あなたならどうする!
全解連津山市協議会(委員長/末永弘之)が22年前から行っています、-本音で語る-部落問題シンポジウムで学んだことです。私たちは、シンポジウムで「差別するな」から「差別されない人間作り、地域づくり」をめざしてきました。そして、こんな意見に出会い、悩み、苦しみ、考え、到達したのは・・。
その1 ◆「お前は同和地区か」の問いかけへの対応
その2 ◆同和事業は行き過ぎ、逆差別だ、の問いかけ
その3 ◆もう「差別はないと思う、なんとも思わない」
その4 ◆幾つかの雑感と津山らしさを生んだ物語
その5 ◆子どもに教えるか?何を?部落民であることを?
上記の4つの課題での私たちの歩んだ実践の中から生まれた経験、私たちの取り組みはクリックでご覧下さいね。
「部落タブーをなくしたい」の願いで出発したのが本音で語るシンポジウムでした、そして、地区内の生活習慣や教育・文化の「チョッとした違いの克服運動」を手がけ、1990年代に入って、全国へ、部落問題の新たな潮流として゛夢発信゛させてきました。 |
☆部落タブーをなくしたい、との願いで
1981年7月13日
―本音で語る―同和問題シンポジウム
を開催し、それまでの「一方的な話、講演、差別の現状分析」をやめて、挨拶だけとし、誤解や偏見も・・・、差別と思われる意見も・・・・、ともかく市民の意見を黙って聞きました、言い訳もしかけましたが、しませんでした、誤解だと立ち上がって言いかけましたが、それは・・・と解説をするために腰を上げかけましたが袖を引っ張り合い何とか思いとどまりました、やめました、確認糾弾は精神的拷問である、との意見もだされました・・・、唇をかみしみてうつむいて・・・、黙って聞きました、10時から昼食で終わるかもしれない、本音は言わないかもしれないので昼で打ち上げと考えていましたが、午後3時過ぎまで・・・・、閉会の挨拶だけはしました、そのとき、やや高齢の人が、私の手を固く握って・・・・涙して「おまえさんは、どえらいことをした・・・」と感激をしてくれました。その手の温もりが忘れられなくて、22年続けてきました。
政府の諮問機関、地対協のいわゆる「磯村指針」で「部落問題といえども自由に語り合える土壌が必要」といわさしめた3年前の出来事でした。
今22年目、―本音で語る―
人権・民主主義問題シンポジウム
へ発展、市民の同和問題解決への本音を聞き、「差別するな」から「差別されない地域、人間づくり」を目指してきました。
第21回-本音で語る-人権・民主主義問題シンポジウム2月3日開催しました。さくら会館HPへリンクしてシンポジウムの模様はご覧下さい。
22間歩んだ私たちの歴史の流れは
1982(昭57)年同和対策事業特別措置法
が5年延長されることを決定する直前から
「延長される法の期限で特別措置は終わるべき」と主張し続けました。 |
☆同和の特別の助成金や特別対策事業
はこれ以上続けるべきではない、
この決意を固めて、運動全体が実践に入ったのが1980年代後半に入ってからそして1992年(平成4年)から「教育集会所」などの特別助成を自主的に「廃止」の流れを作り出しました。
☆1996(平成8)年11月
同和の終結をめざす市民集会
☆子どもたちや孫たちに「同和」という名のつく地域がある社会では
なく、普通の社会を残してやりたい。
この集会には1500人の市民が参加し、このスローガンを作り出しました。そして、解放同盟が一定の影響力を持つ中、行政ぐるみではありませんが、市民の側から、同和地区の側から、同和の終結を実践し、行政や教育をも動かし、ほぼ同和をなくしてきました。
☆ いつもでも同和・部落ではない、限りなく同和をゼロに
このスローガンは1998年(平成10年)7月でした。
そして、同和団体からの脱皮、特別助成金(補助金)からの脱皮をめざして産地直送運動・助け合い共済会に加えて、欠陥だらけの制度ですが、介護保険制度の導入にあわせて、介護センター開設などの新しい運動を展開しています。(私の夢発信講演の原稿です)
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