同和があるのが正しくないの教育へ

★同和を限りなくゼロへ、私の半生記の記録の次のテーマは「色んな思い出集」(雑感)です
子どもにどう教えるか、これも永遠のテーマといわれました。何を、部落民であることを?
→随分いろんなことを学びました、言われました、暗中模索の冴えたる課題でもありました・・・・。
寝た子を起こすなの論理に負けるな、堂々と教えるべきだ活動家なら絶対に教えなくては。

これは失礼をしています、この表題だけ書き込み、しばらく放置していました。もちろん、続きがあります、3月17日にメールがはいり、「継続はないの?、少し変」との意味合いを指摘され、ページを開いてびっくりしました。(このメールいただいてから、以下を緊急処理しました)
  表題のみで、誤解を与えたまま日にちが過ぎたようです。最後まで、一気にはいきませんが、柱立てぐらいは書いておかないと誤解になりますね。本会議が始まる前ぐらいからは「議会関係メニュー」が動き、普段は「政治の動き」や「同和・人権」の半生記の記録メニューが動く、こんなことになりつつあります。これは3月17日に打ち込んだ言い訳文書です。そして、3月24日の日曜日に加筆、修正、整理をいたします。
☆4月27日に追加して下記を全体的に「整理」したり、表題をつけたりしました。

私の20歳代前半、「寝た子を起こすな」では差別はなくならない、とも指導され、寝た子とは「自分が部落民であるという事を知らない」ということであると理解させられました、ここからが出発でした。
★知らなかったら大きくなって困る
 自分が同和地区出身者である、部落民と知らなかったら「必ず大人になって差別される。その時に苦しむ・・・から」と悟され、「そんなものか」と考え、その言葉をオーム返しに友達やお隣のおじさんやおばさんに話していたのが30年も前の物語となります。
★部落ってなに、どうして私のところがなったのか。
「部落民って何」「どうして私のとこ(地域)がそうなのか」「私の父親は違う?から4,5か」こんな日常会話がまかりとおる地区の中でした、身分制度の歴史や、武士の世界や階級制度のしくみなどは、やや勉強できますが、「なぜ○○がそうなのか」という疑問には答えが出せず、山間僻地、狭隘な谷間、湿地、河原田、色々と「社会的に悪い現象」の説明をし、「だから」と言う疑問符を解く努力はしましたが、だめでした。戦国時代戦に負けたから、落武者だから、乞食だから、怠け者だから、色々と説明しても、侘しさだけが残りました。私たちの祖先は、そんなに「悪かった」のかな?。
☆どう教えるか→あんたは部落の子どもなんだよ、そうなんだけど、差別に負けるな、頑張れ、そして、必ず《今はなんともない、?、今は平等なんよ?》とさとすようになっていきますが・・。
★よう教えん、何ともない、と言う教えしかできない。
部落民の認定書はあるん・・・。昔はそうでも、今は何とも無いんだろう、差別してはいけんのだろう、なんで嫌われるのか、「私はよう教えんけん末永さんが教えてん」と随分いわれました、子ども会をして教えるか、?、なんの子ども会、部落の、→農村地域では一定の集落を「部落」と使用している、その「部落」と我々が問題にする「部落」はどう違うか、そもそも、士農工商エタ非人とは、身分差別とは何か、ここでも随分と論議がありました。
★差別をなくする運動をしなくては、運動で自然に子どもに教えるのが理想。
昔は「そうだった」が「今は違う→差別は生きている、差別はある、が、許さない運動が大切運動をしなくては、運動の中で子どもに自然に教える、子どもらはわかっている、」?、?の葛藤が随分と続きます。部落解放運動を行い、集会や学集会などに子どもの手を引いて参加し、わざわざ教えなくても「子どもは自然に覚えている」というのが、もっとも理想、多くの先生方は「やっぱり素晴らしい活動家、それが理想だろう」等など随分といわれたものです、が、誰もができる芸当ではアリマセンでした、普通の生活をしている人たちは、とてもできないことでした。しばらくは「この理想像の親づくり」は言われていた感じがします。
暗中模索、教えなくては・・・との前提は消えませんでした
☆どないしたら同和でなくなるん
☆どないしたら地区の人になって、同和事業をしてもらえるん
☆末永さんらは、もう子どもに教えてくれているのでしょう→娘や息子が小学校の時、先生から問いかけられたのは一度や2度ではありません
☆先生らはどのように教えとんか
☆○○地区は同和地区とか△△さんは地区の人と教えたら差別になるんではないの
このあたりになりますと、思いつくまま、そのとき、そのとき、頭にひらめいた言葉を勝手に言いたい放題をいっていた感じですが・・・、?、おかしいよ、どこが、?、どこかがの連続でした。
する相手に言わなくては・・・?
この生活相談が?と感じた最初の課題、本当に真剣な自問自答が続いていきます


☆娘が恋愛で結婚しますが、まだ教えていません、末永さん、絶対に教えなくてはいけんのぉー、私はどう言うたら良いのかわからん教え方があるん、教えたくない、おしえん、
→涙ながらの親の相談、何回か迷い、迷い、そうじゃなァー教えん場合だってあるなァー、あっても良いはず、そもそも地区の人とはなにか、どこに認定書があるのか、孫が出来ても孫は地区の人か、他所の人か・・・・・・、
★やがて私たちの方針に変化が生まれてきます。


方針化まではいきませんが、考えは変化します。
☆それぞれの人生観は認めるべき、教えるのだけが万能ではない、生涯「部落民」として自覚をもたなくても、知らなくても、それはそれでその人の人生、→この子たちの人生も認めてやるのが、民主主義、一人一人を大切にする社会作りではないか・・・。
☆高等学校の奨学金申し込みの手続き、地域に親を集めて説明(自覚をもたして)をして書類を書いて、いつまで続くのか、どうする、この時は地区の子どもと認定を誰がする、何を根拠に・・・
「地区の子ども」と認識をしなくてはナラナイ→奨学金をもらうのだから?
→知らないともらえない(後には貸付制度になる)のか?
→知らなくても良いはず、お金は貸してもらえるはずですよ、・・・・、、

もう、言うまいか、結婚のときに「相手に伝えることは解放同盟流の→部落民宣言である←言う必要はないかも」、かも、に力が入った時期もありました。

それでもばれたら?どうするん、わかったら困ろう?
☆尋ねられたら正式に教えられる力をもとう、?
→この命題を考え出し、今、思えば「教える必要がない」との明確な方針を出すことへの「ためらい・怖さ」のようなものを合理化、言い訳するために出した方針のような気がしますが、「たとえ教えなくても、子どもたちが尋ねたら正確に教えてやろう、そんな大人になろう」と真剣に、部落史などを学びます、「身分制度は・・・・」「運動の歴史は・・・」と、しかし、?、?、が続きます。

☆何を、どう教えるのが正しい教えなのか?
この命題にぶつかり、また、また、葛藤です、教えられますか?、
大人でも「わからない部落の問題、身分制度の歴史程度は・・・」それを、子どもにどう教えるか、?、しかも、わかるように、「お前は部落の子で・・・・、負けるなよ」?、

★「部落民だけど、心配するな、昔は○○であったが、今は平等だから、心配イラナイ、しかし、世の中には差別が、まだある、負けるな、頑張れ」→コレッテ、何、
無理して子どもたちに「言うな、言う必要はない」
☆子どもに教えなくても奨学金はもらえる、無理して教えなくてもよい
→この方針を奨学金説明会で公式に言い始めたのは、いつ頃か、勝手な論理かもしれないが、親の顔色がかわり、びっくりし、本当か、と心配もされ、新しい葛藤の時期が2〜3年は続いたでしょうか。
ここが決定打でした→
★何をどう教えるか、そうだけれども、そうではない?の連続が続いていきます。昔はそうであったか゜、今はちがうけん心配いらない?、

★なにがそうだったのか=差別があった、が、今は無いけん頑張ればよい?、今は違うんかな?、本当に違わないのか、大丈夫なのかな、本当に、何をどう教えるか、違うのだけれど違わない、昔はそうであったが今は違う、今は違わないのだから安心して、頑張れば差別されない、昔は頑張ってなかったのか、むかしはあったが、今は無い、悪い心の人が差別する、だから差別を許してはならない・・・・、これが正しいのか?でした。

そうだけれども、そうではない?の典型教育?
そうでないのなら教えるな
そうであるとは何か、私らは部落民か、?、おかしな教育があったものだよ、・・・、

★でも昔のことで、今はないのだから・・・、? ドウシテモ、ここに返ってきます、昔は・・・で、今は・・・だ、だから、そうなんだけれども、そうではないのだ、だから安心して、頑張れ、差別に負けない人間になれ・・・

★どの子どもにもわかる教育を、私の教育目標、これは正しい目標、だとすれば、そうだけれども、ソウデハナイ、こんな教育でわかるか同和教育、子どもに?

★お前は部落民だ→自覚する教育、だれが自覚させるか、親が、先生が、自然に・・・。こんな無茶な教育は無い、自然が良い、自然の教育は、?、教えて何を残すのか。
同和を乗り越えた若者たちの結婚は?
近年、同和問題を乗り越えて結婚する例は多くなっています。
★「同和・部落問題」をしっかりと学んで、理解をして、「分かった、だから部落の子を好きになって差別を乗り越えて結婚する・・・」!、そうなんかといいますと、「おっちゃん関係ない!、何をいようんなら」と必ずいいます、「自分が好きになったら、結婚してもえんだろう」といいます。
★関係ない、んですよ、部落問題を乗り越えて結婚した、素晴らしい経験だ、「同和教育の成果が出てきた・・・」なんて、一生懸命「同和・部落」と関係して考えようとするのは、特定の年齢層と特定の「教育・運動」を考えている私たちだけです・・・・、当事者の若者たちは「関係ない」といっています。では、何が「同和・部落」を乗り越えさせているのか・・・。日本国憲法の「婚姻の自由の規定」です、これが、若者たちを変えました、時代の流れ、歴史の動き、社会全体の近代化です、・・・・・。
この流が、部落問題でもっとも困難で、最後まで「残る」と危惧されている「結婚問題」を乗り越えました・・・。

★ここから言えることは、ことさら「同和・部落」を特別に教えるのではなく、日本国憲法の「民主的要綱」、教育基本法の「人が人を大切にする」という理念、ここをしっかりと教えれば、「部落問題は解決できる」・・・・・、これが、私たち津山がつかんだ経験です、「特別の教育や制度を教える」のではなく、普通のことを教える、当たり前のことを、普通に教えていくことだけで、部落問題はなくなります。

★それでも「聞かれたら答えてやれる親になろう」と数年は方針化していましたが、今は、それもなくなりました。全国で「同和教育・解放教育をやめてほしい」「同和という名の付く特別の扱いはすべてやめてほしい、
わざわざ教える必要は無い
 部落民宣言に等しい教育はするな、やめよう

★「子どもたちや孫たちに「同和」という名の付く特別の地域がある社会ではなく、普通の社会を残してやりたい」
→全国水平社創立75周年、津山市協議会創立45周年で高々と歌い上げた、津山市協議会の「市民へのアピール」です、このスローガンが運動の貴重となり、私たちの新しい運動の目標が定められていきます。そして、特別対策事業のない時代づくりへ、同和地区という「汚名」を返上する、線引きをなくする方策の研究に入ります。同和という名前が、特別の対策が、特別の地域が、そこにある限り「同和地区の人、同和といわれる」?
★いつまでも「同和・部落」ではない、限りなく同和をゼロに」、この方針が数年前から生まれてきます。

★やがて、同和が「ある」ことがおかしい
というべきであり、色々と理由をつけて特別に扱うのがおかしいと明確に方針化していきます。
★お前は「同和の子どもだ」と教えるのではなく、社会にそんな言葉や対策事業や、特別の扱いや、それを利用したりすることがあるのが「間違い」と教えてやればそれで充分です。それ以上は、絶対に不必要です。
★ここまで、到達するのに30年、苦悩がありました、抜け道の無いトンネルから抜け出たのは、やはり本音で語るシンポジウムを支えた私たちの心構えでした。普通の教育で事が足りる、それは、憲法や教育基本法の定着という社会の流でした、近代化でした。

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