あっちの者、こっちの者といわない運動を!

-こんな運動の提起が「部落解放運動か?」の問いかけ多数-
★これは何、冷ややかな見方とよく解かるの意見→笑いの中で運動が目に見えてきたのは事実でした。
★そもそも「部落解放運動」は、国際情勢から国内情勢から解いて、世の中の「反動的動き」の本質を分析して、政府の同和対策の「根本的なあり方とそれの分析」を行い、自分の都府県の政治情勢を同じように分析し、そして、各末端自治体を分析し、何故、このような要求をするのかを解説し、運動の価値観と必要性をといて、失礼ながら、地方の名前と行っている事業名と金額とを「変更」したら、ほぼどこでも使える方針、勇ましくて、勇敢で、かかんな「要求・闘争」などの言葉が頻繁に使われるのが、運動方針という感アリキでした。
井戸端会議へ合流→まさにこの一瞬だったんですね、「へんな運動方針」を思いつくのは?でした。
★いつころだったのでしょうか、1980年代の後半、-本音で語る-部落問題シンポジウムの10回目前後でしょうか、?、ですが、
■写真は「あっちの者」といわれた地域の代表格の津山商店街通りです。
★自転車で地域の中をしんぶん配達でぐるぐる回っていたとき、闘魂たくましい「おばちゃん」(全解連婦人部のおれ気連を中心)らが井戸端会議の真っ只中でした・・・・・・

Aさん→弘之ちゃん、ええとこへ来た、・・・・、○○へ来た嫁さんは、△△だろう・・・、よそのもんだろう
弘之→(一瞬、何の話題か?でした、が、・・・)そりぁー、何なら・・・・。
Bさん→よそのもんじぁー、違やあーせんちぁ・・・・。だろう、弘之ちゃん・・・・。
これには参りました、なんで私が「ええとこに来たのか」がやっと判明、○○くんと結婚したお嫁さんが、同和地区の人か、地区外の人か、まさに、井戸端会議の恰好の「食材」になっていたんですね・・・。そこへ、部落問題なら、なんでも知っていると思われている私(弘之ちゃん)が来たわけですから、白黒がつく、わかるという全員の共通認識でした・・・・・、それこそ、本当は、?、なんですが・・・・。
★弘之ちゃん→本人らに聞いてみたら・・・・・
■皆さん   →そんなこと聞けるものかな・・・・
★弘之ちゃん→なしてなら・・・・、遠慮せいでもええがな、あっちか、こっちか、他所の者か、聞いてみんさい・・・・、○○から来たと聞いているから、多分、他所の者で・・・・、
■皆さん   →だろう・・・・、やっぱり、違うと思うたちぁー、垢が抜けとるけん・・・・、他所の者は違うちぁー、どことのぉー、・・・・、やっぱりなぁー。
と、まぁー、一応の決着は着きましたが、この井戸端会議・・・・?、と思うようになって行きます。
★考えて見ますと、すごく物好きなんだ・・・。これで、幾人かの女性部と「話し合い」です、意味がわかると思うか、?、そもそも、他所の者、とか、あっち、とか、こっち、とか、誰がきめるんなら・・・、こっちの子どもに解かるか?、子どもらには解からんよ、・・・・、不思議な地域の象徴、特定の地域で、特定の年齢層しか通用しない話、?、の話、どこでも言える言葉か?
★大笑いしながら、たどりついたのが、これからは

あっちのもん、こっちのもんと言わないことにしょうでした。
全国部落解放運動津山市協議会第46回定期大会運動方針から抜粋
            1998年4月23日  津山市山北  津山総合福祉会館にて

前略- 津山市協議会の今年の活動の重点-
この年は、美作水平社創立75周年記念事業を7月5日におこなっています。
D組織内の学習会について

  
よその者・こっちの者をいわない運動

 
「差別するな」から「差別されない人間像づくり」を手掛け、「ちょっとした違いの克服運動」へと発展させ20年が経過しました。このことは、21世紀への基本方向で「歴史的後進性の克服」の課題へと発展させられました。
 そして、3年前から「同和という名のつく特別の地域がある社会ではなく、普通の社会を子どもたちや孫たちにのこしてやろう」と新しい課題に挑戦しています。
地域から「同和・部落」をなくして、地区とか地区外とかの「わだかまり」をなくする全国方針も提起されています。昨年の「国民運動の具体化」で提起した、これからは「あっちの者」とか「こっちの者」などの言葉を絶対に使用しない、こんな地域と人間像をめざした運動を大きな目標にしていきたいと思います。

この年の前の年、1998年の夏に支部代表者会議→71人の参加
そして、各支部の学習会→375人の参加

で、この運動方針(案)が初めて提起されていますから、1996年〜1997年にかけて、「地区のもの」とか「地区外の人」とかを、私たちが「言わない」との方針の論議で色んな模索が始まっていたといえます。その前の年1986年の春に、津山市総合計画から「地区児童生徒」とか「地区住民」とかの言葉を取り去る運動をしていますから、行政上の「努力」だけではなく、自らがどう「変化するか」の津山らしさの運動の具体化でもありました。。
★それでも「あっち・こっち」と区別して話さないと意味が解からない時もある?
右の写真は大会方針書の表紙ですが、印刷屋で「製本」も含めて行っていましたが、運動団体への補助金「削減年次計画」により、支出の見直しで「手作り印刷・製本」に変えて5年目ぐらいでしょうか。
この方針をつくりあげてから一部の人たちからは「運動方針でもなんでもない、あれが運動方針か・・・」という意味の陰口を聞かされたことがありました、が、・・・・。

★困ったのは、講演会や学習会で、説明をするときに、どうしても「地区の人」とか「地区外の人」とかを言わないと意味不明の時が多くあるということでした。
★どうしても、特に部落解放運動の歴史とか、本音で語るシンポジウムなどの「説明」をしようとすれば、地区と地区でない「区別」をして話をするようになります、特に津山市協議会が勧めてきた「チットした違いの克服運動」は、絶対に、よその人とこっちの人との「違い」を明らかにして、その「違い」は大きなものではなく、チョッとしたこと、「虫歯の治療」とか「雨降りの送り迎え」とか「病院のお見舞い」とか(これらの物語もいずれは画面で紹介しなくてはなりませんね)の場合、「よその人は○○のようになっている」と解説をして、私らも「よその人と同じ生活習慣・人づくり」が必要と説いて来たところです・・・。
★もう言うな、といいながら言うているの矛盾
★随分といわれました、言うなといいながら委員長が一番に言うている・・・・、と、でもね、・・・ここだけは、どうしても言わないと説明にならない・・・と言い訳をしながら・・・、新しい運動、何かが見え始めた「あっちの者、こっちの者」と言わない運動の起こりでした。
あなたならどうする、その1→同和地区の人間か
        その2→同和事業は行きすぎ、逆差別
        その3→もうなんともおもわないよ、差別はなくなったと思う
        その4→子どもたちにどう教えるか、部落について
        その5→いろんなことがありました、雑感のページへ

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