2015年10月の雑記帳

10月16日は、春名なおあきさんをむかえて「戦争法廃止のできる政府づくりづくりを」と日本共産党街頭演説会でした。写真は、新天神橋北詰め交差点の様子です。
 
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10月30日―岩手県宮古ボランティアセンターへ支援物資の荷造りの様子、参議院選挙予定候補の春名なおあきさんが来津などの様子を挿入したブログ画面、を作成です。一度ご覧下さい。

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10月31日(土)早いですね、もう、11月になるんだ


★もう10月の末日です、はやいですね、明日から11月です。昨日、午前中は、岩手県宮古ボランティアセンターへ「復興支援物資」の荷造りでした。今回は、宅急便でなく、車で野送りですから、少しは作業が楽でした。支援物資にかかわる「お金」の計算などもしながらお昼は、「おでん」に舌包み、おいしくいただく。そして、午後は、金曜日でしたから、月末というのではありませんが、「しんぶん赤旗日曜版」の配達、そして、配達に合われて月末の集金でした、これは、月末という事での仕事ですね。そして、津山ネット・さくら介護センターなどの「資金運用」をふくめての事務整理でバタバタとしました。

月末が土曜日で、11月1日は日曜日で、この雑記は、定例のお休みですが、2日(月)も都合でお休みさせてもらう予定です。3日か4日~11月の雑記は始まるかなです。

津山藩日記・古文書から、皮かわの流通の在り方について、「部落問題研究所」によります、「近世身分研究」のひとコマ、研究者集会に行きます。先日、津山の「博物館」にお世話になりまして、全く読めない古文書のコピーなどいただきまして、現代語に直した、ある研究所の文面などもコピーしてもらい、少しだけ読みましたが、津山で作られた「皮かわ」が、「近年牛馬皮高値二て、・・・」で、商売人もこまる、その上に、大阪に流れていたのが、途中の播州あたりでしょうか、ストップしてしまい、「なぜストップ」「高値を作る原因か」などの研究・・・ストップした理由は、播州でなにがあったのか・・・

そこに、江戸時代の「かわた身分」と「えた身分」との =なのか、と、×なのか、どうなのか、=とおもえますが・・・何か、まぁー、仔細は、研究会に行ってみないとわからないということです。

★高垣亜矢 さん・日本学術振興会特別研究員 という人、初めて聞く名前ですが、津山の「博物館」に来て、いろいろと調べた人かもしれない・・・とかの話です。勉強して、また、機会がありましたら、津山藩の「皮かわものがたり・流通のありかたと身分制度」などの報告をさせてもらいます。

と、言う事で、しばらく雑記と離れた暮らしになります。

10月30日(金)宮古ボランティアセンター荷造りの日


★昨日蒜山へ「大根」の仕入れに行きまして、とてもきれいな大根を購入してきました、そして、地元の「野菜いちば」の知人から、きれいな「ほうれんそう」も購入しました。その他、痴人から、サツマイモ、や、キャベツが届く予定です。岩手県宮古市「ボランティアセンター」へ復興支援物資の荷造りです。事務所には、多少の「衣類」などが届けられ、さらに、お米が少々あり、購入したお米とあせての荷造りです。ご協力をお願いします。

荷造りした「支援物資」は、31日(土)に、岡山県人権連青年部がボランティア活動で、宮古市へ行きますから、その車に乗せ行きます。青年部の皆さんも大変な苦労です、10数時間はかかるのかもしれません。ご苦労様です。

宮古では、災害住宅の一つである、崎山住宅の集会所で「復興支援無料市」を開催し、住民との対話、特に、アンケート調査を最近は主にやられている感じですから、この行動に青年部もきょうりょくすることになるのでしょう・・・帰ってきたら、また、様子をお聞きして、紹介できるかもしれませんね。


昨日は、文字を「大きくする」と書いたが、作ってみて、あまりにも大きいので、普通の文字に直して書き上げましたが、今朝は大きいままでたちあげてみようかなです、誰か、読まれて、この大きさでも、読めるよという人、小さいほうが読みやすいよ、という人、感想でもあれば連絡していただけると幸いです。大きいから読みやすいとは限りませんですね、

★さくら会館の移転、国道拡幅に伴う立ち退き、役員の中では、方向穂意思統一して、来月の中頃までに、組織的な手続きとるために、臨時理事会の日程などを決めて、その理事会で「最終的な金額と方向性」を決議などをもらうこととした。それで決議してくれたら、本格的な「引っ越し」の準備に入れます。しかし、幾つか解決しなくてはいけない課題も抱えていまして、一苦労かなです。、

10月29日(木)明日の宮古ボランティアセンター荷造りへ


★朝一に、蒜山へ「大根」の仕入れに行く予定の朝です。明日が、東日本大震災被災地・岩手県宮古市ボランティアセンターへ、復興支援物資の荷造りの日です。何回か紹介していますが、岡山人権連青年部が、何回目になるのかな、数回は行っていると思いますが、31日に直接現地に行ってボランティア活動です。その車に支援物資を載せて行ってもらいます。

青年部では、津山以外からも、お米を中心として「支援物資」をあつめているようで、最後、すえひろ亭で「荷物の積み込み」をして、津山インターから宮古へむかうらしい・・・10時間程度かかっていくのかな・・・大変な努力です・・・

何で、岡山&津山などが岩手県宮古なのか・・・震災の直後は、私自身、あるいは、津山全体も含めて、それぞれが、気になる地域、知人に対して、支援物資を送ったり、カンパを送ったりしていましたが、3~4カ月を経たころに、日本共産党中央委員会が、党の組織の特徴をいかして、受け入れ態勢と支援する地域とを「割り振り」するような感じで、受け皿を作ってくれました。その時に、岡山県、中国地方全体だったかな、岩手県宮古地域が、いわば、支援地域となったものです。これは、あくまで、日本共産党の内部だけの措置で、他の人たちに求めたものではありません。党内も、強制ではなく、自主的な判断としての問題提起ということです。

それから、私たちは、「日本共産党津山市後援会・支援物資」として、4年間、月に一回、宮古のボランティアセンターへ物資を送り始めたということです。

現地は、ボランティアセンターを立ち上げて、仮設住宅など被災された人たちへの「支援物資無料市」なるものを行い、それに向かって、津山から、物資を送り続けるという次第です。宮古と、前から縁があったわけではないのですが、宮古といえば、沖縄県宮古市と、津山が「姉妹都市」です、沖縄の宮古市を知っていた程度でしたから。。。

明日の、荷造りへ、物資の提供などよろしくお願いします。


今朝は、文字を一つだけ大きくしてみた、すこし大きすぎる感ありですが、私自身、「大きくなりました」から、この程度の方が読みやすい、そんな年になりましたということですね。

昨日、「さくら会館」移転後の駐車場にお借りした糸お願いをしている地権者のかたが帰って蔵れて、何十年ぶりとかで、自分の「壊れかけている古屋」とか、現在でも「貸家」になっている家とか土地の状態などを見て帰られた。結論が出ていないが、幾つか問題点も「見つけて」の話し合い、境界が「定まっていない部分」もあったり、隣地との凹凸があったり、、、

これらの解決をどうされるのか、と、私の方から問題提起もさせてもらい、解決へ向けてのお願い、問題が解決してから、古屋の取り壊し、そして、土地の整備、それから、駐車場へ、の行程です、中々時間がかかりそうな気配、・・・・こちらは、少々時間がかかっても、要は、駐車場のことです、「立ち退き家屋」との直接の関係は無し、ということで、立ち退き、移転の作業を早める必要ありと言う事です。  ・・・ で、今朝の雑記は、終わりです。


10月28日(水)国道53号拡幅工事と「さくら会館」移転


★国道53号線が、津山駅前ひろば整備事業のひとつとして「拡幅工事」に入りますが、今津屋橋から使用輪町・前川南郵便局から、美馬さんマツダの交差点付近まで、土地倍雌雄と建物の補償の話し合いです。「さくら会館」に対しては、基本的な「提示額」がありまして、後は、組織ない論議として、うけるかどうかという話し合いが必要という段階に来ました。

さくら会館・津山ネット・介護センターの三役会議、今後の在り方検討委員会などでは、ほぼ、「やむを得ないからひっこす」という論議を終えまして、後は、理事会・役員会での論議というところまで来ました。ところが、引っ越す予定の家屋の裏側を「駐車場として借りたい」との希望で、その段取りに入りましたが、なんと、ここが、国土調査は、すでに終わっている地域ですが、「筆界未定地」でした。境界の「未定」なのに、駐車場として整備することは、きわめて困難、ご本人と、その周辺へ、色々と話を持っていきまして、「みなさんで境界を決めて、法務局に届けてください。それが、できましたら、駐車場としてお借りして、整備させてもらいますから・・・」が基本のスタンス・・・

★今日、兵庫県・遠方ですが、地権者が急に帰ってくるからはなしたい、の連絡有りでした。朝一番に、博物館で、津山藩の古文書について資料をもらったり、現代語に「翻訳?」してもらったりを予定していましたから、それが終わってから、お会いすることとしました。

現地を見たい、確認したいなど、地権者と直接の話し合いですが、「境界を定める」事等の「困難さ・必要性」などの現状は、私の方が多少は分かっているのかもしれません・・・、隣地との境界もどうなんでしょうか、地図の上では、直線状態ですが、現場は、凸凹ですから・・・地権者通しの話し合いも、必要かなとおもいますが。・・・そんな「説明をしなくては、地権者には、仔細がわかられていない」のかもしれません。。。これまた、困ったことです。

★この境界が定められてから、地権者との話し合いをして、購入したい「土地」を定めてもらい、さらに、境界が定まった土地を、お借りして駐車場に「整備する」という事になります。古屋が立っていまして、壊さなくては、境界付近の様子もわかりにくいです。かなりの費用をかけないと、駐車場にはならないと思えます。

さらに、土地と建物を購入して、一階を「さくらカフェ・野菜売り場・レストラン風」に改造して、二階~三階を、さくら介護センター、津山ネット、NPО「さくら会館」の事務所・会議室などに使用できるように改造です。話が逆になりま下が、本当は、この作業を一番にしなくては「立ち退き」ということにはならないと思います。今年度中には移転を完了しなくてはということです。

国道の拡幅工事全体のことでは、さくら会館以外の「地権者の動き」は、全く見えていません、どうなっているのかは、全体の話が一定程度前に向かないとわからないのだろうなと思います。

私たちは、あきらめない、廃止ができるまでの思いも強し

★戦争法が強行に採決されて、一か月と少々、全国でもそうですが、津山でも「絶対にあきらめない、廃止させるまでは・・・」の思いが日増しに強くなっています。先日行われました「戦争法」の廃止を求める市民集会で、飛び入りでの挨拶をされた市民の方がおられまして、「私は、戦争体験者、あの安倍政治はゆるされない、の思いが強い、特に、強行採決された翌日から、このままではいけない、と、思い、雨の日以外は、毎朝、交差点で「安倍政治は許さない」のスローガンを書いたプラカードをかかげて交差点に立っている、仲間も増えている、・・」とうったえていました。

昨日の朝は、新日本婦人の会津山支部の女性群が、今津屋橋北詰めで、週一回の早朝サイレントとをされて、道具をもって「さくら会館」に帰って暗れた、早くから「おつかれさん」のあいさつでした。「戦争法は廃案へ」と訴えての行動です。津山有志の会の皆さんは、強行採決される日までも、スタンディング・サイレント行動をされていましたが、強行採決以来、毎日、夕方、五時から文化センター下交差点でのサイレントスタンディングを行っています。日本共産党市議団も早朝宣伝を定期的にしています。

まさに、日本中が、こんな状態だと思います。安倍政治は許さない、のスローガン、頑張りましょう。あたらしい政治を作り出したいものです。

10月27日(火)一日早い「ごきげんいかが」作成へ


★末永弘之の暮らしのニュース「ごきげんいかが」1292号の作成へです。普通ですと、明日、水曜日に主に作成するのですが、今回は、都合で1日早く作成です。明日が少し調べ物をしたくて作成が困難かな、そして、30日は、岩手県宮古ボランティアセンターへ「復興物資」の送りですが、29日に、少々「仕入れ」など準備したいなの願い、・・・というのが原因です。

週末の10月31日(土)~京都市内・同志社大学今出川キャンパスで、第53回部落問題研究者集会が行われますが、私は、学者ではありませんが、何回か「興味」をもって参加してきましたが、今回、文化かい論議の中で、①歴史(テーマ・近世身分研究の新展開)京都の非人―「坂」から「非田院邑」へ― 吉田ゆり子(東京外語大学)3の発表があり、その後、―八世紀末における皮革流通構造の変容と皮商人―津山藩を事例に―

というテーマがありまして、と、いうか、研究所の「案内」を見まして、「へぇー津山藩が・・」と思いまして、郷土博物館などに、津山藩の奉行所日誌そのもののコピーをもらったり、現在文に直しての資料の「解説」をお願いしたりしていまして、その勉強ということです。もっとも、古典文字など全く読めません、末永流」に言いますと、「私にわかる日本語にしてほしい」というお願いです。

そもそも、「近世」とは、今の時代ではないのか、と、思いましたら、違いました、今は、明治以後が「近代」という時代区分に入るそうです。そして、今の時代は、いつでも、、現在というのが正しいのかな・・・。

①原始:旧石器時代から弥生時代末期
②古代:飛鳥時代から平安時代まで。聖徳太子の政権掌握(593年)から、1160年代の平氏政権の成立あるいは1185年の鎌倉幕府の成立までとされています。
③中世:、平氏政権の成立(1160年代)から安土桃山時代(戦国時代末期)までが「中世」とされています。
④近世:江戸時代
⑤近代:明治から第二次世界大戦(太平洋戦争)前とされています。

という区分がやや正しいのかなと思います。

★学者の中では、→近年、身分的周縁論という学がふかめられているらしい、地域における歴史・具体的に事例の検討の中から、非人身分やかわた身分についても新しい歴史像が提出されていると 書かれている。こんかいは、津山藩の皮商人と買い入れに訪れるかわた身分の取引形態を検討し、皮革流通構造を解明したいとのねらいらしい・・・いずれにしろ、津山藩の日記からの検証、参加の前に、多少でも資料を見せてもらい、少しは、知識にしておかなくてはの思いで珍しく「資料」を学び田が明日、・・・で、今日が、一日早い、「ごきげんいかが」作成の日です。、

10月26日(月)伊勢市から帰りました


★三重県伊勢市で、第11回地域人権問題全国研究集会へ、津山から11人が参加、今の時期ですから、「戦争法と人権問題」が一つのテーマにならざるを得ません。「憲法9条と戦後民主主義、人権運動の岐路」と題する、学習協の山田敬男さんが記念講演、そして、私は、考えることがあって、「日本国憲法と人権」の分科会へ、龍谷大学の丹羽徹さんと研究所の尾川昌法さんの報告へ参加でした。

報告する「時間配分」という科、定められた時間内に「話したいことを話す」、という講師であってほしいな。。。の思いは残りま下が、二人とも話の筋道は良く理解できた。特に、「憲法というのは、普通の人が読んで理解することが憲法であって、専門家・学者や法律家が、あれこれと解釈して解説しなくてはいけないようなものではない」と言われたが、今の時期、9条とか25条とかの安倍の扱いは、まさに、そのものズバリというかんじでした。立憲主義にはんしている安倍の「ありかた」は、もっと、糾弾されるべきことだと思われる。

★私の課題は、今、平和か戦争かの岐路に立つ「憲法論議」の時に話題にすべきことではない、との前提ですが、
①憲法をかえるという事の是非論→天皇の象徴としての規定、ここを何とかすべきではないか、
②暴力団排除条例の制定の課題と、暴力団の人権の有無、有る、と、すれば、排除はいかがなものか、無いとすれば、個人の名前を明確に公開できないのか、人権と科、個人情報の問題とか・・・憲法と人権とかの観点からどのように見るべきか・・
③税金滞納の人が、選挙の自由という憲法の規定、納税の義務、どうなのか

という命題を質問としてぶつけてみた、結果は、現状を「変える」ことなどは無理、出来もしないことだが、それでも、私は、いい続けたい②と3の課題です。。。現在の憲法・人権という枠組みの中では、「止むを得ないこと」では、どうしても納得できない現実のかだいでした・・・まぁー、いい続けてみるだけかもしれませんが、いい続けてみたい感じも残りま下、今年の研究集会でした。

★お伊勢さん、おかげ横丁で昼食、久しぶりに2時間程度ブラブラしましたが、すごい人人・・・で驚きました、少々疲れの残る2日間の研究会の旅でした。今日からは、普通の暮らしへ、さくら会館の移転にともない色んな課題の整理、そして、月末の慌ただしさがまっています。

10月24日(土)人権問題全国研究会へ


★今年は、三重県伊勢市で「研究会」です、津山ネットをはじめとして10数人が参加します。今野次期、人権とは何か、平和が保たれてこその人権・・・全国集会も、色んな地域で行われますが、集会に参加して、講演や報告を聞いて、論議して、終わって、帰ってです。その地域の「観光」などは出来ません、今度は、伊勢市ですから、伊勢神宮だけでも「いける」かといいますと、無理です、一泊多く取れば、それなりに「観光・見学」もできるのでしょうが。。。

今回は、参加した人たちと、一緒に「伊勢に来た」と実感をあじわいたい、と、もせめてもの思いで「おかげ横丁」で昼食だけ取って帰るコースをかんがえました・・・お土産も、ゆっくり変えない日程・・・・のんびりしたいねの思いです。

そんな感じで、26日の月曜日は、雑記を休ませてもらい増す。日曜日の遅く帰って、月曜日は、普通に「さくらかいかん」に出て仕事しますが、、、朝、書くというのは、少々無理かなということです。

10月23日(金)「戦争法」の廃止へ、津山市民集会


★総がかり津山実行委員会のよびかけた「戦争法」の廃止をめざす津山市民集会、が山下・児童公園ひろばでおこなわれ、100人強は実数参加していたと思いましたが、主催者は100人と発表しました。集会の後、みんなで大手町交差点で、サイレントスタンディングが行われ、あの、交差点の「四方」に約20~30人がブラカッードをもって、大弾幕?の感じ、ですが、誤字かもしれませんが、このまま表示、大弾幕を四方に掲げての約30分のアピール行為でした。

カメラがレジカメ、フラッシュ不足、そして、技術不足で、うまくとれません、が、その集会と、サイレントの様子を挿入したブログ画面、を、頼まれた「写真」などを送信する関係で、急いで作成しました。一度ご覧下さい。

★私らが、若かりし頃の、いわゆる「社共統一」という共闘方式、これと似た部分を持ちながら、全く違った市民団体による「総がかり」という共同組織、・・・若者の参加、ということでは、中々困難がある感じですが、呼びかけ団体を「協働にする」努力、そして、実行委員会づくりと集会の準備・・・私は、時折、その様子を「聞くだけ」で、集会も、一人の参加者ですか、それでも、100人の人たちが、集まる集会、とくに、サイレントは、すごい迫力、大きな力でした、元気もらった市民者迂回とサイレント、お互いに頑張りましょう。

来賓の挨拶というか、決意というかの表明が、民主党→秋久議員、日本共産党→美見議員、社民党→失礼ですが氏名不明、そして、黒見議員・河本議員が挨拶されました、こんなかおぶれが「挨拶する」というのが、総がかりという津山の実態です。昔歌詞の懐かしい子度は「社共統一戦線」と科の名残、良かったです、これからも、新しい「政府」づくりへ向けて、大いに話し合いをの願いです。もう一度、

市民集会と、サイレントの様子を挿入したブログ画面、一度ご覧下さいね・・。

10月22日(木)雑記帳も、「宣伝」もあり気です


津山珈琲倶楽部→コーヒーは飲めませんが・・・駅前の「ごんた寿司」さんがいよいよ新装開店です

★津山駅前整備事業、何回か雑記に登場していますが、賑わいを呼ぶ津山駅前に…というのも整備の目的の一つです、上の写真、左の写真が、今日かな、開店する「ごんた寿司」の建物、玄関回りから撮影したものです、昨日は、回転祝いの「花輪」が並べられていました。賑わいの通路・写真では、朱色の鉄骨の組み立て中の物ですが・・・まだ、完成していません、さらに、全体では、まだ未同意者問題の解決は出来ていないようですが、新しい店舗が一つ回転という新しい瞬間の出来事として紹介です。真ん中二枚の写真は、jRの建物が撤去作業に入り、近く、広場になる予定の工事写真、そして、右は、駅前コミュニティー会館の建物建設中の物です。

まだまだ、月日はかかりますが、未同意者問題の解決という難題もありますが、確かな足取りで、津山駅周辺が変化しているのは事実です、「国道の方」も、やっと、具体的な交渉が行われ始めました。

10月21日(水)「ごきげんいかが」作成の日です


★末永弘之の暮らしの便り、地域限定「しんぶん赤旗読者ニュース1291号とおもいますが、作成の日です。発刊は明日つけ、10月22日です。この一週間は、色々とあった、さくら会館の「立ち退き物語」「春名なおあき来津「サイレント行動」・・・・津山ネットとさくら会館の役員会、そして、いわゆる「対市交渉」→津山市行政と教育委員会との「はなしあい」と称している、さらに、茨城県常総市「吉野サポートセンター」への支援物資の送り・・・・お知らせしたい活動多しでした・・・どれを書くか、こんなときには、多少の迷い、今朝から作り始めので、作成・印刷の時間も、少々気になっている朝です。

★昨日の、午前中が教育長との話し合い、午後が市長と野話し合い、半年ぶりくらいで、ほぼ、一日役所の中へおりました・・・・・私は、「協働団体」では、事務局長で、話し合い当日は、全体の司会役、まとめ役とでもいえるかもしれません・・・。少々疲れました、参加者は、30人弱、各団体の代表者の皆さん、津山ネットからの参加が少し少ないのが、今後のことを思うと、少し寂しい感じの日でもありました。

色んな団体の市政に対する「声」を直接行政にどけることの大切さをあらためて実感の日です、市民の生の声というのは、聞いていて、大いに参考になる、なるほどと、うなづける、この声に耳を傾ける宮地市政の在り方は、前市長と比べて、大きな違い、協働の組織にあつまっている各団体の人たちも、多少の「温度差」はありましても好感度ということです。

もちろん、申し入れ項目への回答が、すべて「よし」ということでは絶対にありません、市民感覚、私たちの思考、などから見ての実感として、これはどうかな、もう少しよくしてほしい、とか、思考・政治の在り方の根本を「変化してほしい」とかの願いのちがいはあります。それは、其れで、止むを得ない点ですが、そこまで「好感度」は無理としても、全体として、話し合う、意見交換をする、という事の意味合い、大切さが大事ということかな。。、

今日は、午前中は、さくら会館の「立ち退き」に関係して、行政の皆さんに色々と「知恵をかりて整理したい問題」と「これからのありかた」についての話し合いです、この「話し合い」も、宮地体制楢こそできるという科、してくれる業、職員の皆さんには、ご迷惑なことですが、よろしくお願いの朝、そんなこと思う今朝の雑感です。

10月20日(火)市長と教育長へ市民要望を届けます


★今日は火曜日ですが午前中が、教育長を中心として、教育に関する市民の要望を話し合います、買っては、対市交渉と言われていた内容です。そして、午後は、市長を中心と下、各部局と、市民「協働」団体との話し合いです。新婦人の会の会長に「協働団体」野責任者になってもらい、県労みまさか、医療生協、民商、革新懇話会、生健会、平和委員会などの市民団体からの、行政への「平和・人権・暮らし守れの要求」をまとめて行政へ届けて、一つでも、二つでも、前向きに解決してもらおうという試みです。

何人の人が参加してくれるかは、明確には分かりませんが、一年二一回の「恒例行動」の日です。宮地市長に寄って作成されている第五次総合計画、いわゆる10年後を見据えた「まちづくり・人づくり・津山づくり」への展望をふくめて・・・さて、「開花」とある総合計画のタイトル、準備の段階でもしきりに出ていましたが、「何をどのように開花させるのか、そもそも開花とは何を咲かすのか?  いやいや、「開くのか」、が正しいのかもしれません、どんな花になるかを聞いてみたいものです。




被災地への「復興支援物資」の送り


★9月19日でしたか、関東1円を襲った集中豪雨、鬼怒川などの河川の決壊、大変な被害でした。東日本大震災の被災地へ、4年半、支援物資を送っていますが、支援物資を出してくれる人の中から、この水害被害地には支援物資は送らないのか、何で、宮古だけにこだわるのか、等の意見が出されまして、現地で野受け入れがどうか、、現金のカンパの送り先は、幾つか明らかになっていますが、現金を一定額揃えて送るというのは困難、しかも、全額が「思う地域・人たち」へ届いているのかというと、100%ではないことは、明確である。

日本共産党中央委員会への「受け口」は、集まった現金をすべてを、幾つかの「地域」に分けて、100%届けているのも事実ですが、日本赤十字をはじめとして、100%の現金を、そのまんま、被災地・被害をうけた人たちへ「送っていない」のは、東日本大震災の時の「義援金募集」と「義援金の配布状況」などから明確になっている、最後の1円まで、何らかの方法で、明確にして国民に知らせるべきだとは思いますが・・6割程度の使途が明らかにされて、残りは、どうなっているのか、最後の1円までの行方は、どころか、4割近いお金の流れは全く知らされずです。

それは、それとして、私が呼びかけている支援は、主に物資です、お米や野菜、水害の支援は、衣類や生活用品です、茨城県常総市の「吉野サポートセンター」へ、15日に、市内の党員や後援会員などがらよせられた「物資」をおくりました・・・その様子が、
★吉野サポートセンター https://www.facebook.com/yoshinosc?fref=nf これでつながるかな、常総市吉野サポートセンター ?ですが、ブログで紹介されました。現地は大変な様子です、まだまだ、ボランティアによる「家屋のへどろ取り、家屋の整備」などが進んでいないようで、支援物資を「届ける・どこかに取りに来てもらう」という活動が大変なようです、物資の支援は、しばらく「見合す」という事のようです。

★こちらは、岩手県宮古市のボランティアセンターの常総市「吉野サポートセンター」へボランティア活動で出かけた時の様子を伝えています。津山からの物資ではありませんが、「吉野ボランティアセンター」野活動ぶりがわかるかと思います。茨城県常総市水害ボランティア活動へのタイトルで書きこまれた、宮古ボランティアセンターのブログです、一度開いてみてくださいね。  


宮古ボランティアセンターへは、30日(金)午前10時から、すえひろ亭で荷造りして、31日に、県人権連青年部が直接、宮古へボランティア活動で荷物運んでくれます。今回は、お米・野菜など食良品が主な物資です。あの大震災から、4年半を経過していますが、まだまだ、現地の住民は大変のようです、仮設住宅住まいの人たちは、高齢の人、一人住まいの人、住むいえがない・新しい「団地」にも収入・家賃の関係で中々入居できない、という事態の人もおられます、しばらくは、支援が必要との事です。よろしくお願いします。

10月19日(月)土曜日のサイレント

★17日は、恒例のサイレント行動でした。12人が参加、「戦争法は廃案に」「廃案のできる政府づくりを」と訴えでした。とても、暖かい日、厚いという感じの秋空のもとでした。

道行く人、車で通る人、皆さん、横断幕などを見て、それなりの反応、人それぞれ面白いと思いました。

★16日の金曜日は、日本共産党・来年の参議院比例区・予定候補(名簿記載というのかもしれませんが・・・)春名直明さんが津山入りの日でした。文化センター下交差点と新天神橋北詰め交差点の2か所で「安全保障法の強行採決に抗議し、戦争法を廃止できる政府・日本共産党は国民連合政府と提案しているが、名前はこだわらない、国民の皆さんと、他の野党と、話し合い、何としても、はいあんに・・・」と訴えです。

いつ聞いても、春名さんの演説は、うまい、声に張りがある、元気がもらえる演説です。春名さんの演説に合わせて、プラスター宣伝も行い、20数人が参加、中々賑やかな宣伝戦となりました。街頭演説が終わって、近くの鶴山ホテルで、春名さんをかこんでの「昼食懇談会」でした。26人かな、30人弱が昼食会に参加しまして、春名さんのあいさつ、参加者全員が自己紹介、簡単な決意など申して有意義な時間を過ごしました。春名さんは、この後、真庭市へ走り抜けました。


★19日の土曜日は、革新美作の会が呼びかける恒例のサイレント行動でした。上の写真がその一コマですが、安全保障法のごういんで無茶な採択、こんな法律は認められない、戦争法はあくまで廃止をとの訴えです。こんかいは12人が参加、とても、暖かい日でした。道行く人たちの空気は、微妙に変化しているのかな、?、何事か、と、思う表情で見る人が多くなりつつありますが、それでも、戦争法の国会審議が始まる前と比べてみて、車の中から「手をふる人」は、多いし、徒歩の人も、以前と比べて声をかけて通り過ぎる人は多い・・・。

高校生などが、「戦争には行かない、嫌」と意志表示をしたり、友達通しで話ながら通り過ぎる姿は、明らかに、半年前位と比べると、随分多くなっていると思える。

近く、写真中心のブログに、春名さんが来津の日、サイレントの日などを挿入したいなの思いです。


★先日、国道53号拡幅工事にともなって、「さくら会館の立ち退きに関する話」が国土交通省からきた、国の考えと資料をもらい、「いまいち、あと一押し」という気持ちは伝えましたが、今の時代、駆け引きのような話し合いは出来まい、ズバリ、現在の国の提示額をどう受け止めて、新しい移転先を考える必要がある、と、言う事です。

今日は、新しく「移転先」として考えている土地建物の持主とお話です。早期に話を付けて、引っ越しなどの準備に入って、さくら介護センター・介護支援事業所の内容・設備などわ県行政の指導下、基準通りに「事務部屋」に改造してからの引っ越しとする必要がありです。

移転先のことで、幾つか、新しい課題なども持ち上がっていますが、基本的には、何とか「事務所としての移転先」の話はつきそうですが、しかし、その家屋に隣接する「古屋の解体」などをして駐車場とか倉庫とかをつくりたい問題は、中々話が一直線に前に進みません、どうすべきか、少々頭の痛いところです。最悪の場合、今の駐車場をかりたままにしての「移転・引っ越し」ということになるかもしれませんね。。。。

10月17日(土)末永さん、あの人はどんな人なのか!


★城見橋を、私が、さくら会館からアルネ―向かってわたっていまして、知人の奥さん・Kさんがアルネの方から、自宅・津山駅のほうへ帰るところ、橋の真ん中あたりから大きな声で「末永さん、ええとこでお会た・・・〇〇さんは、どんな人、あんなのでよく議員をしておるな、腹が立ってしかたない・・・・・・」と、こぴっどく叱かられました・・・私が叱られたわけではありませんが、こぴっどく叱られた、と、言うのが、まさに、実感、その通りの現象でした。

何のことかわかりません・・・・「議員さんで、良く、頑張っておられますが・・・」と、極、当たり障りのない返事・・・「どうされたんですか」の問いかけをしましたら・・・・

※1か月ほど前に〇〇議員が来て、「Kさん、あんたとこの家がボロイけん、目隠しをして、見えんようにするけん、許可してください」というから、「私の家は、先代が建てたもので、古いからだろうが、そんな馬鹿な言い方はなかろう、ぼろを隠すのなら、なんぼでも塀をしんさい」と答えたが、なんぼ、何でも、ボロイ家というのは、ひどい言い方、議員なら、もっと、言い方もあろうし、・・・眠れんほど腹が立って、・・・丁度、ええとこで末永さんにおうたから、一言聞きたい、言いたい、・・・」ということでした。
隣の人も怒っている、ということも知らされました・・・

★そうでしたか、それは、それは、ですね。。。今度、〇〇議員にあったら、言うて置きますから・・・少しひどい言葉ですね、、と、わかれかけましたら・・・中々離してくれませんで、お話は何回か、言葉を変え、言い回しは変えましたが、ともかく、隣の人も併せて、〇〇議員は、何者なら、何で、そこまで言われなくてはいけないのか、・・よくぞ、そんなので◎◎をしておれるな・・・そもそも、何で、関係のない〇〇議員が、私らにそんなことをいう手来るのか・・・どうせ御用聞き、たのまれて来たのだろうが、、、

こんな話がつづきました、、、そうですね、せめて、「家の裏が暗くなる、目障りになるかもしれんが、看板を建てさせてください」くらい言わないと、おかしな話ですな・・・と、いいましたから、まさに、火に油を注ぐ感じ・・・・そうだろう、本当に、腹が立つ、常識がなさすぎる、あんなのが議員かと思えば、津山は禄でもない、碌な政治はできん。。。よう、議員をしとるな・・・と、まぁー、すごい怒りでした。

こんな話があるんですよね、お互いですが、言葉には気を付けないとダメですね・・・と、言う教訓のお話でした。

10月16日(金)春名なおあきさん来津の日


★来年の7月、参議院選挙が行われますが、日本共産う党の全国比例区(中国・四国地域が重点区)の予定候補者であります、春名なおあきさんが久しぶりに津山に来ます。春名さんは、元勝田町梶並の出身で、林野高校から高知大学に進学し、卒業後も、高知県にすんでおられる人です。一度、衆議院に当選したことがあります。したがいまして、元衆議院ということになります。よろしくお願いします。

朝は、美咲町、柵原地域での「対話集会」に行かれまして、午前10時ころに津山入りをしまして、文化センターした交差点での街頭演説、そして、11時45分から新天神橋交差点で野がいとうせんでん、私たちは、ブラっカードなどを持っての「サイレント行動」で応援です。

戦争法はあくまで廃案に、廃案が実現で゛きる政府を、皆で力を合わせてつくろう・・日本共産党が提案した「国民連合政府」づくりへの道筋を話してくれると思います。参議院選挙だけでなく、衆議院選挙も、、、すなわち「国会解散への道」もひつようです。今できている「法律」を変える、無くする、という力、数が必要です。かなり困難、難しいですが、それでも、あえて挑戦したい、してほしい、の願いです。

野党、とは、いえ、色んな党がありますから、一概にうまく行くとは思えませんが、何とかしたいと思います。日本共産党が参画する「内閣」「政府」だけが、いまだ、日本で経験したことがない政治体制ではありませんか・・・そのたの政党は、組み合わせは色々ですが、全て、「政府・与党」野経験党です。

民主党を含めて、「政府を作ってみたけれど、うまくいかなかった」という苦い経験しかありません、あの、社会党ですら、政権の座についた時がありましたが、益々、日本がダメになっていった・・・無茶な経験です。こんな事を思いますと、今度こそ、日本共産党をふくめた「政府をつくる」というのが、一番ではないかと思います。ちがっているのかな・・・?


常総市へ「水害お見舞い」の物資送りました・・・



★沢山の物資を事務所にもってきてくれていた、が、すえひろ亭とさくら会館に多くて、少々考えさせられる現象である、そして、10数人の手伝いのひとたちが参加、おかげて案外早くかたづいた。。。大きな段ボールへ15箱程度かな、都合でSさんの荷物を一緒に送ったので、荷物の数が正確に記憶できずです。

現地のサポートセンターで、どの程度の「物資」が必要で、どの程度裁けるのか、どんな物資が必要なのかなど、仔細が不明なままですが、現地も、まだ、ヘドロ対策・持ち家修理、家が流された後のくらしぶり・・・避難所暮らし、仮住まいの人たち、などなど、被災者へ、どのように支援物資を「とどける」かの作業も中々大変な感じはあります。

1回目、と、いうより、現地も含めて、初めての経験、これで経過を見て、2回目ができるかできないか、双方で検討が必要という事ですが、物資と科カンパとか、荷造りのお手伝いとか、大変お世話になりました、ご協力ありがとうございます。台所方の作ったおいしいカレーの日でもありました、ありがとうございました、おいしくいただきました。荷造りの様子は、近く、写真特集のブログへ挿入したいなの思いです。


10月15日(木)鬼怒川大水害地域、常総市「サポートセンター」へへ「支援物資」荷造りと送りの日


★関東地域を襲ったあの大水害から、もう、何日が過ぎたのだろうか・・・9月の中頃でしたか、もう、1か月になるのかもしれません・・・「東日本大震災被災地への支援物資だけでなく、この水害の被災者へなんとかできないのか、しないのか」という声もあの瞬間からありまして、色々と探して、やっと、常総市の党の議員と連絡が取れまして、吉野サポートセンターを知らせてもらい、今日、初めて、支援物資を送る日です。

どんな「物資」が必要なのか、いるのか、は、中々うまく解りませんが、津山市の党と後援会、赤旗読者に「カンパと物資の協力」を依頼、今朝、しんぶん配達で寄りましたら、すえひろ亭にかなりの物資が届けられています。だれだれが、もってきてくれたのかは、良く、わかりません、ともかく、かなりの衣類、お米、毛布、生活用品などの山です。

荷造りに何人が参加していただけるかは、結果論でないとわかりませんが、大変だなの今朝の思いです。さくら支援事業所のケアマネさんが全員手伝ってくれるという話は耳に入っています、若いから大きな戦力です。従来から、宮古ボランティアセンターへの物資送りに手伝ってくれていた人には、直接お願いをした人もあり、昨日、Fさんにてつだってもらい、段ボール箱をそろえましたし、お手伝いに来てくれる「要領のわかった人」に、できるだけの段ボールの手配もおねがいしました。何個の段ボールになるのかな・・・送る費用も大変かな、大丈夫かな・・など、色々と思わされることもありますね・・。

常総市の民主団体と市民団体が、市の公園の一角を借りて、支援センターとして作った「吉野サポートセンター」の写真ですが、まだ、各家々の「ヘドロの処理と片付け、改修作業」のボランティアが必要といわれています。

民主商工会とか建設労とかの大工さんも「本格的なボランティア作業」にあたり、まだまだ、水害被害からの立ち直り、生活再建は大変な状態のようです。

★10日からの連休には、岩手県宮古地域、ボランティアセンターにかかわっている人たちが、現地へボランティア活動で行かれたようです。この活動の在り方を知りまして、宮古市の田中市議と連絡を取っていますから、このサポートセンターの存在を知ったということです。たくさんのカンパを送るというのも困難です、常総の堀越議員と相談しての今日の物資の送りです。ご理解ください。

★さくら会館のまわり一帯、日上地域から、押渕などなど、平成10年でしたか、津山市内を襲った水害、あの時の様子を思いだします、あの時は、まだ、ヘドロのかたづけなどスコップが持てました、さくら会館のヘドロの始末にも困りましたが、あの時の比ではなく、常総市周辺は、全地域が、濁流の中、いえも流された人多しですから、すごいことになっていると想像です。現地に行くというのも大変というか、無理ですが、できる限りの「支援」を行いたいとのおもいが募ります、ご協力くださいね・・・。

10月14日(水)しんぶん「赤旗」読者ニュース「ごきげんいかが」


★末永弘之の暮らしのニュース「ごきげんいかが」の作成日です。先週でしたか、1290号と書きましたが、一回間違っていまして、今回が正しく1290号でした。したがいまして、後、10回で1300号になります。最後の目標としている号数ということです。12月末日に達成と同時に、長い間お世話になりま下が、ごきげんいかがの作成をやめることとしています。ただ、最後のあいさつさなどを含めて、新年号、「ごきげんいかが」野場合は、新年を迎えるね生つに作成するのが新年号でなく、新年になって、初めて作るものを「新年号」と思っています。

従いまして、1月の最初の週というかは、1300号という号数に「こだわらない」で、新年号の作成で、最後の「ご挨拶」をともおもったり、今は、誤字騒動で、お届していませんが、全市内の「日曜版読者」にも、最後のご挨拶をするかなと思ったりです。



★最後の編集とか、次期とかは、今後として、具体的に日程などは、今後の流れ、自然体にお任せですが、今日作製します、1290号は、一面で、戦争法は、あくまで廃案への記事でうめます。安倍内閣の強行採決は認められない、安倍内閣は、即時退陣をもとめるという声の紹介です。全国共通の話題ですが、津山市のニュースです。津山での動きなどが中心、全国ニュースを「丸写し」の記事ではないのが、ごきげんいかがの記事の作り方と、肝に銘じて作成してきましたから・・・。

★そして、沖縄問題、オナガ知事が、日本政府とアメリカ政府に対して、「辺野古の海を埋めることへの許可を取り消す」と宣戦布告しましたが、「オナガ知事頑張れ」の声援の声を挙げたいの願いの記事にしたいとの思いです。それにしても、世の中、面白くないことの多いとき、戦争法に、TPPに、マイナンバーに、原発再稼働の問題、各種社会保障制度に・・・あげればきりがない、腹立つことの多さですが・・・・

こんなときに、「先行き不透明」とはいえ、オナガさんの決意、勇気、沖縄の人たちの心、は、すごい、心から、すごいと、唸る出来事が久しぶりに起こった、その点では、この瞬間だけでも「痛快」ではありませんか、安倍の馬鹿野郎は、「行政の継続論」などを持ちだしたり、異議の申し立てをしたり、どちらにしても、国・防衛省が「こまった」から、国の別の機構・国土建設省に判断を求める、と、言う、凡そ、考えられない、あってはならない、してはならない、方法で、この急場を「逃れよう」としている、国が、最後の判断で、ごり押し、押し通すだろうが、最後は、オナガさんが裁判をどうするかかの問題はありますが、、、、

色々と思いますが、ともかく、オナガさんと沖縄の人々の力と、英断と、知恵で、昨日から「辺野古の埋め立て工事は、止まった」この事実は、やはり、すごい、痛快と言わなくてはならないだろう・・・一週間か、したら、建設省などが、工事再開の方向を出すとはいえ、オナガさん頑張ってくださいですね。。

そんな思いを込めての、ごきげんいかがの記事作成、二面は、久しぶりに新クリーンセンターと現在の小桁のゴミ焼却場「閉鎖」の議事でも書きたいの思いの朝です。今月配布した、「広報つやま」のなかに、沢山の資料が入っていました、いよいよ、11月で、長い間、色んな思いをしてきた、小桁ゴミ処理施設が「止まる」という時代に入るということです。時の流れですね・・・。

10月13日(火)3連休が明けまして、さくら会館移転に関する話


★3連休が終わりました、今年は、あと1回の3連休がある、とか言われています。11月21日~23日のことと思いますが、10月31日(土)と11月1日の日曜日、そして、2日(月)が平日ですが、3日はお休みと、変則的な「連休」もある暦です。

昨日の「雑記の日付」が、今日の13日(火)になっていました、時折間違う、日にちと曜日ですが、完全に1日勘違いしていました。3連休で、休み明けは、13日で火曜日と思っていましたから、日曜日の「お休み」の次で、休み明けですから、13日という、妙な「間違い」でした。

★今日は、朝一に、さくら会館の「移転予定場所」に関係して、その建物の「裏手」に当たります、古い、壊れている「長屋づくり」と私用される五件屋についての「取り壊しの相談」からです。大家さんと私たちとで、古い五件の長屋と言われる建物をこわして、その半分程度を、わたしたちが「お借りして、駐車場にしたい」との願いをかなえるための話し合いです。

何よりも、壊して、整地して、駐車場に使用できる状態にするのに、幾らの費用が必要か、?、です。整地するためには、今の「長屋」を壊しただけでしたら、道路敷よりは、7~80センチは低い土地になりますから、その分の底上げが必要、排水路も整備しなくてはいけませんし、かなりの費用が必要かなと思います。


★そして、午後は、国道事務所が「さくら会館の立ち退き」についての話に来ます。具体的に「立ち退き・引っ越し補償料を提示したい」と事前に連絡があったから、度の程度のものか、移転費と引っ越し先の整備に必要な金額に「合致」するのかどうかもねわからない、ともかく、ゆっくりと話を聞いてみてからということになると思います。

駅前広場の整備工事は、未同意者の方々との話し合いがどのていど「進んでいるのか」は、見えてきません、が、遅れていると言われていた、jRの建物が、「壊す準備」と思いますが、シートが掛けられました。そして、いわゆる「賑わいゾーン」と、駅を利用される徒歩の皆さんが歩く、歩道部分と屋根部分とが急いだように工事を進めている。賑わいゾーンに入る、お店とコミュニティの建物もかなり出来上がっている、お寿司屋さんは、そろそろ開店するとかの噂です。

国道53号拡幅工事に関しては、1期工事になると言われている、今津屋橋からバスセンターへかけての「工事」はまだ見えてこない、多分、地権者との「話し合い」を内内でしているのだろうとはおもいますが。。。「さくら会館」以外のことは、全くわかりませんし、話も伝わってきません・・。今日を境に、本格的な「立ち退きと工事の進捗ぶり」を検討しなくてはの思いの朝です。

明後日、16日は、鬼怒川大水害・茨城県常総市へ、初めて「水害お見舞い」の物資を送りたいと準備中、毛布、衣類はいくつか事務所に集まっていますが、お米が「少ない」感じて、なんとか、集まってほしいの願いと、荷造りのお手伝いをお願いです。おたがいが「大きくなった」関係で、地元地域の人たちが、大いに手伝ってくれていた「荷造り」ですが、段々と、事務所に来るのも「たいへん」な事態ですから、大変です、よろしくお願いします。


10月12日(月)心の旅、火野正平さんが津山へ


★NHKBS1チャンで放映されている、火野正平さんのテレビ番組ですが、今月は、岡山県、そして、津山市への自転車の旅が放映されました。小西さんという人の「思いでの手紙」に誘われて来津というシナリオでした。

昨日の日曜日、再放映でしたが、11時からの放映、8日の朝に最初放映された、その時は、「ゆっくりと見えなかった」という事もありまして、昨日は、時間がありまして、ゆっくりと見ました。この日は、お昼から、地域の人の葬儀がありまして、少し早し「昼食」の準備、途中からは、食事しながらでしたが、一時間にまとめた番組をみました。

★初日のコースは、津山線で亀甲駅に降りて、打穴川を北上、画面には出てきませんでしたが、亀甲から錦織~久米に出て、吉井川南岸を「さが井堰」のほうへ走ったと思われます。途中、アルミサッシの会社野前を通って、、久米川南の北の吉井川「さが井堰」への小道が写されました。「やきさば屋」さんで昼食をとりたいと寄りますが、「3時までお休み」の札を見て、あきらめまして、一路津山へ・・・

★昭和町の「さくら会館前」を通り過ぎたと思われる地点、江原医院の帰依を火野さんが自転車で通り過ぎる場所から映し出されて津山駅、まさに、コンビニなどのあるあたらしい景色、東宝茶屋さんで「ホルモンうどん」を焼いて食べるシーン・・・今津屋橋から中銀の角から、鶴山へと野コース、鶴山公園での思い出で1日目が終わり・・

★2日目の朝は、宮川から、小雨降る中でした、大橋の下で、熊本の森田さんの加茂駅の「思い出」の手紙の紹介、そして、加茂駅を目指しての自転車の旅が放映されました。大橋~城東野街並みを抜けて、高野・見た記憶にない「ため池」で、火野さんらが小休止、カッパ着て、池の周りを歩くシーン・・・・・野村・綾部付近と思われる自転車の走り景色・・・・そして、三浦を通り過ぎた加茂との境界の橋のところから放映、そのまま、久郷の道を経て加茂駅へ・・・

熊本の森田さんが高校生の時に通っていた「汽車通学」野お話、火野さんに託したのは、旧姓は分かりませんが、森田さんが、就職で加茂駅を離れるときに、父と母に汽車を見送ってもらった、自分は、その様子、汽車の去っていく姿が見えない、思いで野為に、火野さんが、見送ってくれたら、画面で様子がわかると、言う、お手紙でしたから、そのままの様子、汽車が、加茂駅から、津山の方向に走る姿、・・・を映して、汽車が見えなくなるまでの放映、中々、言い風景でした。

この番組、朝、よく見る番組、15分ですが、2~3日しますと、まとめて、一時間番組を放映します。同じ画面を使う箇所もありますが、全く、新しく編集、新しい地域をとおる姿が映るテープですから、この一時間番組も、面白いですが、さすが、この一時間者は、見る機会が少ないです、今回は、津山市を火野さんが走る、ということでしたから、しかも、お休みの日でしたから、特別に見ることができたということでした。

10月10日(土)暮らしのニュースとは、?


★昨日は朝早くから、家内とふたりで「日曜版」を含めた新聞配達から夜があけました。朝食などふくめて、家事を少し手伝って、雑記をうって立ち上げて、娘たちに「米・野菜」などの送りのだんどり、さくらに行って、給与の振り込みの手続き、郵便局に朝一に行って、ついでに、娘たちに送りをして、市役所に「日曜版の配達」をして、広報津山を班長さんに持っていく段取り(部数の仕分け)、さくらで、夜の会議の準備など・・・

お昼は、自宅でとって、少し、自宅でお休みをさせてもらうこのころ、さくらに行って、お金の工面、とりわけ、週末に、人権問題全国研究会へ10人の参加、費用や宿などの確認をして、バスや電車の確認、伊勢市ですから、伊勢神宮か、おかげ横丁くらいは、皆と行ってみるかな、の思い、その段取りなどして、費用の試算。

併せて、12月は目の前です、さくら介護センター・支援事業部・働くケアマネ、そして、津山ネットの職員さん、この人たちに、年越しの「生活資金」の支払いの資金繰り、、、やや、不足かなの感じで、頭の痛いところです。月曜まで3連休で、連休が明けて、火曜日・13日に「国道事務所」が、立ち退きの具体的な話に来館」と約束していますから、「立ち退き費用・新しい事務所への改善日日」などに思いを寄せながら費用試算」・・・さてさて、どんなかな、の思い、、、六時からの会議の準備と、会議の前に、吉井川河川敷の散歩、・・・津山ネットの理事会は、八時半頃に終わり、帰宅、という一日・・・・・・

こんなのが、昨日の、末永弘之の暮らしかた、、、暮らしのニュースとした、雑記帳ですが、
何の役にも立たない記事、「ヤジ絵馬的に、覗きま的に」という点では、他人の「くらしぶり」などは、面白いかもしれないが、意味がない雑記としかいいようがない・・・・・やはり、そろそろ「辞め時」ということであろうとの思いの今朝の雑感です。

10月 9日(金)津山ネット理事会・・・


★今日は、豊かなまち・人つくり津山ネットワークの理事会です。通称「津山ネット」と称していますが、さくら会館の中に事務所があります。その「さくら会館」が、国道53号拡幅工事に伴って、立ち退き移転を余儀なくされていまして、本来は、すでに、「具体的な立ち退き条件」などの話も終わり、立ち退き先も決めて、そろそろ「引っ越しを」という時期だと思っていましたが、国道事務所の関係で「工事は遅れる」ということで、何回か、この雑記でも書きましたが、話が「中断」のままでした、困ったことだと、愚痴書きました・・・

何と、この愚痴や悪口が聞こえましたか、昨日、国道事務所から連絡がありまして、13日に「補償のことで伺うから」とのことでした。どのような「内容」になるのか、是か非かは、お会いしてからということになりますが、1気に話が「出来上がる」ことを期待ですね・・。

昨日、中央会館の閉鎖に伴う課題もあり、担当の行政マンも「さくら会館」に来られて、様子を話し合ったが、年内に、一つの見通しを作らないと、年度内の「中央会館の取り壊し作業」がうまくいかない様子ではあったが、こちらも、年内には、確実な方向をだしておきたいのだが、13日は、どんな話になるのかなだ。

その関係で、今日の理事会で、事前に「一定の方向性」を確認したり、20日(火)に予定する、市長・教育長らとの「話し合い」の参加体制などを決めたいと思います。



茨城県常総市への「物資の支援活動」へ


★まず、岩手県宮古ボランティアセンターのブログの記事紹介です。

「8・9月と立て続けに地方選挙があったために、ボランティア活動に専念出来ませんでしたが、10月から再稼働出来ることになりました。
その手始めという訳ではありませんが、先月の大雨による鬼怒川決壊などで激甚災害指定を受けた茨城県常総市へ復旧ボランティアに出かけることとなりました。
報告については、追ってこちらでお知らせします。現地では復旧作業が思うように進んでいない模様です。出来るだけのお手伝いをしてきたいと思っております。」


ということです。津山からの「復興支援物資」を送るのが、八月の末だったと記憶ですが、それ以後ご無沙汰の「支援物資送り」ですが、宮古では、自分所を、まず、おいて、大水害にみまわれ、甚大な被害を受けた、鬼怒川流域・堤防の決壊というニュースがいち早くながされた、常総市へボランティアを送りこむということです。

水害被害の現地は、今、人出がほしい、泥水に使った後始末、平成10年でしたか、さくら会館の周りも、津山市内が大水害の経験思いだします、ペドロの後始末、がれきの片付け、もう、何にも思うことなく大変なことでしたが、常総市内は、あの時のように人で、人力が必要な時期とかです。

津山から人を送るわけにはいきませんから、日本共産党の市議会議員を紹介してもらい増して、できる支援は何か、を聞きまして、下記の具体的な「支援策」を呼びかけることにしました。

10月15日(木)が鬼怒川水害被害地→常総市へ 30日は東北大震災宮古地域へ

★いずれも午前10時から、主に、お米・野菜・カンパですが、常総市へは、ティッシュ、洗剤など生活用品・食器類・衣類もおくります。二宮事務所・さくら会館・日上すえひろ亭のいずれかにお持ちください。

そして、荷造りのお手伝いを1時間か2時間よろしくお願いします。昼食は、すえひろ亭で準備します。この作業が大変です。お米は、白米にして、できましたら、3キロ袋に入れていただければ大変ありがたいです。


こんな読者もおられたんですね、、ありがとうです

★昨日の「雑記帳」を見られたんでしょうかね、、こんな、メールが入りました。

メッセージ本文:
〇〇町を離れて 二十七年になります。色々とご迷惑をお掛けしました。今は、名古屋で元気に生きております。
心残りが多い岡山県 津山など周辺の事、 毎日このページで確認をしてきました。また、末永さんのライフワークの部落差別を無くする運動、そして 共産党 市会議員の活動。その過程でのリコール運動 領家の焼却場の問題。このページを毎日 自分が末永さんになった様な気持ちで拝見してきました。 ありがとうございます。御体に気をつけられ 今後の御充実をお祈りしております。

こんな便りは、心が和みますね、、永いご無沙汰の人でした・・
10月 8日(木)「ごきげんいかが」1290号発刊日・・・


★末永弘之の市議会報告「ごきげんいかが」から、末永弘之の暮らしのニュース「ごきげんいかが」に変更して、半年が過ぎました。毎週「木曜日発刊」というのは、変化していません、そして、今日の「しんぶん赤旗・日刊紙」に「ごきげんいかが」をいれて配達してもらいますが、ここも変化していません。

大きく変わったのは、「発行部数と配布先」です。昨日も、最近日曜版の購読を「再開」してくれた人が「さくら会館」に来まして、「ごきげんいかが」が無くなった、入っていない、との話でした。配達不可能な地域に住まれていまして、その理由などを説明しまして、されでは、さくら会館に時々もらいに来る、ということで収まりました。

「ごきげんいかが」がないと、色んな事が、良く、わからないから、と、いう理由のようです。さくらかいかんのしんぶんポストのところに、「ごきげんいかが」の、その人用の専属ポストを作って、取りに来てもらう事としました。どこかに、適当に「ポスト」作るかなです。

★「ごきげんいかが」の誤字の問題が、一つのきっかけで、調子が狂ってしまいまして変なことになってしまいました。すなおに、「誤字が多くてごめんなさい、ご迷惑をおかけします」と、述べて、「閉鎖・おわり」とすべきですよね・・・ごめんなさいね、開き直って、「誤字など点検はして居れない、早いのがごちそう、誤字があってもよいよという人もおりますから」などの強がりは、行けませんでしたなど述べてしまい、益々、「ごきげんいかが」の居り場所がなくなってしまいました。

1300号で、区切り、終わり、としますから、今少し、ご辛抱ください。このままいけば、正月前後かなと思いますから、あと10週間目です。「閉鎖・終わり」の特集も含めて、12月の末頃かな、欲張って、新年の挨拶と、終わりの言葉を書いてジエンドとなりますか、今少し、時の流れが必要・・・。

★併せて、この、雑記もジエンドするかなです。ホームページなるものを立ち上げたのが、2002年1月14日ですから、13年になりますか、その日でもって、終わるかなの思い。しかし、写真特集の「ブログ」は、残して置くかなと思ったりです。議員を辞して、市民の方が、望んでおられると思える、ニュース・話題がなくなっている、市政の中が、議会の中だけでなく、議員がどんな様子なのか、全く見えない、、、しんぶん「赤旗」日曜版の配達に週に一回は行きますが、わからないですね。

したがって、この雑記帳に書くことも、赤旗に乗っておとどけする「ごきげんいかが」も、面白くない、迫力がないですね、作っている自分が一番良く分かります。末永弘之の「暮らしのニュース・たより」などと名付けてみましたが、誰が、私の「暮らしのこと」などで、見たり、読んだりしてくれますか、です。

つらい、とか、さみしい、とかでなく、しみじみと「居場所がない」とおもいますね、「ごきげんいかが、ですか」と聞いて回る「居場所」がないと、やはり、市民の方が知りたい、政治の舞台、しかも、裏側は、全くみえません、というのが、ジエンドにしなくては、の思いの大きな理由、・・・それと、誤字騒動で、かなり≪疲れ≫です、神経が弱っていますね、特に、末永の書く文章が、文字が、世に「さらされる」ということが、・・・誤字の多いこと、「たかがその程度野人間だ」と、笑われている、という現象、しみじみと、恐れ入っています。この「疲れ」がもう一つの理由、そして、いつまでも、続けて何になるのかですね、、・・・。そんなことを思う今朝の雑感です。

10月 7日(水)市民「協働」運動の要求まとめ・・・


★先日から、何回か各団体の代表者に集まってもらい、話し合いに参加できない人たちには、文章などで「要望」を送ってもらい、

◎真の平和・民主主義・人権尊重と市民生活の充実を求める要望書、をやっと、取りまとめまして、20日の市長、教育長との「話し合い」の事前準備として、各団体の代表者、要求を提出・提案してくれた団体や個人に対して、渡して、最後のてんけんをしてもらっています。そして、当局との事前協議として、関係する部局にも渡すことができました。

豊かなまち・人つくり津山ネットワークと平和・人権・暮らし守る「協働」団体の、2つの団体で野「要望書」となっています。申し入れの挨拶に当たる部分と、基本要求と具体的な要求と、に区分されると思いますが、基本の部分で、「津山開花・第五次総合計画に関する課題」を取り上げて、市長部局に対して、

◎市長部局における、津山市の目指す10年後の「平和・人権施策の対抗」を明らかにすること、を求める。

◎教育部局における、次代を担う子どもたちが、激動する社会を生き抜く力を身につけるきょういくにおける、「平和・人権施策の大綱を明らかにしてください。

との要望をはじめに掲げました。総合計画10カ年づくりへの、私たちの「思い」を伝え、お互いが、10年後を、見据えてみようということです。

総がかりで「戦争法の廃案へ」市民集会が企画される


★10月22日の夕方6時から、「戦争法案廃止、安倍内閣の総辞職を求める市民集会と、スタンディング・アピール行動が呼びかけられました。主催は、戦争法廃止!総がかり津山実行委員会です。場所は、山下・児童公園広場で、集会の後は、大手町交差点での「アピール行動」が予定されて、参加の要請などが行われています。

今の時期、まさに、最適、何とかしたい、戦争法は嫌、安倍も嫌、と、言う市民の皆さんの多数の参加があればよいのに、との思いの朝です。ツイッターというのですか、若い人たちが、なんとか、声をかけあって集まる、という風景などが見られたらよいのに、とか、思いますが・・都会のようにならないのかな・・・時々ですが、身も知らない人がサイレントに参加してくれたとか、宣伝カーに寄ってきた、とか、赤旗が読みたいとかの声が出た、とかの話を聞きますから、少し、ほんの少しだけかもしれませんが、都会のような動きが、ある、そんな感じではあるが、どこまで表面化してくれるかでしょうかね・・。

10月 6日(火)「住民の会」の活動のまとめ・・・


★昨日、懸案事項になっていました、「領家地区ゴミ処理場建設の再考を求める会」のまとめ冊子を作ろうとの話を「まとめる」ための資料作りを夜おそくまで、夕食を含めて行いました。事務局をしていた甲本さんから「沢山の資料や写真」を預かりまして、申し入れの文章や、写真、資料などを点検しながら、会長と近藤さんと私の三人で「まとめ」作業でした。

中尾市長の時代に、「ゴミ処理施設建設をめざすブロック協議会」の組織化、適地が中々決まらない中、リコールによって、桑山市政となり、公募に始まり、公募条件に合致していない書類を提出した「領家」に予定地を決めて、そこから反対運動が起こってきました。

津山市領家地区は、領家地区の問題を「施設配置」という独自の課題を持っての反対運動、そして、鏡野町側、下原地域は、下原地域としての課題を持っての反対運動がおこってきた歴史・・・ここの部分は、私は、全く知りません、関与もしていなかった時代ですが、歴史は、それぞれ別々にですがあります。

平成18年3月24日でしたか、忘れもしません、領家の人から「ゴミ処理施設建設予定地の決定のことで、聞いてほしいことがある」との旨連絡がありまして、ガンダムの前ではじめて「領家の地域」に入っていきました。

これが「領家でのごみ問題の事始め」です。領家の人たちは、誰一人知人がおったわけではありません、そんな関係でした。また、鏡野町では、領家に決定されてから、「子どもたちのために環境を守りたい」との反対署名運動などが取り組まれていました。そして、当時の、有る、市民派と称されていた女性市議から指導をもらい、もう決まったことだ、と、諭され、その上に、「共産党には相談するな」、と、言われ、それを「まともに実践していた」という人たちでした・・・。したがって、私とは、これまた、縁もゆかりもない人たちでした。。

このように「見も知らなかった人たち」とので会いから出発した、ゴミ処理施設建設地・領家への建設は再考してほしいの反対運動・・・私は、公募が始まった時に、「公募条件をもっと整理して、もっと具体的にしないと、将来もめるみなもとになる」との趣旨で正式に、津山市長と、ブロック協議会へ、党の地方議員団として申し入れをした。

この申し入れを「共産党の言うことだから」と、歯牙にも掛けなかった、いわば「完全に無視した適地検討委員会」と桑山があったが・・・会えて、地域に反対がないということを一つの根拠にして、当初の企画、予算付けに賛成をしていた経過がある。

賛成をしていた私と、反対をしていた領家と鏡野町下原の人たちとので会い・・・思えば、不思議な縁がうまれたものです。住民の会の歴史でもあり、私の歩んだ一つの運動史かもしれない・・・。

★領家への新クリーンセンター建設の経過、私とのかかわり、色んな事を思いだすが、「住民の会」としての経過と直接ダブル経過もあり、ダブらない経過もありですが、住民運動の歴史を後世に伝える、残すという作業、昨日、夜おそくまでかかって、柱はできた、後は、井上・近藤のふたりで具体的な問題・運動の貼り付けや資料作りをお任せという作業です。

新クリンセンター建設は、こんな事とは、無関係に、工事は12月稼働・火入れに向けて大きく動いているらしい・・、長いこと現場を見ていない、議員という立場がなくなり、どのようにして、何の立場で現地を見させてもらうか、多少「とまどい」はあるものの、近いうちに、現地を見てみたいの思いです。


10月5日(月)津山駅前広場整備事業の動き


駅周辺が大きな変化を見せています、賑わいゾーンへ張り付く「コミニティーハウス」やお寿司屋さんの「新築」風景です。、

★駅前商店のアーケードが取り壊され、そして、少しずつですが、立ち退きに協力してもらえるお店などもあり、様子が一変しています。賑わいゾーンと言われる「通路」の屋根も工事がかなり見えるようになってきましたし、この「ゾーン」に張り付きます、コミニティーハウスの建物、さらに、現在地を立ち退いて、賑わいゾーンへ「新家屋」を建てて新しくお店になります、お寿司屋さんの建物も見えてきました。

★まだ、未同意者がおられて、全面的に賛成する工事とは行きませんが、それでも、長年の関係者の望んでいた「駅前広場整備事業」の実施です。鉄骨で組んでいる細長いところが、津山駅から降りて、今津屋橋・市内中心部へと通行するゾーンとなります。駅からでで北を向きますと、東方面に少し歩いて、この「通行帯」を通って、今津屋橋へ、そして、中心市街地へと歩くようになります。

★今津屋橋を、東・北方面から、津山駅の方向へ渡りまして、すぐ、西におれて行くのが、国道53号です、国道拡幅工事の話が、どうなっているのか、全くゼロですが、今津屋橋を渡って、津山駅前付近までの「工事推進の具体化・立ち退きや土地買収の話」は、個々に持たれているのかもしれませんが、全く、耳にも入りませんし、噂も聞きません。今見えているのは、津山市の「直轄事業」と言える、駅前広場整備工事と、公共下水道工事と、嵯峨いせき改修かな、これらの工事に関係する「立ち退き工事」などです。

★国道53号拡幅工事は、元々は、今津屋橋から美作マツダの交差点までと言われ、その関係する地権者などの会議を何回も行い、測量を行い、話し合いもし、平成27年と28年で「何とかなる」との感覚で話が進んでいた。

そして、今年の春ころかな、測量に基づく「全体の説明会」をしました。

その時からです、工事区間を、今津屋橋~バスセンターまでを1期工事として、残り区間は、2期工事で28年度以後にする、といい始めたのは、そして、その後に、個別の話が一度ありまして、補償物件の確認などをしました。その時には、できるところから具体的な補償の話もしながら、9月には、あらためて具体的な話し合いに入るようにしたい、との、旨を言うていたと思いましたが、、、さて、さて、ダメで酢ね、9月は何にもありません・・・何にもありませんから、最近は何となく、肩透かし、ペテンに出もかけられたような思いです。

ある、大きい土地を持っています、地権者の人が、「もう、協力は出来ないな、しない、」とまで、怒って述べていましたが、まさに、その通りですね、、「さくら会館」わ立ち退く場所まで、ほぼ、決めて、その地権者や周辺の人たちや、駐車場に使用したい土地所有者の人なども、きわめて具体的に話を進めているのですが・・・・、全部、話をしてみただけ、いうている、だけで、失礼する結果になり、こちらが「嘘をついた」という感じになっています、そう本当に、困った、困った、です。人を食った話で、困った、困ったです。中央会館の閉鎖、そして、解体の時期とも併せて、良い対応策は無し、世の中みんなに、申し訳なし、と、私が言わなくてはいけないのかな。。?物語の毎日です。

10月 3日(土)昨日は、集金と「要望書」づくり・・・


少し、遅れまして、昨日は、やっと、あかはた新聞代金を集金して、上納することができました。個人、個人の集金は、まだ、残っている人が、少しはありますが、私たちの言葉で「いわゆる、地区への上納金」には足りた、という意味です。昨日は、朝いちばんに「歯医者さん」を予約していましたから、長くかかったら、また、午前中には、集金が終わらないかも、とか思い、さらに、「要求書のまとめ」をする時間もなくなるのでは、と、不安でしたが、なんとか、早く、終わりまして、やれやれでした。

★午後には、主な団体の人に「さくら」に来てもらい、最後の「要望」の内容の点検、パソコンに打ち込み、等をしてもらう事にしていましたから、事務局として、最低でも、パソコンのデターでの「要望書」でない、文章での届け出・報告があるものを、要望書の中に、打ち込みまして、誤字などの点検くらいはしておかなくてはの思いでしたから。、それだけでも、中々、骨が折れますね。私が作ると、どうしても、誤字がある、それと、パソコンになれていると思うが、やはり、パソコン音痴・素人です、一連の番号とか、要望の課題によっては、「枝番」を打たなくてはいけない場合もあり、そんな時は、番号が、うまくならばなかったり、縦の線がそろわなかったりします。

★午後は、少人数しか集まりませんでしたが、それでも、集まった人たちで、要求の整理、来ていない人に、電話をしたりしまして、打ち込んでもらいました。私が午前中までに打ち込んだ文章を含めて、誤字の修正、番号の序列をそろえてもらい、てにおは、言葉使いの同列化などをKさんにしてもらい、昨日の段階での、最後の整理を、Yさんにしてもらい、原稿に赤色で修正してもらって、一応の終わり、今日、それらをもう一度、直したり、追加したりして、仕上げたいと思いますが、要求の課題が「落ちている」可能性もあり、これは、話し合いの時のメモとか、記憶が「頼り」となりますから、パソコンの中で、一応、考え、考え、ゆっくり点検です。起用か、明日には、最終の仕上げしなくてはです。

10月 2日(金)どうもおかしなことですが・・・


私のパソコンへ、一つの「資料・データー」を送ってもらいたくて、このホームページのトップ画面、そして、一番下の「自宅メル案内」と「津山ネットアド」の表示にもとづいて送ってもらうようにお願いをしましたが、届かないのですね、何回もお願いして、電話で確認もしましたが、どうかしていいる私のパソコンです、届きません。

そこで、このアドレスを挿入してくれた専門官のHさんに依頼して、何かの原因がわかりますか、うまくいきません、と、調査依頼しましたが、特別のことはない、普通に送れたり、受け取ったりしているという返事です。そうですよね、確かに、何人かの人からのメールは届いています、私の方から、それが100%かどうかは不明ですが・・・送るほうは、100%送れていますから・・・おかしなことです。Hさんに打ってもらいましたら、確実にとどきましたから・・・。

★迷惑メールの中におるかもしれないと、何回か、迷惑メールも探しましたが、それらしいメール、添付資料はありません、「資料・データー」を送ってくれる予定の人は、私のような「パソコン音痴」野人ではありません、どちらかというと、パソコンの専門官とでもいうべき熟練された人です、どうもおかしなことだ、と、しか言いようがありません。何で、こんなことになるのかなです・・・不思議な現象です。



★暮らし守る市民要望の「まとめ」の作業、実は、この作業の為に、我が家に、各団体の「要望書」を送ってほしい、データーでとお願い、それが届かないところから、address騒ぎになっているということです。根が横着ですから、データーで要求書を送ってもらい、それをつまんで、「要望書」のデーターへ入れ込んで、整理していく、番号などを合わす、と、いう作業で出来上がる、と、の策なんですが、届かないとなりますと、文章でもらい増すから、パソコンで打ち直しです、初めから、文章という人もありますが・・・、そうしますと、時間もかかり、得意とする「誤字」も出てきますから、本当は、データーを送ってくれるのが一番ありがたいということです。

今回の一つの特徴は、第5次総合計画の基本計画が市議会で「可決」されたこととかかわって、私たちの掲げる「人権・平和・民主教育」などの、10カ年先の戦略がどうなのかを、教えてもらい、これの是非論などを話し合うということが特徴かな。

そして、国道拡幅工事に関係して、「さくら会館の移転」「中央会館の閉館」などの必要性が生じて、地元町内会とか市民団体などが「気軽に使用できる代わりの施設」をもとめていますが、公民館使用規定の「変更」もかかわって、中々気軽には借りられないという事態もあるようで、これらも問題点を整理して、要望として届けなくてはです。

そんなことを考える、末永弘之の暮らしの雑感です。

10月 1日(木)の雑記帳


今日から10月です、今日は、雨の天気予報の朝ですが随分と涼しくなりました。寒いという感じにもなってきた朝です。今のところ降ってはいません。昨日は、朝一に「末永弘之の暮らしのニュース・ごきげんいかが」の最終仕上げと印刷、ポスト卸などの作業に加えて、しんぶん「赤旗」の集金活動。

さくら介護センターの月末の資金調達と整理で郵便局へ何回か行き来、大谷の局が、「大谷の踏切工事でストップ」が今年いっぱい続く予定。駅前が、駅前広場の整備工事と賑わいゾーンへの家屋建設と取り壊し、さが井堰の回収の準備と、公共下水工事とがダブっている関係で、とおりにくい。

さくら会館から、駅裏に移動した「大谷郵便局」に行くのには、西まわりが「大谷ふみきり工事」で遮断、東回りが、駅前工事の一方通行や工事クルマ・機械で、ガードマンが多い中、中々とおりにくい、さくら会館の真ん前・元山本のおばちゃん跡地の広場では、公共下水と思いますが、二カ月位前から工事をしており、大型の機会が毎日動いており、この通りも、交通止め、「さくら会館」の周辺はにぎやかですが、

①大谷郵便局に行きにくい。中央局へ徒歩での行きき、銀行とか市役所方面からの帰りは、そのまま車で中央局、いわゆる、津山の本局と一般的にいわれる局へ行くのがいきおい多くなる。

②国道拡幅と「さくら会館」の立ち退きの話は、9月頃には、何らかの話が来るかなと言われておりましたが、10月になりましたが、今のところ、何にも無し、ものの見事に何にも無しです。どうしたんでしょう・・・

★郵便局と野関係の話、3日が土曜日、さくら介護センターの給与日が10日で土曜日、何とか今日か明日中には「計算書・振り込み表」を大谷郵便局に届けないと、9日の支払い日には、間に合わないかもです。




★10月20日に行われます、市民「協働」団体に寄る、津山市長と教育長への「平和・民主主義、暮らし守る要求の申し入れに必要な「要求書づくり会議」への提案する資料づくり、しんぶん「赤旗」の集金などに追われました。

真の平和・民主主義・人権尊重と市民生活の充実を求める要望書

と正式な名称です、名は体を表す、かっての「部落解放運動」の時代から、65年程度続いている、いわゆる、対市交渉です。桑山と市長の事態、3年間は、この歴史あるはなしあいを「する」と市長になった時に、ある人を介して約束していたのに、「切ってしまった」屈辱の歴史です、忘れることは出来ない、桑山市長時代の「汚点」です。逆に、この点から見ますと、宮地市長になって、すぐ、復活してくれて、継続しているということには、目だったことではありませんが、感謝です。屈辱を味わった3年間の空白、これを思うと、どうしても、無念さ、はらただしさが帰ってきます、あの時の、
くそっ、と、奥歯をかんだ感覚は、生涯忘れることはないだろう・・・桑山「憎し」になった大きな出来事でした、私の人生の3年間の「空白」です・・・嫌な思い出でもあります。

今は、市民団体である、平和・人権・暮らし守る「協働」団体と津山ネットワークの二つの名前での要望書です。昨日は、「要望内容」を話し合いまして、幾つかの論議がありまして、その結果を、もう少し整理して、正式な「要望書」を作ることとし、明日の2日には仕上げをしたいなと思っていますが、中々「さくらかいかん」にゆっくりと「すわってはおれない」感じです。

今日は、さくら会館と津山ネットの「三役会議」ですから、朝から、会議の資料作り、幾つかの活動の日程調整などを考え考えの会議レジメづくりは、そうは、言いましても、多少頭を使い、レジメ作る時間も作業もひつよう、このレジメも「誤字多し」という事になり、他の人に点検もしてもらってからしゅうせい・印刷、です、印刷になりますと、他の人がしてくれますから、後は、時の流れで会議という事になります。。