせで打っていた程度、播州の同類が回に来た時も、おんなじようにしていた」という回答を、日上・川崎などはしているがも、円住寺村は、そもそも船30層ていど大阪に送っていたが、最近、播州の同類が「現金で高値で買いに来てくれる」から、そちらに売っている、大阪には、8層程度しか送っていない」との回答などをしていた。

そして、日上などの人たちは、大阪との取引を始めるが、「前納金・予約金」のようにして、売り買いの約束をしていたが、約束を守らない、と、訴訟にまで発展しているということなどもわかり、色々と「皮かわの流通」から、18世紀の頃の日上の様子がうかがえ、考えること多しでした。

質疑、討論の中で、勝南郡日上にすんでいる末永ともうしますが・・・から、幾つかの質問や日上の様子を報告。。。古文章という「なじめない・よめない」文字からの話でしたが、事前に、津山の博物館で少しお話を聞いて、資料などもらっていましたから、それでも、やや、話には、着いていけましたということでした。