私の半生記の記録/5月12日
−部落解放を歴史に綴じて、同和・部落のない時代へ新しい扉を開いた日の物語−
 5月12日(日)
全国水平社創立80周年
津山市協創立50周年
記念集会

★水平社創立から80年、私たちは「部落解放運動にさようなら」を決意しました、それは、子供たちや孫たちへ「同和」という名のつく特別の地域がある社会ではなく、普通の社会を残してやりたい」との運動のスローガンを実践する上での、「部落」と冠をした団体があることが矛盾を生んでいる、「いつまでも同和・部落ではない」とすれば、「部落を冠した団体」の責務は、その名をなくすること、運動の必要がない社会をつくる未来へのロマンであるからです。

そして
 −5月12日に新しい時代の扉をひらきました−

      豊かなまち・人つくり津山ネットワーク
               (通称 まち・人つやまネット)を立ち上げました。


★午後1時からベルフォーレ津山で「豊かなまち・人つくり津山ネットワーク」の立ち上げ集会が行われました。
写真は、旧全解連津山市協議会委員長として「開会挨拶と経過報告」を行う末永弘之、「私たちのいつまでも同和・部落でない世の中をめざした運動が、今、大学のキャンパスの中で『さくらヘルパー2級養成学園』を開講することになりました。ここまで私たちの運動がきました、・・・と訴えたときは、感無量、少し、涙ぐんだものでした・・・・。
◆前日の11日は前夜祭でした。
★5月11日夕方太田真季さんを迎えリハーサルと歌声の練習をしました。県外から滋賀県甲西町を中心として20人、徳島県阿南市から8人、広島県加計町から2人を迎え、鶴山ホテルで「夕食懇親会」でした。太田さんは「のどの保存」で別行動でしたが、津山から15人参加、40人の賑やかな懇親会は、本音シンポジウムで培った定番、この懇親会が県外の人は「たまらなく良い交流会」と称してくれます。
★達田市議(阿南市)/私/松本町議(加計町)/西野全解連徳島県委員長
◆12日当日は、8時45分から50回記念大会/全解連津山市協議会の最後の大会でした。
全解連津山市協議会の委員長として、最後の第50回大会は5月12日午前8時45分から津山文化センターにおいて開催しました。代議員60人召集で53人の参加でした。
水平社創立以来80年の「部落」と名づけた運動にさようならをし、未来の歴史研究のために、部落問題の「亜流・逆流」などを許さないために、未来へ゛夢゛を託して「綴じ」ました。大会議長は山本幸恵さんでした。
全国水平社創立80周年
津山市協議会50周年
女性部28回  記念大会

これが、正式な大会の名称ということになります。
この大会で「部落という名のつく運動団体を綴じる」ことを決定しました。そして、新しい時代の扉を開くにふさわしく「豊かなまち・人つくり津山ネットワーク」という名の「平和・民主主義・生活向上・人権尊重」を中心として運動を行う団体を誕生させました。
綴じるとは
★綴じるという意味合いは
−大会議案書より抜粋−
新しい市民運動へ当然のこととして引きつがれる。
今の時点で「解決」すべき課題であり、完全終結へ向けて頑張っていきたいと思います。
@部落問題を閉じてしまうのではなく、未来へのロマンとして、歴史研究や郷土史検索のためにいつでも学ぶことができるようにとの思いで、閉じるのではなく綴じるのです。
A部落差別が完全になくなったものでもなく、特に、解放同盟などの部落を名乗る不貞の輩たちが「逆流」の動きをつよめており、どんな運動団体になっても、逆流をゆるさない運動を継承するために閉じます。
B政治の反動化の中、戦争という名で、社会という名で「人権が踏みにじらる」危惧がつよまる、今、差別が当たり前という時代に逆戻りしたら私達は、好むものではないが「部落」と名のつく運動を再開する、との警戒の意味をもって綴じておきます。

◆午前10時津山の歴史を知る会でした。
午前10時から、つやまの歴史を知る市民集会約150人の参加でした。
@築城400年と石垣や備中櫓などの勉強
A森家先代実録集に書かれている「えた」物語と赤穂と津山藩物語
以上は、行政の人に案内と説明をお願いしました、行田・小坂田・小島さんには御世話になりました、いい勉強になりました。
B美作水平社創立大会と鶴山館物語
このお話は美作民研の見土路先生にお願いしました。
◆美作水平者創立記念の館「鶴山会館」にて思い出をかたりあう昼食会でした。
★鶴山会館の前に飾られた看板、写真が鮮明でアリマセンが、「美作水平社創立の地・館/鶴山館」と書かれています。
美作民主主義研究会の見土路清先生・同じく美作民主主義研究会会長/津山平和委員会事務局長の葛原智・美作年金者組合の島田良平の各先輩たちと記念の一枚です。いずれの先生も「社団法人・さくら会館」の理事をしていただいています。
★この後、昔をなつかしみながらの昼食懇親会が140人の参加で行われました。79年前に、この場所で「美作水平社」が創立されたわけですから、「思い出」を語るには絶好の場所でした。でも、津山と縁の深い「全国的な全県的なある人物たち」は、返信のハガキすらよこさないで、今でも知ったかぶりの「末永批判」を京都や津山市内で行っていますそうで・・・。ここに来て「知ったげな」話をやれって・・・。
風船にのせた私たちの夢発信は空高く上がりました
★全国へ夢発信の「風船」上げ。→案じていましたが雨があがり、とても綺麗でした、どこまで飛んだのでしょうか。メッセージ帰ってきませんかね、楽しみにしていますが・・。
その後、皆で「ベルホーレ津山」(アルネ)、新しい時代の扉を開く市民集会へ移動しました。乾杯をしましたから、バスを借り切りで移動です。
新しい時代の扉をゆっくりと開きました

★午後1時から音楽文化ホール(ベルフォーレ→アルネ内にある公共施設)で新しい時代の扉を開く市民集会、400人の参加でした、ご協力ありがとうございました、今少しの参加がほしかったですが・・・。
記念式典→約1時間15分の流れ、長い挨拶と旨いと思わず感心した挨拶と、色々でしたが、私が「挨拶と経過報告」をさしてもらいました。
@80年御世話になった団体や個人、各種市民団体を4つに分離して、それぞれの関係者から代表の挨拶をいただきました。
★運動団体→的山次実県連副委員長
★民主団体、協力・共同の取り組み→武田英夫県会議員
★行政関係者→中尾嘉伸津山市長教育関係者→藤原修己前教育長
★全国へ夢発信、各地域代表→達田よし子
■武田さんと達田さんの箇所、クリックしてください、それぞれのHP関連記事へ

全解連の荊冠旗、規格の旗、略式の旗、女性部の旗3枚を、古い幹部(失礼、全解連津山の役員)によって「折りたたんでもらい」ました、そして、綺麗な箱を作って箱の中にいれて、私が「鍵」をして、綴じました
そして、会場を真っ暗にして、新しい市民運動団体の紹介
−豊かなまち・人つくり津山ネットワーク−
              (通称まち・人つやまネット)
の看板を幕から徐々にピンスポをあててのお披露目、うまく流れたのでしょうかね、舞台におった関係で実際の画面表示みえていません、ビデオを楽しみにしていますが・・・。新しい時代の扉を開きました

太田真季さんの素晴らしい歌声は元気をもらいました


★記念集会の後、「新しい時代の扉を開く/太田真季と私たちの旅立ちコンサート」で、太田真季さんの素晴らしい歌声と後藤寿美さんのピアノで楽しく時間を過ごしました。。
★少しだけ「身内」が少ないのと学校先生が少ないのが気になった。でも、後で受付名簿の整理をしたり、ビデオの編集をしたりの中で気がついたが、想像もしない人も参加してくれていたりです。参加もしてくれないで「批判する身内」よりも、何も言わないが参加をしてくれて、黙って去っていった「こんな人」の方が何となく「心和ます」のは事実である、やっぱり「人間なんだ、人と人の繋がり」なんだと思わされる。
★左の写真は「ビデオ」からデジカメにいれて挿入ですから、うまく綺麗にとれません。テレビの粒子などが入り込みます、なれてきたらうまく行くのでしょうかね・・・。

★午前中の大会の時もそうでしたが、「部落解放運動にさようならをする決意で、この大会を準備、年があけて、同和と言う地区が法の上でなくなり、まさに新しい時代が到来しました、その瞬間に、福祉学科をもつ、ある大学から「学園内でさくらヘルパー養成講座の教室を開講したい」との依頼が来たのである、偶然ではあるが、@4月1日から法律の上から「同和地区」がなくなり普通の地域となったA部落解放運動にさようならをする市民集会の最後の詰めの準備の段階で、まさに、この一瞬にである、・・・、ここまで来た、やっとの思いで、ここまで来たのです・・・・。伊達や酔狂ではアリマセン。
★まさに、「いつまでも同和・部落ではない運動」を渾身の力をこめて世にとうてきた私たちの運動がここまで来た、感無量です、との意味を述べるときは、胸にいちもつのものがこみ上げてきた、すごいことがおこったと素直に感じたものです。
★すべてが終了したのが午後4時、そして、後片付けをして小休止の後、太田真季・後藤寿美・池田あつ子さんを迎えて「さくら会館スタッフ」一同とのご苦労さん会を「焼肉千恵」で行った。ヘルパーの人など全員ではないが、2002年度「さくら会館内の末永軍団」のメンバーと「センタープロ」の思い出の写真です。

◆太田真季さんと謡った「津山の解放運動の歴史/明日があるさ」はここから

◆この集会に来賓として挨拶いただきました阿南市の達田よし子さんのHPでも紹介してくれました。

◆この時の模様をビデオ(約2時間)にしました1、000円(送料別)お譲りします、お買い求め下さい


★参加者などからメールやお礼
参加者からお礼などきました少し紹介しておきます。全体のお礼の手紙や各地からのメールは、「さくら会館HP」の記念集会画面へリンク下さい。
各位のみなさん、メールありがとう−
大会を終えて、太田真季さん一行と書記局で夕食懇親会、家に帰りますと12日から13日にかけて「おめでとう、ご苦労さん」とメールが入っていました、ありがとうございます。本人にお断りもなくですが紹介させいもらいます。
★Aさん→お世話になりました。歴史的な一日に参加させていただき感謝しています。
今後の活動にやはり「夢」をもらって帰りました。圭子さんには、てまひまかけたプレゼントまでいただきありがとうございました。参加者一同、喜んで帰ってきました。大変お疲れ様でした。
★Bさん→今日まで大変お疲れ様でした。一言メッセージをと事務所に残って打っています。今日涙を流されたこと後で聞きました。感無量の日、万感の想いでしよう。末永さんであったからこそ今日という日が迎えられたと皆思っていると思います。自から進んで動き、人をひきつける魅力が、時には強引と思いながらも皆がついていきます。ここまでうったら藤田先生が大阪帰りということで、事務所に寄られて、今まで話をしていました。行きたかったということと、やはり明日があるさの替え歌の話をするときには、涙ぐまれていました。メールを送りますとのことです。皆感じていることだと思いますが、ここまで来た運動の成果は、全解連の委員長、共産党の議員であることと同時に末永さんの人の輪を大切にする人間性だと感じています。今日から新たなスタート、まだまだ大変ですが、宜しくお願いします。うまく伝えれませんが一言送ります。追伸、圭子さんも疲れがででいませんか。いろいろとお願いをして最後はゴミの始末まで、気配りには大変助かりました。ありがとうございました。
★Cさん今日まで本当にほんとうにお疲れ様でした。(こんな一言では片付けられないとは思いますが)連日連夜の疲れも気力と迫力に負け今日まで乗り切られましたこと敬服いたします。昨日の懇親会も和やかな中にもいろいろな苦労、そしてこれからの希望、等があったのが良く分かりました.そして今日の感無量に思わず目がしらを抑えられた今までの思い、部落にいてもそんなことなど知らずにすごしてきた私です、事務所の流れも少しながら分かりかけてきた今日この頃ですが議長(今日から)の思いをすこしでも理解できるようついていきたいと感じました。
今日は本当におめでとうございます。これからのさくら会館「豊かなまち・人つくりネットワーク」へバンザイ
★Dさん→新しい時代の扉はどんな風に開かれたのでしょうね。詳細を読ませていただくのを楽しみにしています。これから、新しい時代を作り上げる仕事にまた、末永流でがんばっていかれることでしょうね。HPがますます楽しみです。とりあえずお疲れ様でした。集会成功おめでとうございますのメッセージです。

  ☆このページのトップへ帰ります。

☆参加者の皆さんの感想は「さくら会館HP」の感想文画面へ

記念大会までの準備の記録ですどんな準備があり何を考えたか?

◆太田真季さんと謡った「津山の解放運動の歴史/明日があるさ」はここから

☆写真が鮮明でありませんが、さくら会館の玄関の表示からも「部落解放」をとりました。新しい団体の名称へ早速変えました
全解連津山市協議会→豊かなまち・人つくり津山ネットワークへ
全解連岡山美作センター→(通称 まち・人つやまネット)

と書き換えました。5月13日の夕方です。

左の写真は、全国部落開放運動津山市協議会・岡山県「美作連絡会」の文字が書かれていました社団法人「さくら会館」の新しい表示板(門札)ですが、その文字を消して、「ゆたかなまち・ひと津山ネットワーク」(まち・人つやまネット)の新しい看板にしました。その前に立つ私です。デジカメで5月24日に撮影したものです。
★5月17日に書き込み記事です。
私たちの「部落解放を綴じる」ことと「新しい時代の扉を開く」こととを多くの人たちが歓迎してくれるのを市民や行政マンとの対話、集会参加者の方からのアンケートなどで感じながら全国の党議員団のHPを開いて見ますと津山の末永の名前にぶつかった、この取り組みをそれぞれのHPで紹介して下さっている、嬉しい限りです。
一部冷ややかな目と、歓迎の目の中にいる、冷ややかなのは「組織内」→何の組織かは?でしかない←に多い、価値観の違いとしか言いようがないのかな、考えてみれば「なんとはない」のである、そこまでする必要もない、のである、「終わりさえすれば良し・・・」の意見もあり、「騒ぐことはない」の目もあり、「早すぎる、やりすぎ、行きすぎ、また末永が恰好だけする」の声もありである。
80年の歴史を綴じる、全国水平社を立ち上げた人たちの気持ちを考えるときに、「やめた」だけでよいのか、日本の民衆の歴史は何か、何を未来へ残すのか、つなぐのか、綴じるものの責任と現在に生きるものの苦悩は、綴じさえすれば良いと思って企画したと思えますか?、今は亡き先輩達に「叱られるかな」と考えてきた人間としての責任と思い、それでも、それでも、と考えた企画、旗を箱に綴じて、部落解放運動を綴じる・・・、そして、新しいものをつくる、市民的に方向をみつけてもらう。
今に生きるものの責任であり、誰もがなしえない課題でもある、今の時期、この瞬間に生きている、遭遇できた、最大の喜びを味わっている、この価値観は違いがありすぎる、部落解放運動の到達点の「温度差」といわれるが・・・、それだけではない、人生の価値観の違いはどうにも埋められない・・・、今朝は、こんな愚痴が出る。




      ◆さくら会館HPのメニューへ ◆さくら会館新しい組織案内へリンク

       ◆このページのトップへリンク  ◆末永HPのメニューページへリンク


◆この日の模様を「京都研究所」と「兵庫研究所」の雑誌」にそれぞれ記載してくださいました。

◆この集会に来賓として挨拶いただきました阿南市の達田よし子さんのHPでも紹介してくれました。

◆この時の模様をビデオ(約2時間)にしました1、000円(送料別)お譲りします、お買い求め下さい

さくら会館関係 さくら会館/全解連津山市協議会/―本音で語る―人権・民主主義問題シンポジウム
全国解放運動中央委員会
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