2015年 5月雑記帳
★写真は、21日に行った「岩手県宮古ボランティアセンター」へ、復興支援市(宮古で24日に予定)へ向けて、支援物資を12人で荷造り、11個の段ボール送りました。

★1月の雑記帳
 ★2月「雑記帳」 ★3月「雑記帳」 
★4月の雑記
     ★活動の写真をおもに編集したブログ画面の紹介

 ※2015年5月憲法まもれ、サイレントなどの活動様子を写真で紹介私のブログ画面です。

5月30日(土)平和への思い、津山市民平和祭


★昨日の夜は、津山市民平和祭実行委員会でした。第29回目となります。私が市議会議長をしていた時、30年前、2015年6月議会と思いますが、「平和都市宣言」の議決に成功しまして、それを期に、この「市民平和祭」が行われることになりました。懐かしい物語・・・私の44年の議員活動の中でも、一つの実績といえると思います。色んな意見がある中、なんとか、まとめあげた宣言でした。

★昨年から、この実行委員会の「副実行委員長」役を務めていまして、今回も、副会長という役です。実行委員会では、前半が、昨年度(私たちの会=「求める会」)の方から、会計報告・活動報告を行いまして、了解してもらった後、費気づきのように、後半の議事は、今年度(平和センター=「市民の会」)の方針などが提案されまして、細かいことは別として、8月3日(月)〜7日(金)まで、市民平和祭、市役所ロビーで行う事等を、日程的なことは決めました。

★今年は、戦後70年、被爆70年の「節目」の年です、「被爆70年、平和の誓いを新たに」幾つかの、新しいアイデアなどを今後検討していくこととしました。暑い夏です、夏は、平和・原爆です、憲法改悪など」ゆるすな」「原発再稼働許すな」の運動が、まさに、大きく問われる年でもあります、気合を入れて頑張らなくてはです。


★明日で、5月が終わり、月が変わります、あたらしい6月の「雑記画面」が必要で、画面構成の為に、明日の日曜日は、当然「お休み」の日ですが、6月1日(月)も、雑記帳は「お休み」させていただきます。そして、6月2日(火)から、継続します、よろしくお願いします。

★物議を呼んでいます、

末永弘之の暮らしのニュース「ごきげんいかが」(赤旗読者ニュース)

は、「地元への配布」という事で、誤字に気を付けながら発刊します、多少誤字があったり、句読点は、末永流でよいよ、と、言われて、寛大に読んで頂ける読者の人には、なんとか、届けたいと思います、「ごきげんがない」赤旗は、やめる、と、言われる人が、集金の中でありましたが、できましたら、28-7260へ、連絡、相談ください、「赤旗」の卸ルート・配達ルートなどを掌握している党の事務所です、私では、どの配達ルートなのかなど不明です、よろしくご協力ください。

すくなくとも
「末永は、口では、立派げなことを言うてみても、所詮、その程度の議員だろう」と、下げすさむ人たちには、読んで頂くわけにはいかないという思いの強い対策です。


5月29日(金)市議団・会派控室についてのお話


★津山市議会は、会派の議員数によってわりあてられる「会派控室」があります。そもそもで言いますと、山下の旧庁舎(現在の博物館)から、今の庁舎に移る計画の都はから、「控室は必要」と主知要していまして、それなりに控室ができました。しかし、重大な「作り階の間違い」は、その時の会派の数、議員の数を「基準」として、固定した部屋のおおきさ、広さをきめて固定してしまいました。

そして、保守を中心として、いわゆる「大部屋」なるものがあり、絶対多数の「議長派閥グループ」が大部屋に陣取っていました。しかし、議員は、選挙ごとに「入れ替え」があり、2年交代の「議会人事」を巡って、会派の議員数が変わったり、会派が「消えたり」、また、「生まれたり」は常です。

何年かして、いわゆる「保守勢力」が二分されるようになり、其れに、公明・社会系統(今の民主系列かな・・)などと、少数派閥となった「保守の一つの会派」が、個々と、手を結んでの「勢力争いにあけくれる」というスタイルになっていきます。そのために、会派の「控室づくり」は、大変困難を極めて、大部屋を「2つにわける」という公示が行われたり、部屋の中を区切ったりしてきました。

★しかし、表土う名「割り振り」は、部屋のひろさが「固定している」ためにできませんから、適当に、3人会派、4人会派、2人会派など部屋の割り振りを「議長室」を中心として作っていきます。

今回も、そんな調子で「割り振り」が行われたので市鵜。。。日本共産党は、私たちが議員をしていた時と同じ「部屋」になったようです。実は、この部屋は、元々が、社会系列が数人で会派を組んでいた時に、固定して作られた部屋です。下がいまして、「間切り」はしましたが、例えば、電機回路とか、放送設備とか、は、一つしかありません、時計は、2つの部屋で一つというあり方です。

★日本共産党議員団は、元々の「控室」を作るときに、「会派別の控室を作るようにする」と申し入れをしていた関係もあり、間切りの「板」を移動式にすること、そして、いつどんな人数の「会派」が生まれても、消えても、離合集散しても、間の「板」を動かせば、平等に「控室は生まれる」と提案していたのですが、当時の「保守・ボス議員」らの考えで、「固定式、間は動かない柱で書こう」という部屋になってしまいました。中々、ふべんですね、、


★さて、何で、今回、こんな記事を書くかといいますと、議員さんから「どうも、議長が、特定の議員と相談した控室の在り方が、押し付けられた、会派代表者にも、相談・連絡もなく、割り振ったらしい」の声が届きまして、「末さん、今までは、どうやって決めていたのか」との問いかけも複数人からありまして、「今更、何で、末さんか」と嘆きの実態が生まれたから、ここに、あらためて、控室についての議事となったわけです。

私の意見を聞いたり、私にものを訪ねるというのも、おかしなことですが、「それでも、会派の代表者には、相談をしていたのではないかな・・・」と、述べてはみましたが・・・確認をしてみますと、正式な代表者会議で相談したことはなくて、議長室が、案を作って、代表者に伝える、そして、特に意見がないと、そのまま、決めて、議長室が各議員に伝えるという方法だったようです。

会派代表者から、各議員に伝えるというのが、どの程度かは、会派二より違いがあるのかな・・・日本共産党議員は、変化がないから、かもしれませんが、議会に来て初めて分かった、という意味のことを言うていましたが、部屋が変わった会派は、どうなのかなです…。



★ごきげんを私には配布してください・・。

末永さま
「ごきげんいかが」誤字があろうが、脱字があろうが、関係ないじゃないですか。多少の間違いがあろうとも、文章を読めば、内容は充分に伝わります。
上手な文章やきれいな文章を作ることよりも、何を伝えようとしているかが大事であり、それを気持ちの表れに基づいて表現することが大事なことだと思っています。


私だって、誤字や脱字はよくやります。しゃべっていても、出てこない言葉もよくあります。その時に、口調の変化や表情の変化、身振り手振りを使ってでも、何とか想いを伝えようと一生懸命になります。末永さまの文章は、臨場感あふれる表現がとてもよく見える文章で、誤字脱字などは、まったく問題視する必要がないと思って読ませていただいておりましたのに、昨今のブログでの書き込みや雑感は、さびしい感じがしてなりません。
どうせ、陰口を言った人たちは、末永さまほどの臨場感や重視すべき問題の焦点が表現できない方々でしょう。とるに足らない意見と考えられたらよろしいかと思います。

はっきり申し上げますが、ごきげんいかが の無い「赤旗」は、私にとって、興味のないものとなってしまいます。今後とも、私の分にだけは、挟み込みをお願いいたします。挟み込まれなくなれば、購読を中止する覚悟です。・・・・・・・・・・

長々となってしまいました、今後ともよろしくお願いいたします。

ありがとうございます、なんとか、配布できるように考えますね、どうやって、届けますか、はありますが。、


5月28日(木)市議団が呼びかけた市政懇談会

★昨夜は、美見・中村の二人の日本共産党市議団がよびかけた「市政懇談会」に参加、10数人の参加賀ありまして、参加者のそれぞれの人が、市政に対する思い、要望などを「意見」として出し合い、話し合われました。

何としても、「地方の政治の舞台から、戦争は嫌」という声をあげよう、などの意見交換、請願の扱い方など若干の「先輩としての説明」などもしまして、六月議会へ向けて、市議団と市民運動としての有り様などの方向も話し合われました。衆楽公園に関係する人が参加し、「観光という視点からも、池=どべ・ハスの軍団・生活排水の流れ込み、の、問題が指摘され、これからなつになると一層「臭いにおいが激しくなる」との指摘などもありました。何とかしたいものです。その他、子ども医療費の無料化、子育ての課題、それぞれの団体や地域の抱える問題など、市政への要望など話し合われ、六月議会での「質問戦」などへ要望、期待、が話し合われました。

そして、議員団そのものとか、議員個人個人に対する「注文・厳しい指摘・批判」なども意見が出され、午後9時まで、しっかりと意見交換でした。


ごきげんいかが、頑張って「発刊」の継続を・・・

先日来の「ごきげんいかが」の誤字などについての記事を見て、何人かの人が、意見を寄せてくれました、ご紹介しておきます。

その@→ご無沙汰しています。雑記帳読みました。「ごきげんいかが」は,末永さんのその時々の議員活動をとおしての生き様末永さんの生き方そのものをずっと書いて来られたと思っています

誤字脱字はあっても大変興味深く読ませてもらってました。誤字脱字があることを市役所の幹部職員が上から目線で批判することは大いに情けない。大らかさの欠片もありません。

初めて読んだのは,1991年(平成3年)だったと記憶しています。その当時は「西中石碑問題」に敢然と立ち向かわれる末永さんの姿勢が書かれており,また,行政のタブーにも切り込んでおられました。「孫子の代に同和を残すな!」を真正面から「ごきげんいかが」で市民(読者)に訴えられている末永議員は「凄い!人」というのが印象でした。そして末永弘之という人に興味を持ったことを記憶しています。

また,国会議員候補が来津される際には,必ず記事にされ党勢拡大を訴えておられました。市政や国政についてどれだけの人が共産党に興味を持ったか数知れません。末永ファン イコール全て共産党支持者ではありません。それでなくても末永さんが勇退されているのに。

誰が雑記帳に書かれているようなことを言ったのかは分かりませんが「ごきげんいかが」の果たしてきた役割はもの凄く大きな事・大きな意味だったと思います。「赤旗」には興味はないけれども「ごきげんいかが」があるから「赤旗」を購読している人・職員も多いと思いますし,同様な思いの市民も多数いると思います。「無茶なことをいうてはいけません」(編集者注→本会議で編集者=末永が良く使っていた言葉、と、思います)との言葉と同様に赤旗に織り込んである「ごきげんいかが」は末永弘之の代名詞であることはまちがいありません。

市会議員を勇退され,「ごきげんいかが」を廃刊となれば「悲しく寂しい。」思いで一杯です。これからどのようにされるかは分かりませんが,以上が私の「ごきげんいかが」への思いです。


そのA→ダメですよ。公約違反ですよ。1300号まで、やる!って言ってたんですから。
公約は守っていただきたい。色々雑音が聞こえてきても、わが道を貫いて下さい。黄門さんみたいに高笑いしながら、天下のご意見番を、第一線から一歩引いた今こそ、思う存分やりきって下さい。せめて、一度「やる」と言ってらっしゃった1300号までは。


そのB→元気されていますか・・・ところで、「ごきげんいかが」は、今は、入れてくれていますが、いつまでもいれて下さいよ、「ごきげん」が入らなくなったら、しんぶんをやめます・・・配達している人か集金の人に言うて置きます、私だけでも良いから「入れてください」と、配達の人に言えば、入れてくれますか・・。



こんな意見でした、メールでの意見もありますが・・・・、昨日の雑記にも書きましたが、こんな声に「悦にいって作成していた」のは間違いのない事実なんですよ。。。それが、1270号へと継続して作成してこれた「力」だったんですが、

所詮その程度の議員、党の支持を失う、党員として恥ずかしい(末永が恥ずかしい、と、言うのでなくて、゛誤字だられのごきげん゛を作る党の議員がおるという事が、党員として恥ずかしいという意味合い)、

などと言われますと、作ろうかという意欲、「力はゼロへ」へです。うんーとうならされる意見なんですよね。

きわめて、単純な人間です、今日の記事のように「うれしいたより」いただきますと、人間「力」がでるんですよ・・・意見を寄せてくれた人、ありがとうです、弱腰の自分が励まされます、弱っている時の「元気だせよの声掛け」は、素直に、うれしい限りです・・・。しばらく、こんな感じの雑記になってしまうのかな・・・この件について、ご意見などありましたら、メールででもお聞かせくださいです…そんな今朝の雑感です。

5月27日(水)「ごきげんいかが」の作成について・・


★先日から、愚痴めいた記事を書いていますが、議員を辞して、「末永弘之の暮らしのたより」と題しました「ごきげんいかが」〜しんぶん「赤旗」読者ニュースですが、今回が、1271号でしょうか、議員になった当時は、本会議ごとに「末永弘之の市議会だより」として発刊していましたが、党中央が、党支部・議員などを中心として「新聞赤旗読者ニュースの作成」という活動を提起しました。

1990年春ころだったと思いますが・・・その時から、「末永弘之の津山市議会だより・ごきげんいかが」と題しまして、週に一回発刊を刷る決意を固めまして、1990年6月9日に「第一号」を発刊しました。

あれから、25年の歳月が流れたことになりますか、年に50×7日=350日ですから、概ね、1年に50号を作ってきたという事です。臨時号があったり、作らない週があったり、色々ですが、ともかく、作り続けて、主に、末永区の赤旗読者へ、そして、「私のところにもいれてほしい」という声も出されて、だんだんと「広く配布」するようになりまして、ほぼ、全市的に「読者」ができました・・・

※悦に行って、作成し、配布してもらっていましたが、ここに来て、「誤字だらけ、恥ずかしい限りだ、よくぞ共産党だと名のったものだ、あれで共産党の議員を、よくぞやっているね・・・」など、と言われているのですから、「議員を辞められたのを潮に、発刊を辞められたら・・・」と言われる事態となりました。

★党員の人たちが、「誤字だらけの、ごきげん、の為に、恥ずかしい思いまでしている」など「露ほども」知りませんでした。

★市役所の中では、口では立派なことを言うても、「所詮、その程度の議員だろう」と、笑われていたという事も、全く、気が付きませんでした・・・市役所の読者は、概ね、部課長クラス、いわゆる「幹部職員」が多いです、・・・悲しいですが、そんなことが、話し合われていたんですね・・・・話し合われていた、と゜いうよりは、「ささやかれていた」という表現の方が適切なのかもしれません。

まさに、穴があったらはいりたいという事ですね。お恥ずかしい限りです。そんなことを言われていたとは、本当に、考えもしなかった出来事でした。。。「ごきげんを一番に読むから・・・・」「議員さん、良く、つくられますね」「面白いよ、議会のことをあれほどわかるように書いてくれる人はいない・・・・やくにたつよ」・・・などの声は、どうだったんだろう・・・・悦に行っていた、としか、言いようがありません。

★証書の誤字などは、「早いニュース・おもしろいニュース・議会の動きが良く分かるニュース」という事で、「ゆるしてもらっている」と、うぬぼれて作ってきました・・・


誤字や、変換ミスや、間違い(嘘の記事ではありません)をゼロには不可能、ですから、地元地域への「たより・配達」くらいに変更します・・・


誤字だられの「ごきげん」は、党への信用を傷つけて、党の支持を減らしている、党の躍進に水を差している、と、いう事のようで、すまないことです・・「ごきげん」を、極、極、うちわの「支部・地域のたより」にします。

「ごきげん」がなくなって、党を大きくすることに役立っていけば、言うことなしです。大部分の読者への「配達」は、6月からやめます。党への信頼を回復して下さいねです。

ですから、「誤字だらけの゛ごきげん゛は、党への信頼を失い、支持をへらしている」と指摘をされた皆さん、今度は、気にすることなく、思い切って、党を大きくしてください、新聞「赤旗」は、とっても、増やし安いもの、と、いうか、信頼を失うものを「無く」しますから、お願いします、飛躍的とは、お互い、行きませんが、それでも、「党への支持を失う要素(「ごきげんの発刊・配布)」をなくするわけですから、その分、赤旗をみんなで増やして、党を大きくしてください・・。

もちろん、私も、頑張りますからね・・・

★と、いう事で、今日作製する、「ごきげん」が、ひろい読者への最後の「ごきげんいかが」となります、よろしくご理解ください。

誤字のない「ごきげんをつくる」ことには努力しますが、ゼロにはできませんから、何回も、書いていますが、「誤字などない、まちがいなどない」と思うから、印刷して、配布しているんですよ。。。誤字や、変換ミスがある、と、思って、印刷・配布したことは、一度もありませんから、、、結果は別です、結果は、皆さんがご指摘のように、「誤字だられ、句読点は、幼稚すぎる、初歩も知らない」代物、党員が恥ずかしい思いをする、ものができているわけですから・・・・・。何をか、いわんやです。

★★誤字があっても、変換ミスがあっても、我慢して「よむから」と言われる人は、ご連絡ください、なんとか、継続してお届けする方法をかんがえてみます・・。よろしくです。

ただ、役所内をどうしたらよいのかな・・「議員をやめる」というあいさつ回りの時に、嘘の話でなくて、「ごきげんいかが」は、どうされるんですか、と、何人もの人に声かけられまして、、、やめないで作ってください、とも、言われ、やめるのなら「新聞を辞める」といわれた人も、極少数ですが、ありました・・、「でしたら、しんぶんを辞めてください、」等とは、いえませんから、・・・・・かなりの「迷い」ですね・・  →良い案、知恵がありましたら、遠慮なく教えてください・・何とかしたい、と、思うのも、末永流ですから・・・・★★

意地になったり、ひらきなおりではありません、句読点の付け方は、「末永流」の考えがあり、末永として、一つの考えに基づいて、私流に、句読点を付けています。ここは、失礼ですが、思考回路の違いがありますから、埋まりません、誤字・脱字・数字のちがい・変換ミスなどは、気を付けて行かなくてはですが・・・

「末永の書く雑記です、国語のテストの答案用紙を作っていません」から、絶対的に、直しません、・・・・何で、あんなところに、句読点があるのか、こんな文章は、正しい文章ではない、・・・・・などと「人間の味、人の味」がわからない人とは、この点では、話し合ったり、論争するつもりはありません・・・と、申して、今朝の雑感を終えておきます。


5月26日(火)新しい議員団の会議へ参加かな・・


★先日から、新しい市議団一緒になって、市議会の様子、私の「市議選挙後のあいさつ」、そして、安倍のおじさんの「戦争する国へまっしぐら」のあり方への批判と、を、あわせもった「宣伝戦」を、それぞれの地元の党支部と行っていますが、昨日は、河辺支部・加茂支部の人と一緒に、中村市議と、加茂・阿波地域を宣伝しました。9時過ぎに家を出まして、4時前に帰ってきました。帰った瞬間には、大夕立に会いまして、洗濯物などをとりいれるのがギリギリセーフでした。

中村さんとの行動が、私の都合で少し遅くなりましたが、これで、やっと、末永区から、美見区へ、そして、中村区へと移行した地域での、バトンタッチの「街頭演説」を終えることができました。これで、宣伝カーに乗って、街頭から訴えるというスタイルは、段々と少なくなっていくと思います。

そして、今日は、新しい議員団が定例的に行う事をきめた「議員団会議」の在る日だそうですから、少し、参加させてもらい、幾つかの「議員団」としての事務整理、等の相談です。先日、総会を終えましたが、美作原水協に加盟する「党議員団」の負担金や役割、そして、役員へ、どちらの議員が出てくれるか、など、が主な相談の内容です。

美作原水協に関係しまして、29日でしたか、夕方から「津山市民平和祭実行委員会総会」がありますが、この総会までは、「美作原水協の関係する団体」が、市民平和祭の全体の事務局(平和センターと1年交代での事務局です・・。)ですから、その打ち合わせもあります、

津山ネット・さくら会館まつりが6月14日です、その準備、月末へ向けての会計処理、そして、6月5日に行っていただく、「末永弘之、11期44年ありがとうでした、お疲れ様でした慰労会」への、本人としての準備などしなくてはの思い、多少、時間の余裕はありますが、相変わらずバタバタする日になるかなです。

★市議会議員を辞して、そろそろ一カ月になりますか・・・・・・4月末までが、任期でしたから。ぎ位を辞しても、役所内の「しんぶん赤旗」は、従来と同じように、配達・集金を受け持っていますから、役所内での職員との「お話」というのは、それなりにしますが、時々、街中などでもお会いしまして、「おせわになりました」「おつかれさんでした」などとあいさつするときがありますね。

この前の日曜日も、鏡野の「森林公園」に、家内と弁当作って≪土のところを歩きたい≫の願いで出かけましたが、帰ろうとした時に、やはり「役所の退職した人」とばったりであいまして・・・「長いことお世話になりました」のあいさつでした、そして、「長いことおつかれさんでした・・・」など少しの対話ができました。

こんな実態が、これから、段々と増えて行くのかなの思いもした、日曜日の出来事でした。



宮古ボランティアセンターへ支援物資ありがとうでした

★日本共産党津山市後援会(さくら会館気付)で、毎月、岩手県宮古ボランティアセンターへ「復興支援物資」を送っています。宮古ボランティアセンターの方では、宮古地域(宮古市・山田町など)にある「仮設住宅」などを中心にして「震災復興へ支援無料市」を開催されています。5月は、21日に「荷造りして発送」しました、そして、ボランティアセンターに、荷物が届いたのが、23日の土曜日のようです、お礼ととどきました、との電話がありまして、そして、24日(日)には、宮古市内の、赤前地区・赤前保育所で「支援市」が開かれたようです。

★ボランティアセンターのブログにその様子が乗せられています、一度、ご覧下さいね・。宮古ボランティアセンターの5月の復興支援市のご報告画面

6月は、21日を予定しているそうです、荷造りは、18日になるでしょうか・・・。よろしくお願いします。

5月25日(月)加茂路へ宣伝です・・


★市議選挙終了後、はじめて加茂路へ・・・中村聖二郎さんと河辺支部の人と、加茂支部の人とで「戦争する国にさせてはいけない」の思いをこめて宣伝です。市議会の正副委員長を決めたり、各議員の委員会所属などを決める選挙後の初議会も終えて、こんごは、6月議会へ向けての準備というところです。

しかし、聞きますと、6月議会は、15日から開会されるとか、全国市長会や議長会がある関係などの影響でしようか、開会日程が少し遅いのかなと思うます、普通は、月初めに議会初日という日程なんですが・・。

末永文章は、誤字も誤字だらけ、句読点に至っては「幼稚」すぎて恥ずかしい・・・

この「雑記」とか、しんぶん「赤旗」に挟んでおとどけしている「ごきげんいかが」(4月末までは→市議会ニュース、5月からは暮らしの便り)を読まれて、句読点のまちがいさ、を、ともかく、「幼稚すぎる、知らなさすぎる、とても恥ずかしくて人の前に出せるものではない、やめなさい」という指摘があります、そうか、と、うならされた意見なんですが、「市役所の中では、口で立派げなことを言うてみても、所詮は、その程度の議員」と評価されているところなんですが・・・

確かに、「教科書通りの基準をしらない」ということは事実なんですが、其れこそ、「末永流儀」なんですね、、世の中には通らない「句読点の付け方」であることは、100も承知して書いています、これは、「広辞苑・辞書・日本語協会」的に分析しますと、およそ、話にならない句読点の付け方なんですが、「よんだ人が、自分が恥ずかしい」と思わないようにしてくださいね、、、末永の文章を、末永が、勝手に、句読点を付けて(それなりに意味合いをもって、意識的に句読点はつけて)います。

この部分は、誤字の指摘や数字の間違い、パソコンの変換ミスとは「異質」として考えて下さい、誤字などは「わからないままに仕上げる」という欠点、だれかが直しもらえる、とか、点検するとかで、整理はできるとおもいますが、この「句読点」は、直してもらっても、また、末永流に「つくりなおす」という念の入れよう、末永流の「意味ある句読点」なんです。

そんな文章を、世に表現するな、あらわすな、という点では、確かに・・・そうか、うーん、とうならされる意見なんですよね・・・

意識して句読点を打っているわけで、こまりました・・・これが「所詮その程度」と非難され、日本共産党に所属する議員でしたから、「そんな人間が、よくぞ、日本共産党の、いやいや、一般的にも、よくぞ議員をしておれるな」という、声が党内でも強いという事、これも、そうか、うーん、と、うならされる事態です。

★誤字や脱字、変換ミス、などなど「間違い」があったり、ましてや、句読点などは「正しくつかわれている」と理解をされてでしょうが、

党内外の「しんぶん赤旗」の読者から、「私のところに、ごきげんをいれてほしい・なんで私のところは無いのですか・・・」という声が出されたり、役所の中では、一人や2人は、「ごきげんが読みたくて、赤旗をとってます・・・」という声を聴いてきましたから…つい、つい調子に乗ったのかもしれません。

※→特別に、ここから、

本来の「末永区」ではない地域にまで、配達を広げてきましたが、こうした声が「ごきげん」が読まれているのかな、と、私=末永が、大いに、錯覚した、調子に、乗って、1270号も、続けてきた、最大の、原因かな、です。まさか、役所内、党内外で、「所詮、その程度の議員」と言われている、とは、知る由もなし、でした・・・

昔、「誤字があろう、だから、書いている記事も、内容が違うんで、嘘を書いているんで・・・・・・・」と、完全に、私=末永と対立関係になっていた、市職員としては、最高の幹部になった人、が述べている、とは、聞いたことがありまが・・・

特別に、ここまで←※


(このあたり、特に、※〜※までの、句読点の付け方は、完全に、末永流、どんなに非難されても、どんなに無知・バカ呼ばわりされても、どんなに、所詮その程度、と、さげすまされても、共産党という組織に訴えられても、なおりません、完全に、何かを意識して句読点を打っていますからね・・・・・

だって、末永の雑感なんですから、国語のテストの答案用紙や、教科書を策定しているわけではないんですから、開き直りでも、何でも、ありません、極、極、普通に考えていただき、個人が、勝手に、作る雑感の文章です、その人の流儀、が、あっても、仕方無い、ではありませんか、、、誤字は、良くないのは、わかっていますから、誤字と句読点を、一緒に、扱わないでください、別物です。)

★最近、どうも、「ごきげん」の誤字の話が多いようですね、、うーん、と、うなされていますからね・・でも、この雑記は、続けますよ、間違いだらけの句読点、誤字が気になる人は、率直にお願い、ホームページを開いて読まないでくださいね、この行為は、それぞれの皆さんが意識していただければできることではないでしょうか、、、製作する側の意志ではできないことなんですよね・・・・

そうしないと、書くという私の力がぬけてしまいます、妙なもので、力が出なくなるんですよ・・・一人だけでも、句読点が違ってね、読むよ、誤字だらけの文章は、気を付けてください、でも、そんな文章・雑記でも、「所詮、その程度の人間、とは思わないよ」と思って読んで頂ける人がある限り、続けますからね・・

悪しからずです。この私の「考え・やり方、は、所詮、その程度の人間なんです」よね・・・・・この思考は、所詮その程度の人間なんですから、と、ご理解くださいね。・・・わかっていただけますかね・・わからないでしょうね・・・

ただ、しんぶん「赤旗」と一緒にお届けする「ごきげんいかが」は、なかば、読者である限り、強制的にとどけられる」という事になります、、、さて、さて、こちらは、どうしたらよろしいか、しばらく思考が続きますね・・。


5月23日(土)感性のある、情報を届どけてほしい・・


★昨日の雑記への感想、意見でしょう、メールでよせられました、コピーしてご紹介しておきます。

その@→長らくご苦労さんでした。でも論評は「厳しいものです」ね。不出馬が確定して「赤飯を炊いて」お祝いした連中がいます。きっと「労をねぎらってのこと」だと理解していますが。人の噂も75日です。余生を楽しんでください。まだ若いのですから

そのA→今朝は、えらく気弱な記事が掲載されていましたが、「ごきげんいかが」もホームページも続けて下さい。細かな間違いとかあまり気にせず、おおらかでざっくばらんなところが、いいんです。それが政治を身近なものに感じさせ、世間一般の人にも関心を持ちやすくしている生活感のある大切な情報ツールだと思います。政治の世界は特別でなければならないと思い込んでいる方から見れば、「所詮」とかいう見方になるのでしょうが、政治は特別なものにしてはいけないのです。堅苦しくない、身近なものと感じさせる、ここの価値観が大切なんです。この人間味が末永さんの真骨頂ですから、細かなことは気にすることなく、思いついた瞬間瞬間の感性を伝えることに力を注いで下さい。学校の作文のテストを受けているんじゃないんですから、思いさえ伝わればいいんですから、絶対にやめないで下さい。小さいことを気にし過ぎて、大局を見失うようなことはないと思いますが、決して小さくまとめようとせず、思いをドンドン私たちに伝えることだけに力を注いで下さい。政治をもっとっもっと全ての人が身近に感じるようになるよう堅苦しさとは縁遠い今のスタイルを貫いて下さい。お願いします。毎日、毎日、毎週、毎週、楽しみにしていますから。

実は、そのBが届いているのですが、何故か、久しぶりの文字化メールです。紹介は控えておきます。

というところです、今日は、土曜日、豊かなまち・人つくり津山ネットワークと、まぁー、大げさで、生意気な「名称」を考えたものです、文化の香りする地域・人=人間=感性「豊かな人になりたい」「なってほしい」「なるべき」・・・こんな思いで、同和から人権へ単純に移行するのではなくて、限りなく同和をゼロにしたい願いをもって、ゼロにするためには、最後は、人つくり・・・になる、と、妙に「悟った」気持ちで「名前を考えた」のではありますが・・・・・

津山ネットの「国民運動学習会」の日です。午後1時半と6時半の2回に分けて、世の中の出来事や、本来の人として、今、何をなすべきか、何を、政治にもとめるか、、、をお互いが学び合おうというのが、「国民運動学習会」と名付けた、元々の狙いではあるのですが、難しいことです。目の前に起こっている課題を話し合うという程度に終わってしまいますね。

また、人の死について考えさせられる日

ご夫婦が、突然の事故死、出会い頭のような「交通事故で亡くなる」と災難、悲劇ともいうべき事態、、、実は、この事故ですが、20日の宣伝の日、現場を通ったんです、けいさつがきたばっかりで、まだ、救急車は来ていない、まさに、事故の直後でした、クルマが異常に渋滞・・・何事か、、、事故かな、と、思いましたが、、、かなりの時間がかかりましたが、現場を通り抜けまして、死亡事故になっているかな、と話ながら通りました。。。まさか、お世話になっていた人とは思いもしませんでしたが・・・びっくりです・・

遺族の人が「何で二人の葬儀を・・・今、出さなくてはいけないのか、悲しいのではなくて、残念・・・」と唇をかんでいましたが、まさに、世は非道です、2つの棺を、同時に送る、・・・そんな実態に初めてふれました。。。さくやは通夜が行われ、参列させてもらいました、沢山の人・人、が弔問におとずれていました・・・

この死の連絡の直前に、議会でお世話になっていた職員のお父さんが亡くなった、という知らせが入っていまして、こちらのお父さんは、しばらくまえから「入退院をされている」と聞いていましたが・・・通夜か葬儀には出たいなと思っていますが、日程的にかなり無理な時間・・・参列するのは困難・・・

人間の生きざま、そして、死にざまという言葉があるのかなとも思いますし、こんな言葉は、亡くなった人に失礼な言葉かもしれませんが、色んな「様」があります、何人もの人と「お別れ」もしましたが、4年前の選挙時を思い起こします、その前の4年間に、義父(川元から末永に苗字を変更した父=実母の弟)そして、実母、そして、義父の連れ合い、義母と、3人を1年、1年、3年連続して失いました、義父らは東京住まいでしたから、亡くなる半年程度前に倒れて入院という事もあって、2年近く東京と津山を月に何回か往復しました、義父がなくなり、後を追うようにして、義母は、夫婦で良く行っていたもそして、好きだった「熱海の保養所」近くで死亡・・・

実母は、自宅のベットで、私が食事を与えている時に、私の手の中で亡くなりました・・・3人が3「様」でした・・、私ら夫婦も、どうなるのか、議員を辞めても、最低でも15年は生きたいな、と、年金の1時支給を辞めて、月に11万円程度の「年金をうけとる」という方法を選択しました。。。11万円で食っていけるのかな、ということは別として、どんな死の「様」になるのか・・・自分の往生際は、だれもが想像できないし、見ることは出来ませんが、、

3人の死を目の前にして、人の死とは・・・そんなことを考える朝です・・・    安らかに眠ってくださいとは言い難い不慮の事故死、しかも、ご夫婦一緒に・・・でも、  心からのご冥福をお祈りします。議会事務局職員の人のお父さんは、不慮の事故ではないとおもいますが・・・        3人の方に「合掌」です。

5月22日(金)「ごきげんいかが」の発刊を終えらてはいかがかと思いますが・・・


★うん、と、うならされる意見が届きました、なるほど「そうか」の意見です。

※職場の中でも、(職場の中という事は、概ね、部課長など管理職に読者が多いのですが・・・)「口では立派なことを言っているようだが、所詮この程度の議員だと、こちらが(この意見を聞いている人が、という意味だと思いますが・・・)悔しくなるほど見下げられています。当番医を当番委とかいているのを教えてやれと言われました。「ごきげんいかが」には、もうずっと「当番委」と書かれています。こちらまで恥ずかしくなります。※

という事のお知らせです。

※議員を退かれた今が潮時と思われますので「ごきげんいかが」の発刊を終えられたらと思うのですが、いかがなものでしょうか。もし、発刊を続けられるのでしたら、幾つかの「誤字を書かない」ご意見というか、方策を示されて、◎常に「しんぶん赤旗」を手本にする。

との意見ですから、否定的というか、悪意の意見では絶対にない、「うんー」とうならされる意見ですね。「その程度」という言葉がありますが、まさに、末永君はその程度なんだよ・・・良く分かりましたと改めて「自分の評価への分析としては満足」です、色々と「のぼせあがっていた」のでしょう・・・所詮はそんなものなんでしょうね。

※ごきげんの誤字は、

@ある意味では、津山の日本共産党の躍進のブレーキにもなっています。

となりますと、「そんなことでしたか、そうでしたか、・・・」と責任も感じなくてはいけませんかですね。このホームページも「辞めなくてはいけない」という事でもありますね。。。

いつかも書きましたが、「誤字を、句読点も、広辞苑のように、国語の教科書、個々での指摘をうけた「しんぶん赤旗」を手本する作成、などは、到底及びませんですからね・・。

さて、どうするか、続ける意味があるんでしょうか、そういわれれば、何のために「ごきげんいかが」を作っているのでしょうかね、「自己満足のために作ったものを読者に押し付けている」ということ以外には「ない」とおもえだしましたね。。もう少し、考えてはみますが・・。


5月21日(木)河辺後援会と美見議員の宣伝


★昨日の午前中は、いわゆる、旧末永区から、美見区へ移行しました、河辺・大崎・福岡・津山駅周辺地域で、「安倍のおじさんは、怖い、戦争するくににしてはいけない」と宣伝でした。河辺地域の後援会員が4人参加してくれまして、賑やかな「宣伝戦」となりました。

11期44年お世話になったお礼と、市議選挙で、二人の議席をバトンタッチできた報告と、国政の分野での、安倍内閣、自民党と公明党の連立政権・・・戦争法案を提案、いつか来た戦争への道を許してはならないの訴えでした。美見議員と私で8か所での街頭に出での宣伝、後は、流しのテープを、私の声で作りましての宣伝でした。戦争法案を廃案に、性根を据えて国民大宣伝で、との思いの一コマでした。


岩手県宮古ボランティアセンターへ復興支援物資の送り


★宮古のボランティアセンターから、今月の「復興支援無料市」は、24日(日)に、宮古市内津軽石、赤前地区を対象に行います。会場は「赤前保育園」を予定していますという連絡が入っていまして、今日の午前10時から「すえひろ亭」で荷造りをして発送します。

すでに、「すえひろ亭」に、衣類など幾つかの荷物が届けられていまして、さくら会館にも、若干の物資やお米なども届けられています、今、野菜が、中々そろわない時期のようで、どこにれんらくしても「来月ならなんとかなりますが」の返事です、少しですが、野菜の「買い出し」も行ったりして送りたいと思います。


来月の予定も入っていまして、「6月は21日、仮設住宅から災害公営住宅に入居された方々を対象に行います。会場は旧雇用促進住宅を改修、ペットと同居可能な市の災害公営住宅の近内住宅(80戸)です。」

とあります、こちらもよろしくお願いします


5月20日(水)末永弘之の暮らしの便り発刊へ


★津山市議会議員・末永弘之の市議会だより、から、末永弘之の暮らしの便りに変更しまして、2回目の発刊になります、「ごきげんいかが」の1270号ですか、作成の日です。午前中は、「美見みち子市議」と一緒に、いわゆる、旧、末永区の美見地域に変更した、津山駅周辺・福岡・河辺・大崎地域野宣伝ですから、午後作成、印刷という事になりますかなです・・。

★今回は、6月5日(金)に行っていただく、「津山市議会議員11期44年ありがとうございました〜おつかれさまでした。末永弘之さん  感謝と慰労の会」のご案内をさせてもらいます。津山市後援会(中西会長)・さくら会館有志後援会(西山後援会長)・地元末永弘之後援会(光岡後援会長)・ゴミ処理施設領家地区建設予定の再考を求める住民の会(井上会長)の四団体が、呼びかけてくれましての催しです。

会費など必要ですから、私の方から「ご参加してください」というのも、気が引けますし、少しだけ、「違和感」がありますが、まぁー、そこは、そこ、末永流で、よろしくご判断くださいです。参加希望者は、22ー9072へ連絡してみてください。よろしくお願いします。



★昨日は、午前中が、地区党の常任委員会、午後は、上記紹介の、「11期44年ありがとうございました・お疲れ様でした慰労の会」につきまして、私の方から、参加をしていただきたい、過去の、私がかかわった市民運動の歴史的なかかわりの人たちに案内をさせてもらいました、まだ、半分程度のお願い、これから、さらに、幾つかの市民運動の課題にかかわった人たちにもにもお願いするかなです。

44年・・・いろんなことがありました・・・一期ごとに「命を削られる思いの出来事」かもしれません・・・・最初の「特別委員会」は、焼却施設建設への特別委員会でしたかな、妹尾議員が委員長という記憶ですが・・・、西中の石碑問題100条委員会、アルネ100条、そして、それを前後してのアルネ特別委員会、これは週一回の開催でした。領家のゴミ処理施設建設を巡る特別委員会・・・・・途中、市議会議長の席へ、・・・・リコールで市長の入れ替え、そして、リコールで誕生した市長との「軋轢・大論争」・・・・毎議会のように、本会議がストップ・・・津山テレビの放映が世の中をうごかしました・・・市長の交代劇・・・

中尾市長、桑山市長と、二代続けて「首をとった」と称されてきました・・・・・・ある意味、津山市政の根幹をも「ゆるがした」のかもしれません・・・かくて、生まれた、名言「末永さえ、おらなかったら、自分らは楽、末永がおるからいけん・・」という言葉でした。

一方、市民の方からは、「実に面白い、わかりやすい、すごい、どんなスリラァーよりもたのしい・・・」などと言われてきました、・・・本会議質問・・・誤字や脱字、挙句のはてに「津山弁での質問は、子どもの教育によくない」とまで、批判されてきました・・・まさに、激動的な議員生活だったのかな・・の思いです。

暑い夏、平和、原爆許すなです・・

そして、夜は、美作原水協の総会でした、暑い夏は、平和です、原水爆禁止です、そして、今年は、格別に、戦争する国にさせてはならないの、思いを強めての、夏の戦いの一歩です。津山ネット・さくら会館の力も弱くなりまして、事務局体制も一層の協力・共同を強めなくてはでした。7月の市民平和集会と平和行進、津山は7月17日(土)に吉井川河川敷公園・イズミ前で行う事等を決めました。


5月19日(火)少し変わったお話ですが・・


★先日訳がありまして、八代亜紀さんの歌「心をつなぐ10円玉」という歌を思い出しまして、歌詞全部を検索して書きとり、其れに、私の言葉などを付けた文章、書き参考、を作りまして、昨日、「あるお礼の文章」に取り入れました。実は、この歌は、昨年の秋だったでしょうか、東京・夢の島公園でひらかれた「赤旗まつり」に行ったときに、ゲストとして中央舞台を飾りま下、八代亜紀さんの歌声の一つとして歌っていたものです。

昭和の初めころの、実話からとった物語だそうですが・・。

こころをつなぐ10円玉 歌 八代亜紀 作詞 かず翼 作曲 杉本眞人

卒業間近の   最後の授業で   先生がくれた10円玉  小さな袋に 入ってた  たったひとつの10円玉 

「死ぬな 死ぬな 死んじぁいけない 苦しいときには  電話をかけてこい」 先生ありがとう 心に いつも 

あの日のことばがありました  遠い昭和の 遠い昭和のことだけど  今も私の宝物

一人一人の 名前を呼びながら 先生がくれた10円玉  いつでも私をはげました お守り代わりの10円玉 

「君は 君は ひとりじぁないよ どんなことでも 電話をかけてこい」    私は忘れない 何十年も 

あの日のことばが 
寄り添って 生きてきました 生きてきました つらくても  今も大事な恩師です。「明日は 

明日は きっとくるから 
苦しいときには 電話をかけてこい」   先生ありがとう  心に いつも あの日の

ことばがありました。
遠い昭和の 遠い昭和のことだけど  今も私の宝物   

★こんなセリフですが昭和の事態の出来事だそうですが、まるで、今の世界、今の子どもたちに先生が「してやってほしい、人の心」ですね。そもそも、「心に残る・未来に残したいエピソードわたし遺産 大賞受賞作が元となった楽曲」だそうです・・・。遠い昔、こんな先生が実在されていたんですね・・・。しかし、今も生きている、と、いう科、今のような時代だからこそ、こんな心根が必要ではないのかなと思わされる詩です。

※そして、私は、

こんな歌を聞いて、フト、涙して・・・今は、電話代も10円ではかけられません・・・・命をつなぐ110番へ、暮らしをすくう110番へ・・・
子どもや孫たちへのおくりもの・・・・10円で「助けを呼ぼう」の気持ち込めて、命ち守る薬を入れたり、小銭入れなどに使用ください。

11期44年お世話になりました、ありがとうございました。10円玉よりも頼りになる人間を目指して、携帯も壊れて、誰にも連絡ができなくなった時、いよいよ困った時、いざという時の護身ようとして、命をつなぐ110番に電話してくださいの心ねをこめてのお礼です。      
こんなセリフをつけての「いくつかの地域」と「職場」へあいさつ回りでした。おかげさまで、日本共産党の2つの議席、バトンがわたせましたです・・・昨日も、やはり「なんでやめたのか」としみじみと言われましたです。。。まだ、辞めなくてもよかったのに、、、市政の舵取りがいなくなると心配ですが。。

こんなセリフまでいわれました・・・本当に、頭が下がります、ありがたいことです。もう、議員をやめてしまいましたが、言われた「言葉をわすれることなく」しっかりと頑張っていきます、よろしくお願いします。

というあいさつ回りに使いました、今朝は、少し、変な話でした。

今日は、火曜日で、地区党の常任委員会の日、選挙で参加していませんでしたが、久しぶりに参加できるかなの日です。

5月18日(月)けっこう忙しいですね


★土曜日は、正午から「革新美作の会」が呼びかけます、サイレント行動でした。安倍の妙な考え、これで本当に良いのか、無茶するなです。憲法守れ、が、基本の行動、戦争する国にさせてはいけません、自民・公明の「数の力」でのあまりにも強引な「戦争協力体制づくり」が急ピッチです。

こんな時期を背にしていますから、今回のサイレントは、久しぶりに二ケタの人の参加、14人が参加しまして、戦争する国にはさせないと、アピール行動でした。それにしましても、安倍のおじさんは、ひどいですね、こんな人、早く辞めてもらわなくてはです。いろんな活動の様子を写真で紹介私のブログ画面に少しですが、サイレントの様子を写真で紹介しています、ご覧下さい。



★土曜日の午後は、津山ネットの理事会でした、15日におこないました「さくら祭り実行委員会」で決定されたことを報告し、ネットの果たすべき役割、「第13回さくら会館まつり」についてなどを話し合いました。14日(日)午前9時30分から「南小学校体育館」をお借りして行います。参加費は無料です、午後1時30分頃からおこないます「お楽しみ抽選会」の件を五枚一組・千円でお買い求めください、豪華景品が多数当たります。ご参加をお願いします、と、いう事で、ネットして「最後の祭りの準備」です、景品の買い物や、舞台での出し物、模擬店などもけんとうでした。それぞれの任務も概ね決めました。

ネッとしては、其れだけが活動ではありません、これからの1〜2カ月の「活動予定」なども相談、何よりも、国道53号「拡幅工事」での「さくら会館の立ち退き」問題、その後の事務所の在り方、活動の在り方など、かなり深刻な問題となっています6月3日でしたか、津山市と国道事務所が、久しぶりの「説明会」を行います。

この説明会を経て、立ち退き補償費などの具体的な個別の話し合いに入ると思いますが、ネットのなかに「これからの運動の在り方検討委員会」という専門部会を設けていまして、いよいよ本格的な検討が始まるという事でした。

そして、日本共産党津山市後援会・さくら会館有志後援会・末永弘之の地元後援会・領家地区ゴミ処理施設建設予定地の再考をもとめる会の呼びかけで、

6月5日に、鶴山ホテルで、「末永弘之・11期44年ありがとうございました、お世話になりました」の懇親会を行ってもらう事も相談しました。さくら会館有志後援会は、ネットが大部分です、いわゆる「末永区」を中心として、お世話になってきました、議員を辞めて、新しい二人の日本共産党議員の誕生にお世話になりまして、44年のお礼も言わさせてもらいました、ありがとうございました。



★議員を辞めて、ボケるなよ、暇になって、気が抜けるよ、など良く言われますが、金曜日、15日は、実行委員会の日でしたが、朝早くから京都に「買い物のたび」でした。21日は「宮古ボランティアセンター」への支援物資の荷造り・発送の日です、新聞「赤旗」に載せておとどけしていました「末永弘之の市議会報告・ごきげんいかが」も、「末永弘之の暮らしのたより」に変更して、しばらくは継続、週に一回ですから、中々、忙しいです、多少の時間の余裕が生まれたのは事実ですが、それなりに、忙しい日々です。ボケるのは、年とともに、大きくなる人間です、仕方ないかなとも思いますが、気を付けて頑張ります、今後とも、よろしくお願いします。

5月16日(土)11期44年お世話になりました


★外は、雨、雨の音で早くから目覚め、トタン拭きの古屋は、雨などの音がとても大きく響きます・・・・・・昨日、第13回「さくら会館まつり」の実行委員会を行いまして、6月14日(日)午前9時30分・南小学校体育館で行う事を決定し、色々ありますが、今回をもって「さくら会館まつり」も最後とすることなどを決めました。内容は、ほぼ、例年と同じ様式ですが、最後という企画をなんとか取り入れたいとの声多しで、検討していくこととしました、皆さん方のご参加と、ご協力をよろしくお願いします。

★実行委員会の後、三役・各団体の責任者が集まって、私=末永の市議会議員として、11期44年ありがとうございました、お世話になりました「感謝と慰労の会」を行ってもらうことを最終決定してくださいました。

二人の市議のバトンタッチの会の準備のころから、「末永のを独自にしたいが・・・末永さんだけのなら行きたい・・・・」という声などが出されておりまして、ともかく「バトンタッチの会」が終わってから・・・とお願いしていましたが、昨日の話し合いで行う事としてくれました、ご面倒おかけしますが、よろしくお願いします。

※日本共産党津山市後援会(中西孝・葛原智) ※さくら会館有志後援会(西山正美) ※領家地区ゴミ処理場建設再考をもとめる住民の会(井上雅之) ※末永弘之地元後援会(光岡平八郎)

の4つの「後援会・団体」が呼びかけてくれます、


時・会場は、6月5日(金)午後6時30分から鶴山ホテル、
会費が3,000円です。

★申し訳ないことです、と、思いながらも、それでも、うれしいことで、こんな声を挙げていただき、実施までしていただき、ありがたいと思います、11期44年、27歳の時からです・・・人生の大半を「議員として過ごした」ことになり、約、半世紀です、色んな事が思われます、生意気なようですが、波に「色んな事がありました」というような、生易しいことではありませんでした・・・あるいみ「生きるか死ぬか、がけっぷちに立たされ続けた激動の人生」と言えるのかもしれません。

一期、一期、節目、節目で、だれもが経験出ることでない、重大な事件、出来事にぶつかってきました、家内や地域の友、さくら会館の関係の人々は「どうなるのか、どうするのか・・ひやひやの連続」と言うべき出来事が次から次へおこりました・・・

裁判と言う点だけでも、多いときには、年に数個の裁判を仕掛けられ、考えてみますと、議員になる前から、21歳でしたか、身分保全訴訟から始まり、最後、今年の三月末の「オンブズマン・政務活動費事件」まで、生涯、裁判所に通わなかった年はありませんというほど、裁判とかかわってきました・・・。

市議選に立候補しないという事を理由に、オンブズマンが「訴訟対象から外す」という申し立てを行い、私は、「勝手に裁判を起こして、今度は、勝手に取り下げるなど、いい加減にしてほしい」と述べ「政務調査費の会派経理担当の責任者であり、逃げるわけにはいかない」とも主張しましたが・・・それでも、裁判から「取り下げる」措置がとられました。

それは、それとして、少し、変な気持ちですが、間違いなく、50年ぶりに、今のところ、裁判と縁のない人生に入ったという時期です、これだけ考えてみましても、だれもが「体験する人生ではない」と思えます・・・

まさに、波瀾万丈、激動の人生の一コマ・・・こんな人生を振り返りながら、ありがたく、今回の「お世話になりました会」をお受けし、44年をみんなで語り合いたいと思います、よろしくお願いします。

5月15日(金)第13回「さくら会館まつり」実行委員会


★今日は、第13回「さくら会館まつり」の実行委員会の日です、人権連から津山ネットへ、解放会館からさくら会館へ、と、移行してきまして、介護センターを作り、ホームヘルパー養成学園を立ち上げ、色んな課題に挑戦してきまして、その総和として「勇ましい総会スタイル」を辞めて、「まつりスタイル」に変化し、少し、衣替えをしました、あれから13年なんですね、、今年、6月14日(日)9時15分から「さくら会館まつり」を南小学校体育館をお借りして行います。多数の皆さんのご参加をお願いいたしますします。

という事で、今年の企画など仔細を相談する「実行委員会」を今日行います。

実は、ご案内のように、津山駅周辺整備事業 @津山駅北口広場整備事業 A国道53号「歩道・自転車道拡幅工事」 の関係で、さくら会館が立ち退き物件となっています。駅前が随分かわりました、明宝ビルが「ほぼ」なくなりまして、後、一階部分が解体整理中というところです・・・・。

そして、あいつぐ「社会福祉制度」の改悪、特に、私たちの「仕事」の関係で言いますと、介護制度の「改悪に次ぐ改悪」の中、こちらの人材不足もあり、専門官の配置に困難となり、とうとう、「さくら介護センター」の事業規模の縮小という憂き目に会いまして、ケアマネ事業所・支援事業所のみをのこして、ヘルパー派遣事業は「休止」しました。

津山ネットも、わたしたちが「年とともに大きくなった」という事もあり、実際に動ける人が少なくなり、中々「祭りのだんどり」一つができない事態、、と、いう事で、ことしで「さくら会館まつり」は終わりにするかもです。しかし、今年は行います、

6月14日(日)午前9時15分から、南小学校体育館


です、ご参加をよろしくお願いします。参加費は、無料ですが、「お楽しみ抽選会」→豪華景品が当たります、最後という事で、特別賞を今、考慮中です。模擬店も沢山あります、お買い求めくださいです、

5月14日(木)郵便局が消えました

★川南郵便局から大谷郵便局へ
★私が「さくら会館」に出入りし始めて、もう、50年になるでしょうか、ずっと眺めていました、川南郵便局が、11日月曜日から消えました、ポストもなくなりました・・・とても、不便にもなりました。私が津山ネットの責任者になって、会計処理をし始めて、全てを、川南郵便局を「金庫がわり」と思って使ってきました。1円のお金も、全部、郵便局の貯金通帳を通じて動かして、金銭出納帳としても活用してきました。少し、お金が会いませんが、友、局員さんに言われて、杯、と、1分もかからないで不足を取りに行き、切手を〇〇枚用意しておいて、、と、机にお金を取りに行ったり、子どもたちににもつおくるのに「幾らか計算しておいて」と、頼んでから、お金を「さくら会館」に取りに行き、支払ってもいました、ともかく、便利、こんなに便利な局は他にありませんでした・・・が・・・とうとう消えてしまいました。

★良く、聞かれますが、津山駅周辺整備事業として、国道拡幅工事の「立ち退き対象物件」でもありましたが、国道との話し合いは、これから本格化します、今の段階では、「立ち退く」という具体的な行動に出られる時期ではありません・・。

結局は、郵政会社の独自「課題と判断」によって、耐震工事、交差点内の危険な建物除去、等のために「いてん」という事になってしまいました。3〜4年前から「局長」を通じて、お花都市は、聞いていましたが、いざ、本格的に形となって現れますと、隋゛分「寂しい」状況になりました。上の写真は、左が、局のあとのがらんとして姿、と、2階建てののっぽの「さくら会館」の姿です、さくら会館は、まだ、健在です。

右の写真は、新しい「大谷郵便局」として生まれ変わった局の入り口です、とても、きれいです、中も、広々としています、それは、それとして、良いのですが、、、不便です、クルマで、ぐるっと回って郵便局に行かなくてはいけません、切手1枚でも、購入がすぐできたのに・・・業者さんが「集金」に来ても、ちょっとまってください、と、断って、隣の局から出してきて、支払いが出来ていました、お金を「小さくしたい」時も、ものの1分もあれば、思いのままの「小さいお金」に変えることもできました・・・・・が、こんなことがダメになりました、この2〜3日は、本当に、不便、こんなに不便になるとは思いもしませんでした。。。と、いうのが実感です。


津山市議会の役員人事ものがたり(・・?

★市議会選出の農業委員会は三人でしたか、決まらなかったようで、五人の希望者があり、三人に「絞り込む」ことが困難な作業だったようで、継続審査的な扱いでしょうか・・・。私が三月議会で、最後の「反対・賛成討論」だったと思いますが、述べたこととも関係するとは思いますが、「議員が利権に利用できるような立場で議会選出の審議委員や各種委員になってはいけません」という意味です。

何回も本会議で取り上げた問題です、元勝北町の「優良農地」と言われるところが、「生コンの材料を作る、骨材の製造過程でできると想定される石の粉のようなものがすてられている」(土壌改良のためとか称されているようですが・・・)土地を巡る問題の整理。。。明らかに、農業委員会の許認可と直接かかわることです。

この「生コン会社」の販売代理店をしている人が、仮に、農業委員になるとすれば、いったい、世の中どうなっているのかです・・・津山市議会の常識が問われる課題・・・と思いますが・・・。まさに、直接的に、議員の立場で「物申して、何を行政に、農業委員会に求めるか」は、明らかな感じです。。。そんな議会で本当に良いのか、、、無茶してはいけませんと思いますが、これも、「法に抵触しなかったら」自由なんでしょうかね、不細工な話です。

5月13日(水)昨日は、ほぼ、1日議会の傍聴


★昨日は、初めて正式に市議会の傍聴をしました、本会議の傍聴は、許可制でなく全く自由にできるのですが、全員協議会・委員会の傍聴は、一応「許可制」になっていますから、朝早く電話で「傍聴のお願い」をしまして、許可されたという知らせを受けて議会事務局へ、各会派の「控室」は、正式には決まっていませんでしたが、前々からいちばんすみっこですが、「二人部屋」が日本共産党の部屋でしたから、今回も、いまのところ「仮の控えと室」ですが、以前と同じところで椅子に座って、新しい議員団との雑談や委員会配置などの相談にも参加するなどでした。

午前10時全員協議会の部屋に「傍聴者」という名札を胸に付けてもらっての入室、各議員と「よろしく、監視に来ましたから、まじめにやってよ・・・」のかるい冗談のあいさつ、後で、全ての議員控室を回って、新人議員さんを含めて、「選挙お疲れさん、これからも、本会議ごとに傍聴に来ますからよろしく、在籍中はお世話になりました」のあいさつ回り、市長秘書室にも≪挨拶≫に行きまして今後ともよろしくでした。

★全員協議会に入った時は、市長ら三役も当然席についていまして、軽く会釈からでした。。「末さん、手を挙げてしゃべったら良いがな・・・」の冗談を言う議員もおられ、、まぁー、和やかな雰囲気での全員協議会の幕明けでした。地方自治法の規定で、「最年長の木下さんが仮の議長」として全員協議会、その後の、市議会議長選挙などの議事を進めました。

全員協議会では、議長選挙に「立候補する人・立候補したい人」の挨拶がありまして、木下・吉田・岡田・美見の4人が「議長に立候補します、よろしく」のあいさつでした。本会議では、この4人のうち、誰かに投票するするということになります・・。こんな「やり方を定めたのが、いわゆる末永が作ったと言われる「議会役職づくりの申し合わせ」です。

11時から、木下仮議長の下で、本会議が開会され、日程や会議録署名議員などを決めて、宮地市長が、初議会、当選おめでとうの挨拶てした。以下、挨拶の概略を紹介しておきます。

※※先般の市議選挙、激戦の中、当選されましたこと、心からお喜び申し上げます。この本会議にみなぎる清新な緊張感の中で、28人の議員のみなさんと、津山市政発展のために全力で頑張ってまいりたいと決意を新たにしています。「心の通う信頼の市政」を貴重に「笑顔あふれる故郷津山」の実現に向けて全力で取り組みます。今後、議員の皆さんと手を携えて、切磋琢磨しながら尽力してまいります。※※

という意味のことでした。

★この後から、議長選挙、休憩、全員協議会、本会議再開で副議長選挙、そして、役員選考委員会を作って、休憩、ここからが「長い、長い休憩」という事になります。

本会議、休憩、役員選考委員会、常任委員会委員や正副委員長づくりなど、最後は、午後9時56分に終了だったようです。正副議長は、下記の通りで、最後、

監査委員は、竹内邦彦さんで収まったようです。

委員会構成などのために、午後5時前に「時間延長」の手続きが取られて、私は、帰宅、後は、電話などで動きを聞くという事の1日でした。

日本共産党の美見みち子さんは、常任委員会正副委員長は、各会派ひれて配分する、という、末永が作ったといわれる「役員づくり申し合わせ」の基準で一役回り、建設委員会副委員長の席だそうです。中村聖二郎さんは、厚生委員会に所属・・・その他の役職などは、また、明日にでも紹介します。

まぁー、大きなもめ事もなく、多少の「やりとり」や「摩擦」はあったとしても、無事に、早く終えた本会議というべきでしょう、議員の皆さんお疲れ様でした。

5月12日(火)お昼のニュース第49代 津山市議会議長に木下健二氏に決定

午後2時に書きこみ記事→第52代副議長に近藤吉一郎氏がなりました


★議長選挙を終えて、昼食も含めた休憩、会派代表者会議、午後1時からの全員協議会などの論議を経て、午後1時20分頃に副議長選挙に入りまして、

★近藤吉一郎18票  ★野村昌平8票  ★美見みち子2票

という結果で、近藤吉一郎さんが副議長にえらばれました。そして、その後は、「役員選考委員会」が作られ、各種委員会などの割り振りが始まりました。委員長が西野議員、副委員長が河本議員、そして、岡安・松本・津本憲・美見・竹内靖・吉田・津本辰の各委員さんという事です。

このメンバーによって、長い長い1日が始まりまして、各議員の希望など聞いて、委員会への貼り付けが始まります。何時マテかかるでしようかね。。最速で午前10時でしたが。。


★注目の市議会議長、今日、11時から本会議会議がひらかれ、木下健二さんを「地方自治法の規定」によって、最年長議員として「仮議長」に選んで、議事の進行・・・議会開会日の恒例の議会手続き、そして、新しい議員さんですから、宮地市長が「当選のお喜び」などの挨拶、その後、議長選挙がおこなわれ・・

★木下健二16票  ★吉田耕造6票  ★岡田康弘4票、美見みち子2票

という結果で、木下健二氏が第49代目の市議会議長に選出されました。今、お昼休みです、午後1時から、全員協議会が行われ、副議長選出についての協議が行われる予定です、取り急ぎ、議長が決まったニュースの身立ち上げておきます。



議会役職づくの日ですが・・・


★とても、風の強い朝です、雨は、まだ降ってはいませんが、やがて降ってくるのかもしれませんです、台風の関係などあるのでしょうか・・・かなり強い風の朝です・・。

昨日、津山市議会会派代表者会議(日本共産党は美見みち子議員が代表)が行われ、今日の「臨時会」へ向けての議案の準備・議会運営の手立てなどが相談され、その後「議員会議」(良く分かりませんが、最年長議員の木下議員が座長として招集ということかな・・?)も行われ、正副議長選挙を中心として行われる、今日の「臨時市議会」で審議すべきことなどが話し合われたようです。

多分、細かいことですが、全員協議会・議員会議・本会議の各議員が座るべき椅子の番号なども「臨時的に決められる」という事等を含めて、色んな必要事項なども決められたと思います、共産党議員団の「あり方」について、午後、議員団と、私、中西後援会会長、そして、地区機関紙部の西崎さんなどと相談・・・幾つかの点について、先輩議員面して、御願いをしたりでした。

つい、今になって、「議員団の控室はきまりましたか」と聞くのを忘れていまして、今日かくにんをしなくてはです・・・・と、いいますのも、今日の臨時市議会、できたら、全員協議会、本会議は「房内ようしたい」と思っていますから、例に寄りまして、役職を作る本会議と本会議の「合間の空白の時間の、私の座って待っておれる部屋」は、党の議員控室しかないと思いますから、、、さて、何処の部屋かなと、今朝になって、改めて思わされるという事です・・。

どうなるか、正副議長選挙、誰におさまるのか・・?

市議会の動き、どうなっているのか、誰が正副ぎ地用に納まるのか、?、です。緑風会が6人で最大会派というニュースは新聞報道でも明らかにされていますが、この雑記の10日付でも書いていますが、公明党・市民と語る会そして清流の会がそれぞれ3人で、6+9=15人が多数グループというところでしょうか・・・、そして、津山新星会議と津山誠心会議が3人×2です、市政会が2人で、6+2=8人が少数グループというところで、これに、仮にですが、無所属(それぞれ独立した一人会派)が3人おられますから、これを加えても、8+3=11人です、しかし、3がかならずしも、= で結べるかどうかは大いに疑問でしょう・・・・、そして、日本共産党の2議席のグループ訳となりそうです。

多数グループから議長が生まれるのは必然でしょう…が、さて、さて、成りて多しでまだ先行き不透明なんでしょうか・・かっての議長経験者とも、議会事務局でお話を聞いたりしましたが、中々決まらないという「嘆き」を言われていましたが・・・

もう、一つは、副議長の席、先日から、ある議員に聞かれて、わかったことですが、私が作ったといわれる「申し合わせ事項」について、正副議長は、ほんらいは、「別々のグループからなるべし、多数会派の独占は、良くないと」なっていましたが、2年前におおいに「揉めました議会構成」の中で、議員多数で「独占してもよい」と決められて、申し合わせ事項を変更しています、から、少数会派のほうから副議長というのも、困難でしょうかね・・

多数グループの独占は、いかがなものかですが、昨日の「会派代表者会議」とか「議員会議」とかでも、その点が話し合われたという事のようですが・・・議会は多数決主義、2年前に「変更が決まった」のは事実ですから、さて、どうなるのでしょうかね・・。


★日本共産党津山市議団、末永・久永〜美見・中村へ、うまくバトンが渡りました、その喜びの会賀昨夜、60人強の参加でした、ありがとうございました、長い間お疲れさんと、感謝状や記念品や花束まで頂きました、私の地元から、さくら会館有志後援会からと、併せて20人と少し、津山市外の人も地区常任委員会をいれて10人程度の参加です、・・・・、どうなんでしょうかね・・・・率直に、「こんなので良いのか」でした・・・少しですが、先行き不安の感じでもありましたが、とにもかくにも、バトンを渡しましたです・・お世話になりま下、ありがとうでしたの昨夜の催しでした。
5月11日(月)今夜は、バトンタッチの会です


★朝と夜は、冷える感じです、今朝も、寒さがあります、お月さんは半月かなの感じ、日中は、良い天気になりそうです・・・昨日の日曜日は、岡山県人権連の総会でした、津山からは、7人の代議員が参加、これからの一年間の活動方針や役員人事・予算などを決定し、東日本湖震災復興バザーなど2加えて、昨年の「県人権連青年部」の現地支援・ボランティア活動の様子や、国連での「核兵器廃絶の活動」の報告などがありました。

私も国連の核兵器廃絶の論議、活動へ参加したくて、一度登録をしましたが、市議会議員選挙のダブって断念という一コマでした・・ニューヨーク行動でしたから、もう、行く機会はないかもです、5年に一回の活動です、、岡山県からは、今回、25人が参加だったようで、核兵器廃絶の国民署名を携えて、被爆者の人たちと併せて、平和への思い、核兵器廃絶への思いの行動だったようです・・・。。



★津山市議選挙の結果、久永良一と私=末永弘之の日本共産党の2つの議席ですが、本当に「奇跡的にバトン」が渡せました。美見みち子と中村聖二郎へです、今日は、津山市後援会が呼びかけてくれまして、

市議選挙勝利・歓送迎会「バトンタッチの会」です。

何人が参加していただけるか明確な数字は、わかりませんが、ともかく、何とか党の議席が守られたのは、事実です、良かった、良かったの喜びをみんなで味わいたいと思います。

第一段階として、「末永らの後継者がいない、なんで辞めるのか、党の議席がないといけない・・」こんな声の中、中村さんが決意、選挙一か月前・・・これで勝てるものか・・勝ちたい、かたなくては・・がやっと、第一段階をこえました・・そして、

第二段階、選挙一か月前に、全く無名、党内でもほとんど知っている人はいない、勝てるものか、勝てたら奇跡・・・それでも、変なはなしでしたが、「末さんがおるから通るかもしれん、通すぞ・・・、元々共産党は、三議席をとれる可能性があるのだから・・」こんな声の中、奇跡が起こりました、党と後援会の皆さんの力、あらためて、党への期待の大きさを感じ取れました。。今の政治、津山市政の中で、日本共産党の議席は必要・・こんなおもいが実現しました、、、第二段階も、ともかく突破できました。。。

★この奇跡的な出来事をみんなで確認して、新しい飛躍への決意を固めて、党らしい、科学に裏付けされた政治の目、事実を市民の目線で分析して、政治を堂々と真正面から語る活動への新たな決意を固める日にしたい、うまくバトンを渡したいの強い思いです。。。よろしくお願いします。

※注目の市議会の方は、会派届でが終わり、今日は、初めての「会派代表者会議」が行われるとかです、議員控室なども、一定の定めで決められていくのだろうと思いますが。。。何よりも、正副議長を巡るか各会派の「意向」がどうなのか。。。誰が、名乗り出てくるのかなど、大いに注目です。

そして、議員会議も招集されているようで、物騒な話も出されるのかもしれません、ただ、この前から、市議会役職づくりの申し合わせ、→一般的に末永が作った申し合わせ←とか言われているもので、2年前に変更した規定「正副ぎ地用は、同じグループからでも選出できる」という規定が、どんな経過で帰られたのか、何故か、などが、正式に「経過報告」が行われたりはするとかの動きはあるようです。

明日の本会議でどうなるか、大いに注目されるところです。

5月9日(土)早いのがごちそうは、間違いありでした


★昨日は、この雑記帳は、朝と午後と「2度の書き込み・立ち上げ」となりました。市議会の会派野届け出が午後に明確になりまして、その事を、お知らせとして書きこみました、仔細は、昨日の「午後の雑記」をご覧下さい。早いのが「ごちそう」と名付けはしましたが、やはり、間違いがありでした→誤字とかと言われる筋合いの間違いでなくて、根本的な間違いです・・。

会派ごととの議員の名前、最後の立ち上げの時に、「書きこんだ議員の人数」を数えまして、28人ありましたから、大丈夫と思い立ち上げたという記憶は確実に残っています・・・ところが、間違っている、と、いうか、「津本憲一さんが2度出てきて、新人の金田稔久さんが名前がない、」という結果で失礼をしました。金田さんのなまえがない、というお知らせで気が付きました・・・・・・

★それほど慌てたわけではありませんが、失礼をしましたです、、さてさて、かなり「厳しく動きがあった」というべきでしょうかね、昨日も書きましたが、最大のトピックスは、森岡議員が会派を離脱して「ひとり会派」として届け出たこと、近藤議員が、従来の会派から抜けて、他の議員と組んで「あたらしい一つの会派」を作ったこと、が、やばり大きな動きです。

これと、タブ゛ン関係しているとは思いますが、新人の政岡さん、当選した時の「津山朝日の記事」だったと思いますが、「議会に風穴を開ける」と新人の抱負を語っていたとも記憶していますが、このひとも「一人会派」となったています、安東さんをいれて、「3人が無所属・一人会派」という事です。



★この会派構成で、さて、誰が議長になるのでしょうか・・・どの会派と、どの会派が「合体してグループ化」となるのか・・・手前勝手な、自己流の「いいたい放題」で無責任で大胆な想定しますと、

@公明党(3人) 市民と語る会(3人) 緑風会(6人→この会派から議長が誕生するのかな(・・
?)清流の会(3人)が一つのグループの可能性がつよしかな・・もし、そうであるなら、これは「多数を組織した」という事になりますが、清流の会は、独自路線なのかな・・・・・清流とは「よくぞ名付けた」と思いますが、清流の道を歩んでほしいものです。

A市政会(2人) 津山新星会議(3人→この会派から議長が出るのかな(・・
?) 津山誠心会議(3人→ここから議長校もありうるか・・・)が一つのグループかな・・? こちらが少数会派グループのようですから、これから「どう打って出るのか」は不明です、、どうせグループを組んでも「議長はとれない」となりますと、バラバラになるか、副議長の席で@のグループと「話し合い」に入るのか、、、どんな戦略で、誰が、予定候補になるのかなです。

そして、無所属の3人が、どうなるのかも不明です。仮に、3人ともが、Aのグループと「共同行動」をとるとしても、全体では、11人でしかありません、それ以外、@のグループが15人と圧倒的多数です。。。日本共産党議員団2人は、多分、「グループ別れ・対決路線」を全体がする限りは独自路線だと思います。

★と、なりますと、無所属一人会派が結果論として、@とAの「話し合い路線」なるものを形づけて、正副議長を2つのグループから、それぞれ選び出すという「話し合い路線」に入れるのかもしれません・・・・。月曜日には、会派代表者会議など「公式な会議」が予定されているとか聞きますから、まだまだ、12日の「本番」へは、動きが活発、変化在りかもしれませんね・・。

※市議会役職づくりの申し合わせ、の規定が、2年前に「長い論議」の末に、私=末永が責任者で、おおいに揉めたために、揉めごとの解決策として、決選投票のようなことをして「多数決主義」をとって、

正副議長は、「同じグループではなくて、別別のグループからなる」とするいわゆる「独占の禁止規定」であったものを、
「おなじグループでも良い」と、独占ができる規定に「改悪」していますから、この規定、独占禁止も可、という含みもあり、この方向がいかされるというのが「対決では無い、話し合い路線の市議会づくり」の道とはおもいますが・・・。そうなりますと、我が党議員団も、話し合いの中に入っていくとは思いますが・・・
5月8日(金)午後に追加記事です、会派届け出終わる


★今朝ご案内しましたが、津山市議会の「会派届け出」が終わったようで、私がつかんだ最新情報をお知らせしておきます、正式な報告ではありません、あくまで「噂」の範疇です。大きな流れの変化、最大の特徴は、2つ、

※森岡議員が会派離脱、近藤議員らが新会派をつくる・・

★下の図式・黒い太文字=今期当選の議員さん、
赤色表示=新人など新しい議員さん

 会派の名前   古いメンバー 新しい、今期の議員の名前
日本共産党津山市議員団 末永弘之・久永良一 美見みち子・中村聖二郎
公明党津山市議団 岡安謙典・川端恵美子・原行則 岡安謙典・原行則・広谷桂子
市民と語る会 河本英敏・黒見節子・村田隆男 河本英敏・黒見節子・村田隆男
緑風会 木下健二・秋久憲司・竹内靖人
津本憲一・西野修平・森西順次
木下健二・秋久憲司・竹内靖人
西野修平・森西順次・
金田稔久

新風会 森岡和雄・岡田康弘・松本義隆 会派名称変更→市政会 となる

※岡田康弘・松本義隆

津山新星会議 吉田耕三・竹内邦彦・小椋多
近藤吉一郎
吉田耕三・竹内邦彦・小椋多
津山誠心会議 田口慎一郎・津本辰巳・中島完一
野村昌平
津本辰巳・中島完一・野村昌平
無会派 安東伸昭・神田栄作・山田誠 安東伸昭・森岡和雄政岡哲弘
清流の会 新しい会派 近藤吉一郎・津本憲一・田口浩二





5月 8日(金)今日お昼までに会派の届け出


★誰が市議会議長になるのか、ならせるのかを、大きく左右する「各会派の届け出」が、今日お昼までに行われることになっていますから、さて、どうなんでしょうかね。

私が在籍していた時の会派を中心とした動き、どうなんでしょうかね、、日本共産党は議員の名前が変わりますが、美見さん・中村さんです、そして、公明党も一部名前が入れ替わりますが、岡安さん・原さん・広谷さんの三人です。あと、市民の会→河本・村田・黒見は、変化がないのかなとは、思いますが、新風会→森岡さん、岡田さん、松本さんのところも変化がないのかな、あるのかもしれませんが・・・・・

その他の会派は、大会派ともいうべき会派が三つですか・・・そして、一人で独立していたのが、安東さんです、こうした人たちは、かなり複雑で、基本の変化はないとは思いますが、出入り有で想像ができませんです、新しく今までの会派に入る人、出る人、ひよっと、新しい会派が生まれるかもしれませんし、新人さんが、金田さん、田口さん、政岡さんがどうされるのか、かっては、新人さんだけで一つの会派を作られた時もありましたが、今回は、メンバー的に無理かなと思われますが、どうなんでしょうか・・・。



★そして、12日の「臨時市議会」へ、会派と会派の話し合い、いわゆる「議長作りグループ」が作られていくと思います、どこが多数派閥になるのか、が、一番、そして、ここからば「しんどい」と思います、衆楽座さる芝居とも関係してきます、「誰を議長にするか」です・・・これで、また、「派閥が壊れる」可能性もありますから・・・・この市議会役職づくりの「攻防戦」は、先行き不透明です。

私が作ったと評さされる「議会役職づくりの申し合わせ」ですが、昨日、ある議員さんが「確認したい」として、連絡がありましたが、当初は、「正副議長と監査は一つのグループが独占しない」という決まりでしたが、2年前でしょうか、ひよっと、4年前かもしれませんが、この規定を取り払って、「正副議長は、一つのグループからだせる」という規定を追加しています。そのばあい、「監査は絶対に違うグループから」としました。

いずれかを、その時々の力関係で「選んでいく」という事になりますが、足かせがなくなったのは事実で、正副議長は、一つグループの方が運営がしやすい、という意見が多数を占めて、へんこうさせたものですが・・・変更したことに対して、「末永らしくない規定だ」と、やや、批判的な意向が見えていますが、、、どうされるのかです、もう、私の手からはなれた「役職づくりの申し合わせ」ですから…。

12日までは、にぎやかな市議会の周辺かもしれませんね。


5月 7日(木)市議会の正副議長選出へ動き活発


★5月連休が空けまして、4年に一回(2年に一回ともいえるが、新人がと言う点で4年としました)の津山市議会の「大騒動」ともいうべき、正副議長選挙をはじめ、議会の「役職づくり」の騒動劇、さて、衆楽座さる芝居とまではいっていないようですが、それでも、各議員の「会派つ゜くり・構成」と、会派と会派の「合体劇」、いわゆる「多数派づくり」は、かなり活発で複雑なようです。

やはり、大きく言うと、日本共産党の二人の議員を除きますと、大きくは「2つの流れ」となっているのでしょうね。私が在籍していた時のパターンと、あまり変化していないパターンのようです。

しかし、何人かの議員は、新人さんを含めて、従来の「会派にはとどまらない」という動きもあるようで、これらが「新しい動きを見せる」のでしょうか。。明日、8日が「会派の届け出最終日」と聞いていますから、明日の5時前までには、概ねの方向が定まるのかもしれません。

仮に、私が在籍していた時の、2年前の議長を作った「グループ」をAグループとし、約束事を破って副議長を作ったグループをBグループとしますと、AもBも、いずれもが、議長候補者が「絞れない事態」のようです。12日の全員協議会(法に基づいての手続きが取られているようですから、最年長者の木下さんを仮議長として運営)における、「議長への立候補の挨拶」などまで、わからないのかもしれませんね・・

★いずれもが、2〜3人の「議長候補・なりたい人・なってほしい人」をそれぞれが持っているようですから、しかも、各グループとも、そのうちわでも「◎◎ならよいが〇〇はだめ」と、各議員、会派内でも、多少のニュアンスの違いがあるようで、中々定まらないのかな・・・・両グループとも、「ひょうたんからコマ・思いもしなかった人」が浮かび上がる可能性が強いかもしれません。。。。

◎◎はだめ、いやいや、〇〇がダメ・・・こんな話ですと、多数が取れない、と、すれば、一本に絞るために、◎◎も〇〇も降りてもらって、新しい人△△さんをという意味だけですが・・・どう動きますか、野次馬になった「ごきげんいかが」さんですが、興味津々というところです。


★もう一つ、注目すべきは、Aグループ・Bグループを、2年前に固定してはいけない、という事態も見えています、新人さんの動きが「ごきげん」には、わかりにくいですが、各グループから、と、いうか、会派から「抜けて、独り立ち」する議員さんが複数人はおられるようで、この、別々の会派でした「一人に独立した議員」さん通しが、新人さんを加えて、新しい会派を届ける準備ができた、とかも耳にしますから、グループ構成の人数にも「微妙に影響を与える」感じです。。。AからBへ、あるいは、BからAへの移動があります、一つの会派として動こうものなら、たちまち、多数派が「変化」しますから、わからないこと多しですね。

そうなりますと、「負け犬」が明確になった段階で、いざ、投票というところで、大きく動く、変化する、「ごきげんいかが」の野次馬的にいわすと、「負け犬のやけぱっちになって、とんでもない人に入れる」という可能性もあります、・・・どうせ、自分がなれないのなら、負ける時の名前に利用されるのでなくて、別の人を「敗者」にするという事もあり、また、多数派への「すりより戦略」という事もあり、昔から、衆楽座さる芝居の「行きつくところは、負け犬が、妬けのやんぱち投票をする」という事ですね・・。

そうなりますと、委員会構成などで、「てまどる」可能性も、「議長室でかってに決めてくれ」とか「どの委員会にもはいらない」とか、の、戦略も、かっては、取られた戦略、さてさて、今度は、どんな戦略、手口になるのでしょうか、、、後、6日間の攻防戦が表面化する日です・・・。


大先輩の死に接して・・・・

※昨日、奥津の森林公園に行きまして、帰りましたら、お世話になってきました、大先輩の訃報が入っていました、しばらく体調が悪くて人前には出られていないで、施設に入ったとか聞いていましたが・・・市議選の時「どうなのかな・・」とフト思ったのですが、、、御見舞いにもいけないままでした。・・・・とうとう亡くなられました。

「家族葬で香典などお断り」とのことですが、「見送りはしてもらいたい」との先輩の言葉を連絡受けていましたから、家内と一緒に通夜の席へ出かけました・・・

平和委員会、原水爆禁止美作地区協議会、そして、津山ネットの「節目節目の大イベントでの歌声指導」など、お世話になってきました、津山市民平和祭の実行委員長を、2〜3年務めていただきました、初代委員長の「木原さん」がなくなった後、被爆二世の会へ引き継ぐまでの間でした・・・色々とお世話になりました・・・ありがとうございました、今日でお別れです、心からの冥福をお祈りします。

私の知らない時代、若いころから、何よりも、日本共産党が大好きだった先輩・・先輩から学ぶことは多くあります、、、もう、お会いではないんですね、、ゆっくりと、安らかにお休みください。。。おせわになりました・・・ 
                                   合掌
5月 6日(水)「ごきげんいかが」たよりについて


★昨日の「雑記帳」は、主に、ホームページにおける「末永弘之の暮らしのニュース・ごきげんいかがですか」について記載しましたが、今日は、しんぶん「赤旗」に乗せてお届けします、「末永弘之の暮らしのたより」と新たに題したいなと思っています、「ごきげんいかが」についてです。

末永弘之の市議会だより、として、発刊してきましたが、先週号・1268号でしたか、4月30日(木)の発刊でした、作成は28日〜29日にかけてと思いますが、いずれにしましても、現職の市議会議員として、まだ、名乗りが有効な時でした、4月30日まで、まさに、丁度、この日までが、議員でしたから、ピッタリの発刊だったわけです。この号も誤字か多いとの意見が出されているようです・・・。

★そして、今日が、普通ですと、木曜日ですから「ごきげんいかが」の発刊日となりますから、1289号が出なくてはいけないのですが、毎年ですが、このゴールデンウイークは、新聞赤旗日曜版が「合併号」として、1回休刊となりますから、「ごきげんいかが」も、お休みをさせてもらっています。

けっして、「作成をやめた」わけではありません。。。昨日の雑記の続きのような話ですが、まちがいだらけ、誤字だらけ、と、笑われても、非難されても、日本共産党に「傷がつく」と叱られても、ともかく、しばらくは「つくりつづける」という事です、が、年に3回ですか、「お休みの週」に当たりますから、「お休み」という事です。

★しんぶん「赤旗」に乗せてお届けする「ごきげんいかが」は、このゴールデンウイークとお盆とお正月と、年に3回は、「定例のお休み」で、途中、都合で「お休み」の時も時々ありますが、間違いなく、作成して、読者におとど歩消します、誤字か多いから、まちがいが多いからと、あれこれと、報告したり、連絡したりは、やはり、御免こうむりたいですね・・・


こちらの「ごきげんいかが」は、ともかく、継続は「力」として、作成しています、

いつまで「継続できるか」は、今のところ不明です、これだけは、「嫌な人、誤字や間違いが気になる人は、読まないように・・・」と申しても、私が、勝手に、「しんぶん赤旗に挟んでもらって、読者には、半ば、強制的に配達」していますから、まさに、悪しからずというところです。。、孤児だらけ、まちがいだられの「ごきげん」を強制手派に配達されて、腹も立つし、ご迷惑でしょうが、これも、極ごく少数の「読者」ですが、「ごきげんが読みたいから、赤旗をとっている」という人も、使用人数ですが、ありますから、この声に励まされて「作成」を続けています・・・。


どうしても、「誤字だらけの・ごきげん」が気になり、チェックして、しかるべき「機関・機構」に訴えることをして、誤字を「無くさせよう」とおもったり・発刊を辞めるように、促したり」の人は、赤旗に入れないようにしますから、しかるべき機関に「申し込み」をしてくださいね、、、お願いします、私に直接言われても、誰が配達してくれているのか、どなたのポストかも全然わかりませんから、これまた、よろしくです。

時々「お金を払っているのに、まちがいを読まされたら、たまらん」と、怒る人がありますが、「赤旗」は、有料ですが、「ごきげんいかが」は無料です、誰からも、援助もしてもらっていません、いわば、全部自費出版です、「赤旗」を通じて、無理にでも、半ば、強制的に「配達される」という事は、今のところ「避けることは出来ない」と思ってください、したがいまして、「しかるべき機関に言うて、ごきげんを止めるしんこく」をよろしくお願いします。

ごきげんいかがの、誤字だらけの「幼稚な文章・小学生でも、あんな句読点はつけないよ、、、小学生以下」と、さげすまされても、昨日の、雑記の通りですから。。。わざと、間違ったりはしていませんので、、、ダダ、句読点は、かなり、工夫してます、広辞苑や国語の勉強としてではなくて、・・・どう読んでもらうか、わかるようにするか、と、いう、まさに末永流「話し言葉の句読点・我田引水」というのでしょう・・・そんな句読点なんですよ・・。それと、もう一つは、パソコン作成ですから、一文字多い糸「行が増える」という現象になり、そのことも、多少頭の中にあるのかなです。

まぁー、ごきげんを、酒の「えさ・あて」につかったり、雑談的に「無知を話題にしたり」「共産党のくせに・・・」と批判をしたりは、ご自由にしてください、この程度のものですよ・・・それでも、1990年6月9日が1号ですから、25年になりますか、良く続けているほうでしょう・・・。よろしくです。

5月 5日(火)物騒な、お話ですね・・・


★昨日の「雑記」の記事で、瀬戸内海が、摂内科医となっていまして、どう「キーボードをたたいたら、そんな文字が生まれるのでしょうか」ね、おかしなことです。。自分でも、さっぱり理解できませんですね・・・

アドレスは表示されていますが、お知らせしてくれた人は、不明ですが・・・この雑記で「アドレス」を紹介したことが、幸か不幸か、「文字の間違い」を知らせてくれました、と、いう事でしょうかね・・。携帯のメールは、苦手です、今後ありましたら、できましたら、パソコンのアドレスの方が、多少便利かなです。

トップページの日付けも「5月5日」になっていたようで、「ブログの文章間違いについて」、とのタイトルで、「今日の日付けが4日です。おしまいのほう岡山市を経て、摂内科医へは瀬戸内海でしょう」とありました。


誤字や間違いの指摘は、今日だけではありません、過去何人もの人に「バカ・無知ではないか」といわれ、さらに「面白く、おかしく」言われてきました・・・が・・・味のないおいしさ、面白味のない忠告でした。毎日、間違い・誤字を探して、ご連絡くださいね・・・できましたらパソコンでの文章を送ってください、多分、雑記を書くのをやめてしまうでしょうね・・・



★新聞「赤旗」に乗せて送る「ごきげんいかが」、誤字だらけ、日本共産党の「恥を売る」行為だそうで、そんなので、よくぞ、日本共産党の議員が務まるね、のご意見も、別途寄せられます。終いには、日本共産党の「党議問題」にでもなるのでしょうかね、、中央の委員長「志位委員長」に、意見書出して、「みっともないから、誤字などの記事を書かすな、共産党の恥だ」という、決定でもして、終わらせますか。。


開き治りでも、何でも、ありません、誤字はないほうが良い、無いのが正しいのは、絶対的な真理です。そんなことは、百も承知しています。・・・・


しかし、失礼ですが、面白いですね、、こんな、個人が気晴らしに書く、「知りたい人にだけ、政治の流れを、早く、おかしく、楽しく、面白く届けようとする、思い付きの雑記」のようなものが、それほど、深刻で、絶対的な「正誤」が叫ばれるものですかね、、目くじらをたたて、意見を正式にあげるような課題ですかね・・・・・。

こんな問題は、お酒の「つまみ」にしてみるとか、「末永を悪く言うネタ、とか、批判する」とかの材料程度でおえて。。。。できましたら、まぁー、ニコニコ笑って、いろんなことが「わかるという、心にくい人間になってください」・・・「ケチをつけるために読むのでしたら、読むのを御免こうむります」です・・・多少の間違いは、寛容にですよ。。

ゴジ楽フアン倶楽部などで、鍛えてほしいものですね・・。それでも共産党の議員か、よく、そんなので、議員がやっておれるね。。。と、無知をののしられたり、知識のなさを「悪く言われても」仕方ないですね・・・・元々が「はくち的知能」ですから…バカにしたり、真剣に注意してくれる人、怒る人は、本当に沢山おられります、、、

しかし、案外「間違い・誤字、キーの打ち間違い、などを楽しむ人」も、極ごく少数ですが、おられるんですね、間違うことは「許さない」人々から見れば、そんなバカなことが・・・と思われますが、不思議なことですか・・・

それと、「どちらでも良いこと、知りたいことが早く分かるだけでよい」という人も、案外おられるんですよ。。。それをいいことにして、誤字を書いたり、間違いをしたりを「合理化・正当化」するものでは絶対にありません、悪しからずです。

市政の動きなど、早く知りたい、と、思わない人、そんなことには興味のない人、間違いを怒る人は、読まないほうが良いかもしれません、

どんな言われても、日本共産党の決定事項になっても、間違いをゼロにすることは、不可能と思っていますから・・。ごめんなさいね、、本当のお話なんです、どんなに無能よばわりされても・・・・・無知識・バカにされても、批判されても、議員でないと、笑われても、間違い・誤字をゼロには、絶対にできません。。。

妙な、自信がありますから、長い年月「ごきげんいかが」の作成をしてきて、しみじみと思わされている、嘆きの現実ですから。

頭の中が、誤字とか、間違いとかは、全く空白で、考えていないのですよ・・・読み直して訂正して作りなおす、などは、全く意識の中に入っていないんですよ。。。どれだけ早く、ことの起こりを知らせるか、だけが頭の中なんですよ、、例えば、今回の市議選の結果、何処の記事よりも、早く、私のホームページを開いたら、二人が当選した、ということが分かる、という、事のみをしらせるのが「ごきげんだ」であり、それだけで良いと思っていますから。

その記事が「
美身みち子・中村聖次郎」になっていましても、私は、正しく「みいみみち子・なかむらせいじろう」になっていると、本当に信じて打ち込み、立ち上げているわけです、「誤字だ」と思って立ち上げはしていないんですよ・・・正しいと思っているから立ち上げているんです・・・そこが、私の「白ち・無知・無学」なところです。。。

午前零時すぎには書きこみましたから。。。この速さだけなんです。。。それ以外に見てほしいとは思わないんですよ、その興味だけで開いて、そうか、二人通ったか・・・良かった、で、おしまい、文字が違うとか、句読点などは、全くもって、出鱈目、思いつき、だけなんですよ、正しい句読点を勉強して、書きこむ、等は、思いもつかないことなんです・・・・・・・「なさけない」と無知をののしられても、それは、本当ですから、仕方ないんですよ。

※かって、本会議の質問を、「津山弁でするのは、子どもの教育に良くない」と、大上段から批判され、悪く言われましたが、どうにもならないことなんですよ、、、これに似た心境ですね。

句読点まで「完全におかしい」と、直してくれる人がおられますが、私は、国語の勉強会で雑記を立ち上げてはいないんですよ、、有名なマスコミでもないんです、全く、趣味の範囲なんですよ。何を、どう表現して「しらせるか」「強調するか」「はなしやすいか」だけを頭に描いて、文章作ります。。。からね。これも、悪しからずです。

知らせたいこと、書きたいこと、それだけを頭の中に描いて、急いで書きこみをします、、その瞬間を見てくださいです、、、翌日に新聞記事を見て、ホームページをゆっくり見たら、誤字や間違いは、気になることでしょうが、その瞬間は、そうか、2人が当選したか、やったあー、で、良いと思っていますから。その程度の役割を持つ、雑記でよいのです、それ以外の価値観は、ゼロですよ・・まして、広辞苑の役割など、全く眼中になしです。。。


それでも、日本共産党の議員か、とか、党員なのか、恥を知れ、「ごきげん」など作って他人にみさせるな、!、と、大上段にかかげるのだけは、御免こうむりたいですね・・。もっとも、個人の自由の範疇ですが、・・・・

なお、これは、「ブログ」ではありません、昔ながらのホームページ(H・P)です。blogもありますが、こちらも、誤字だらけ、私の活動の様子を「写真を中心としてお知らせする」画面として作成しています。これも、悪しからずです・・・。

なにが言いたいのか、訳のわからない今朝の雑感になりました。これでも、こちらは、生身の人間生きているんですよ。。。。、

5月 4日(月)ゴールデンウイーク昨日お昼から雨


★今朝も「小雨」です、いつまで降るのかな・・・・昨日の日曜日、朝、庭の草取りを少ししまして、西粟倉へ「森林浴」へと思いついて出かけましたが、足腰が「痛い」のも手伝いまして、一番上まではいけませんで、二号ふきんから帰りました。帰途について、後、わずかのところで<模様>となり、少し濡れましたが、無事車に乗り込みまして、コーヒーでも飲むかなと思いきや、家内の職場の電話が鳴りまして、急いで帰宅して利用者宅へ、…おやすみの日の「緊急事態」は、大変でした。コーヒーにもならずでした。

★きれいに「枝打ち」などもされた杉林、岩の多い山、岩と岩の間をながれる「吉野川・吉井川の源流」は、とても、きれいな水、曲がりくねった川と石畳みの道、木の葉に包まれる地道、等とてもきれい、でしたが、足腰が、少し痛いですね、年には勝てません、無理しないようにです。

岡山県では、有数の森林浴スポットと言われています、西粟倉村「若杉天然林」には、昔、若いころに一度行ったことがあるのですが、すっかり「忘れていた景色」でした。聞くところや、観光パンフの紹介では、中国山地の代表的な 自然の宝庫で、面積約83ha、標高 1,200m、氷ノ山後山那岐山国定公園の特別保護 地区となっています。 地元では、「若杉原生林」と呼んでおり、 県下3大河川の一つ吉井 川の源流、入り口のところに、西粟倉村と岡山市(吉井川の下流)野二つの自治体の名前で「碑」が立っていました。

西粟倉村から、美作市、美咲町から赤磐を少しは通るのかな・・・そこを流れる「吉野川の源流ではないのかな」と、一瞬思いましたが、考えてみれば、吉野川は、昔の柵原町かな、あの付近で吉井川に合流して岡山市を経て、瀬戸内海へ流れ出ているわけで、やはり、吉井川源流が正しいわけなんですね。。


★ホームページの題字を「末永弘之の 気まぐれニュース ごきげんいかがですか」にして出発しましたが、末永弘之の暮らしのニュース」と変更しました、これも、仮の題字ですが、しばらく使用する予定です、良い、名まえがありましたら、ご連絡ください、よろしくお願いします。

パソコンのメールアドレスも変わりました。
mailto:hirosue0723@gmail.com です、変更ください。

また、都合で、携帯の番号という科、機種を変えました、新しい番号は、

携帯 080―3877―3737 です、

携帯のアドレスは、sue708@softbank.ne.jp

です、登録していただいている人は、すみませんが、登録の変更をお願いします。


5月 2日(土)?のパソコン、画面表示でした


5月1日から市議会議員という「肩書」がなくなりましたから、このホームページを「末永弘之の気まぐれニュース・ごきげんいかがですか」と名付けまして、少し、きれいな文字で飾ってもらいましたが、タイトルの「気まぐれ」は決定ではなくて、試行的な採用タイトルです、何か良いメーニングがありましたら考えてくださいです。昨日ですが、暮らしのニュースのほうが良いのではの意見もいただきました。

★津山市議会の方は、昨日、初顔合わせで、特別のことは「怒らない」で、粛々と議会事務局の事前「事務連絡」などの説明や、手続き、会派構成や政務活動費の使用などの予定行事を終えたようです。12日の臨時時議会がどうなるかです。多分、年寄りから3人、若手から3人の議員の名前で、臨時市議会が招集手続きとられたと思いますが・・。

それはそうなんですが、昨日は、驚きました、私の知らない「ネットの世界」でした、立ち上げたホームページのトップ画面が、見える人と見えない人とがある、と、いう事が分かりました。どうしてなのかは不明ですが、ともかく、朝一番で、立ち上がった「ごきげん」が、末永弘之の気まぐれニュースという文字しか表示されていない、雑記にも渡れない、という連絡です。

新しく作り直しんですね、という連絡もあり、朝宣伝をして、「さくら会館」に行きまして、仕事場のパソコンを立ち上げましたが、何と、私の机の上は、きれいに表示されたのですが、もう、一つのパソコンは立ち上がらずです、?、何でだろう・・・役所にも銀行の関係で行きまして、何人かの人に聞きますと、役所の中は、「見えない、末永の気まぐれニュース」という文字だけが見えるという事でした。。。

★年金の手続きの関係もあって帰宅、そのついでにパソコンを開いて、あれやこれや「小細工」してみまして、やっと、皆に見れる画面となりました。。良かったよかったです。

朝、四人の揃い組宣伝、
そして、夕方はメーディ


今年は、70人の参加、私も、一人の参加者、でもコースも少し長い道のりに変えていました、歩き疲れた感じ出今朝は足がはってますね・・。年には勝てませんです・・。

★昨日から、一市民の暮らしです、それでも新しい議員団(美見・中村)がそうちょうせんでんをしたいので参加くださいのお誘い、朝一は、津山駅前からでした。津山ネットやさくら介護センターの会計処理と科会議のレジメとかの用意をしたり、議員年金の手続き撮ったりで、結構忙しくしまして、4時からは、津山ネット・さくら会館の三役会、其れから、美作地区メーデーに参加、かなり長いデモコースを新規開拓されておりまして、歩き疲れかな、足がピンピンにはっている朝です。しんぶん配達が後になった今朝の雑感です。

5月 1日(金)とうとう5月になりました


昨日が最後、今日から普通の市民です、役所の中、新聞配達と集金をしながら、「44年お世話になりました」のあいさつ回りのようなことにもなりまして・・・・・・これからも、長い人生、後何年生きられるかは不明ですが、「議員は贅沢」と言われる昨今ですが、私の44年の結果論として、退職金はゼロです、元々議員には「退職金」はありません。そして、今回引退して、議員年金を10年くらい前までかけていましたから、その分をいただくこととしました。

→現在は、年金もなにもありませんが、昔からはっていたという意味です。

1カ月約11万円と少しです、これ以外には、何にもありません、仮に、一時金をもらいますと、1千6百万円程度の「年金一時金払い」を受け取れますが、其れで終わり、年金がゼロになって、月々もらえません。

どちらか一方を自分で選ぶことになりますが、私は、長生きをしたい、もっと生きたいの願いを込めて、年金をもらうことにしました。約12年生きたら、「一時金をもらったことと同じ額」をもらったことになります。

★長生きをしたいの願望を生かして、年金を受け取ることにしましたが、、、低いですね、、これでは、食べていけません、、議員という「引退後の収入」は、これだけで終わりです、後は、なんにもありません、、、情けない限りですよ。。

孫たちが、「じいじ、ご苦労さん」の心ね

昨日の夕方、思いもかけないことに出くわしました、家に帰って「片付け」などいましたら、花が届きました、孫たちからの「花」でした、そして、うす暗くなって、今度は、息子・娘たち夫婦からです、胸が熱くなりましたです、・・ありがとう。
★左の写真が「孫たち」から送ってくれた花です、7人の孫、男の子が3人と女の子が4人です。

★右の写真は、3人の子どもたちからです、メッセージもついていました・・・

※永い間の議員生活、見事だったと思っています。異常事態の中・・・?・・・多才な時期を3人のこども、それぞれに過ごしてきました。悩むこともありましたが、お父さんの持つつぶれない強さと、人情味への信頼はいつももっていたようにおもいます。お母さんもお疲れ様でした。また、家族みんなでゆっくりしましょう・・。

こんなメッセージです、今朝は、じっくりと子どもたちや孫たちと私の議員生活を眺めています、長女いわく、「わたしが1歳の時からですから、そして、今、京都で夫が市議会議員です、一生は、候補者の家族で過ごしています・・・」だそうです。一人の人間が、他の人格権に及ぼす影響など、様々な人生模様かもしれませんね・・・。